女性論

『女ぎらい ニッポンのミソジニー』 上野千鶴子

なんでこんな良書が文庫にならないのかと、嘆いたのが2週前
それが伝わったかのように、『女ぎらい』の文庫が出版された。オリジナルが文庫部門のない紀伊国屋書店からの出版なので、また、オリジナルを手がけた編集者にただならぬ思入れがあって、再三の文庫化のオファーを著者もオリジナル本編集者も断ってきたという。

女ぎらい (朝日文庫)
女ぎらい
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上野千鶴子
朝日文庫
2018年10月 ✳✳✳✳✳
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ミソジニーの主犯は紛れもなく男であるが、共犯者は女だ。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」として働く。ミソジニーは重力のように蔓延していて、男も女もミソジニーから逃れられない。
ミソジニーは、「ホモソーシャル」「ホモフォビア」「ミソジニー」の三点セットで成り立っているというのが本書のキモである。文庫には、「諸君!晩節を汚さないようにーセクハラの何が問題か?」と「こじらせ女」の項が追加され、一層、迫力を増した内容になっている。
「諸君!・・・」では、ミソジニーを語るとき、最近日本で頻発するセクハラ関連事件を看過するわけにはいかないというのが著者の姿勢だ。
ハリウッドで起こったセクハラの「#Me Too」運動は、日本でもささやかではあるが引き継いでいる。その実例を列記し、もちろんミソジニーが根底にあるとする。
「こじらせ女子・・・」では、『女子をこじらせて』(雨宮まみ著 2015年文庫化)についての紹介が主な内容になっている。AVを通して理解に難渋する女性のミソジニーが語られている。

巻末にある自らのミソジニー体験を踏まえた中島京子の解説文が、本書を一段と引き立たせている。
本書は、ミソジニー、セクハラ、フェミニスト関連の、間違いなく教科書である。→人気ブログランキング

女の機嫌の直し方/黒川伊保子/集英社インターナショナル新書/2017年

『女ぎらい ニッポンのミソジニー 』上野千鶴子

ギリシア語に由来するミソジニー(misogyny)は、日本語では、女嫌い、女性嫌悪、女性蔑視が当てられる。
男女の有り様をミソジニーという観点から解き明かした名著。センセーショナルで核心をついたこのような良書が文庫にならないのは残念だ。
男は女を蔑視し女に嫌悪感を抱いていて、女も女という属性を無意識のうちに嫌悪しているという。ミソジニーは男女にとって非対称に働く。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」として働く。
男も女もミソジニーから逃れられない。それは病理ではなく生理であるという。ミソジニーは重力のように蔓延していて、あまりにも自明であるために意識することすらできない。改めて考え直さなくては気づくこともないという。

女ぎらい――ニッポンのミソジニー
上野 千鶴子
紀伊國屋書店
2010年

まずは、文豪たちのミソジニー度をその女性遍歴から分析する。
女好きが看板だった吉行淳之介は、ミソジニー度が高いから女をとっかえひっかえできたという。一方、商売女としか付き合わなかった永井荷風は、ミソジニー度は低いとする。ふたりは女性蔑視の手順が違うだけだという。

男性学者が女性を論じるときに、不用意に使う単語や言い回しに、ミソジニー的発想が顔を出す。著者はそうした動かぬ証拠を列挙して、著名な社会学者たちを小気味いいくらい次々に血祭りにあげていく。こうした男性学者のミスは、ミソジニーが重力ようなものだから仕方がないのかもしれない。

著者はアメリカの文学研究家でジェンダー論・クィア理論を専門とするイブ・セジウィックの助けを借りて考察を進めたというが、そのセジュウィックによれば、女性蔑視こそが男性性の確立なのである。男と認め合った者たちの連帯は、男になり損ねた者と女とを排除し、差別することで成り立っている。

ミソジニーには、女性蔑視ばかりではなく、もうひとつの女性崇拝という側面がある。
性の二重構造とは、男向けの性道徳と、女向けの性道徳が違うことをいう。たとえば男は色好みであることに価値があるとされるが、女は性的に無垢で無知であることがよしとされる。
近代の一夫一婦制が、タテマエは相互の貞節をうたいながら、ホンネでは男のルール違反をはじめから組み込んでいたように、男のルール違反の相手をしてくれる女性が別に必要となる。その結果、女性を二種類の集団に分割することとなった。それが「聖女」と「娼婦」、「妻・母」と「売女」、「結婚相手」と「遊び相手」などの、二分法である。

後半は、女性のミソジニーについて論じている。
女子校文化のダブルスタンダードとは、男ウケする価値と女ウケする価値は違う。凛々しく「男らしい」少女がクラスのヒーローになったり、笑いを取るのがうまい少女が人気者になったりするが、女ウケする女はけっして男ウケしないことを彼女たちはよく知っている。

ここで酒井順子の『負け犬の遠吠え』に触れる。
女には、女が自分の力で獲得した価値と、他人(つまり男)が与えてくれる価値のふたつがあり、前者より後者の方が値打ちが高いと思われているからこそ、結婚していない女は「負け犬」と呼ばれる。なぜなら結婚とは、女が男によって選ばれた登録書だからだ。

女性のミソジニーを語るなら「東電OL事件」を避けて通れないという。
1997年3月、売春婦が絞殺死体で発見された。その女性が慶応大学卒で東京電力の総合職女子社員だった。なぜエリート女子社員が売春婦に身をやつしたのか。
殺された女性は、父親を尊敬していて父親のような立派な人間になろうとしていた。それが父親の急死で、父親の代わりになって母親や妹の面倒をみなければならないと決意した。しかし男でない以上、父親の代わりにはなりえない。そんな女としての自分を罰したい。それが売春に走った理由であるという。
殺されたOLの生き様に共感する女性が少なからずいるというから驚きだ。→人気ブログランキング

→『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』上野千鶴子/紀伊国屋書店/2010年
→『西城秀樹のおかげです』森奈津子/ハヤカワ文庫JA/2004年
→『無頼化する女たち』 水無田気流
→『関係する女 所有する男』 斎藤 環
→『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』 斎藤 環

『花埋み』 渡辺淳一

本書は、日本の医師国家試験に合格した女医第1号である荻野ぎんの半生を描いている。
シーボルトの娘・楠本いね子が、女医の第1号として挙げられることがあるが、それは正しくない。ぎんより28歳年上のいね子は、明治3年に築地で産科を開業したが、その頃はまだ国家資格ではなかったので、極端なことを言えば、誰でも医者を名乗ることができた時代である。
なお、本書の「解説」を書いている吉村昭は著書『ふぉん・しほるとの娘』で、楠本いね子の生涯を描いている。

花埋み (新潮文庫)
渡辺 淳一
新潮文庫 1975年

ぎんは現在の埼玉県の旧家に生まれ、16歳で結婚したが、夫に淋疾をうつされた。順天堂病院で治療を受け、男性医師に局所の診察を受けることに著しい嫌悪を感じた。ぎんは女たちに同様の屈辱を味わいさせたくないとの思いで、女医を志した。
東京女子師範学校に入学したぎんは、それ以降、吟子と名乗るようになり、明治12年、第1期生として首席で卒業した。
医学を学ぶため、私塾の好寿院に入学した。男たちは吟子に執拗な嫌がらせをした。そんなイジメにもめげず、好寿院を優秀な成績で卒業した。
吟子は医術開業試験に合格し女医第1号となった。そして湯島に産婦人科荻野医院を開業し、大いに繁盛した。

やがてキリスト教に入信し社会運動に身を投じるようになった。
39歳のときに、周りの反対を押し切って13歳年下の男性と結婚した。夫はキリスト教徒の理想郷を作るという志のもとに北海道に渡り、数年後、吟子は後を追った。
夫婦で壮絶な苦労を強いられたにもかかわらず、夫は志半ばで病死した。吟子は札幌で開業しようとするが、吟子の習得した医術はすでに時代遅れのものになっていた。
失意のまま帰郷し、62歳で他界した。

吟子は札幌での開業をかつて医学を学んだとき助教師をしていた人物に相談する。すると「最近は、男の医師だからといって産婦人科の診察を拒む人などまずいません。女医である利点は少なくなっています」という。吟子が医者を目指した理由が、なんの意味をもたなくなったという衝撃的な答えが返ってきたのだ。

吟子は開業して3か月もすると、医者の限界を感じるようになったと著者は書いている。女医になったことで吟子の志は達成され、人生の目標を失ったのではないだろうか。それが猛反対を押し切っての結婚、名声を捨てての北海道行きにつながったのだろう。→人気ブログランキング

『女子校育ち』辛酸なめ子

著者は中学・高校が女子校、祖母・母・妹が女子校出身、母は女子校の教師というガチガチの女子校環境で育っているから、説得力がありそう。

女子校生といってもいろいろである。超セレブもいれば背伸びしている者もいる。
女子校出身者は、相手が女子校出身者かどうか見分けられるという。その特徴は、「話が合う、サバサバしている、弱々しさがない、中性的、重い物を持ったりなんでも自分でやる、女慣れというか女を引きつけるツボをわかっている」などの意見であった。女子校出身者のキャラは、コミニュケーションの取り方がうまいことらしい。
女子校にはドロドロとした陰湿な部分があると一般に思われているようだが、ドロドロとサバサバしている両方あるのが女子校だという。

女子校育ち (ちくまプリマー新書)
女子校育ち
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辛酸 なめ子
ちくまプリマー新書  2011年3月

女子校内で起こる盗難事件は学校の名誉を守るため内密にされることが多い。
とくに、キリスト教系の学校では、「神の名において罪人は許しましょう」という大前提があるため、盗難が発覚してもお咎めなしがほとんどだという。
ミッション系女子高の真骨頂のイベントはクリスマス礼拝。ハレルヤやメサイアなどの荘厳な賛美歌を歌い、暗い中キャンドルの灯をともして、キリストの誕生に思いをはせる聖夜、トランス状態になって、生徒同士が抱き合い、泣きながら涙を流すというシーンも珍しくないという。

女同士の恋愛事情について、先輩に憧れたり後輩を可愛がったりするのは良いとして、なぜか同学年の愛はタブー。女子校でモテるステレオタイプは、運動部もしくは演劇部の男役で、ショートヘア・ボーイッシュ・高身長の女子だという。宝塚の男役のイメージだ。

ユーミンの『卒業写真』の歌詞に出てくる「あの人」とは、先生のことだと知って驚いたことがあっが、「♪悲しいことがあると開く皮の表紙  卒業写真のあの人は 優しい目をしてる♪」、「プラトニックラブ  アンケート結果」の項に、〈先輩だけにとどまらず、女の先生(結構歳を食った)ラブの子もいて、何かと口実をつけて会いに行ったり、出待ちしたりしていました。〉とある。なるほどそういうことだったのか。

女子校生が異性と知り合うスポットのナンバーワンは塾だそうだ。
晴れて大学生になって異性と接するようになっても、性行為について相談できる親しい友だちがいないため、AVなどから過剰な情報を得て淫乱になってしまうケースがあるという。もしくは、男性への嫌悪感が抜けないまま修道女並みの禁欲的な日々を送ってしまうこともある。

才色兼備がウリの女子アナは女子校出身が多い。逆にアイドルの自然な媚は女子校出身の人には出せないかもしれないという。
レディー・ガガはカトリック系の女子校出身。性を超越した存在感や男性受けを考えない個性的なファッションなど、女子校出身らしさが凝縮しているという。→人気ブログランキング

教室内カースト /鈴木 翔/光文社新書/2012年
女子校育ち/辛酸なめ子/ちくまプリマー新書/2011年

『女の機嫌の直し方』 黒川伊保子

本書は脳からみた「目から鱗」の女性論であり、女性とうまくやっていくための男性向け指南書である。女性との付き合い方に悩んでいる男性諸氏にオススメ。星は6つ。
冒頭の一文、〈女は何が厄介って、些細なことで、いきなりキレることだよな。それと、すでに謝った過去の失態を、何度も蒸し返して、なじること。〉は、男が「何で?」と、つねづね思っていることだ。

カバーの著者紹介によれば、著者はAIの研究開発に従事したあと、「感性リサーチ」社を設立し、現在は取締役社長。人工知能研究者、脳科学コメンテーター。

女の機嫌の直し方 (インターナショナル新書)
女の機嫌の直し方
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黒川 伊保子
集英社インターナショナル新書 
2017年4月 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

女性脳は、ことの発端から時系列に経緯を語りながら、そこに潜む真実や心理を探り出している。共感によって話を聞いてもらうと、この作業の質が上がるという。
女性脳には共感が必要だ。

一方男性は、相手が状況を語りだしたら、その対話の意図を探り、素早く解決すべき問題点を洗いだそうとする。優秀な男性脳ほど省エネ型で、枝葉末節にこだわらず、全体をシンプルに捉えようとしているという。これは狩りを行っていた男の性であるという。

女が「地下鉄の階段で転びそうになって転ばなかった話」を長々とすることを、男性は理解できない。なぜなら、転ばなかったのなら、男にとって情報量ゼロの話題なのだ。
女性脳は「怖い」「ひどい」「辛い」などのストレスを伴う感情が起こるとき、そのストレス信号は男性脳の何十倍も大きく働き、何百倍も長くのこるという。共感されるとその余剰な信号が沈静化するという。共感を得るために話題にあげるのだ。

〈男性は、遠くと近くを交互に見て距離感をつかむ。ものの輪郭をいち早くつかみ、その構造を理解する。女性は、比較的近くにあるものの表面をなめるように見て、針の先ほどの変化も見逃さない。〉長らく狩をしてきた性と、子育てをしてきた性に振り分けられた男女のビューセンサーの違いは、ドライブデートで喧嘩の原因になる。
助手席に乗った女性が「そこ右」と言ったとき、彼女は20メートル先の脇道を見ているのに、運転席の男性は50メートル先の交差点を見ている。そこで指示に従わなかったと、女性がキレる。確かにそういうことが過去に何回かあった。

女性は、交尾さえ遂行すればすぐ死んででもいいオスとは、自分の快適(それは子育てにつながる)に対する責任が違うという。女性が感情的になるのであればそれはその脳にとって必要なことだからだ、とまでいう。
女は共感されたい、男は解決したいのだから、解決したいのであれば、男は大いに譲って共感するほうがスムーズにいく。
本書のキーワードは「共感」である。→人気ブログランキング

『腐女子化する世界』杉浦由美子

腐女子とは、「ボーイス・ラブ(BL)」を愛好する女性オタクのこと。腐女子という言葉は、最近ではオタク女性全般をさす言葉へと広がっているという。
腐女子というインパクトの強い単語は、女性オタクたちが、「私たち腐っているしぃ」と自嘲的に言ったことから生まれたという。

腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち (中公新書ラクレ)
杉浦 由美子
中公新書ラクレ 2006年10月

「女性がオタクになりにくい」という通説に著者は反論する。ここで「萌え」がキーワードになる。女性には「萌え」る対象は、つまり興味や趣味の対象は広い。おたくになる素養は女性の方が強いくらいだという。精神科医の斉藤環も「おたくは男性より女性の方が多い」と指摘している。

名作と呼ばれる漫画『トーマの心臓』(萩尾望都)、『風と木の詩』(竹宮惠子)、『BANANA FISH』(吉田秋生)、『日出処の天子』(山岸凉子)などは男性同性愛を描いている。女性の妄想を刺激するものでしょうと、斎藤孝はいう。

腐女子には、既婚者も多いし恋人がいる人も多い。収入もそれなりにある。
腐女子たちは「現実の恋愛」とは別に「妄想の恋愛」を求める。その「妄想の恋愛」に自分は登場しない。妄想する余地を用意してある作品を好むのである。

だから「やおい」で十分なのだろう。
「やおい」とは、BL作品のうち、ほとんどが性描写のみで、物語を構成する「山場(や)」「落ち(お)」「意味(い)」の3つの重要な要素がないもののことである。アメリカでも、女性が男性の同性愛をパロディやファンタジーとして楽しむ文化があるという。
男性オタクは物語の中に自分を「介在」させるが、腐女子は自らを「介在」させない。男性の妄想と女性の妄想は基本的に違うのである。

BLを好むのは、読み手(腐女子)の多くが異性愛者であるため、男性が多く出てくる漫画や小説が楽しいからなのである。そこには女性性の否定などこれっぽっちもないという。つまり別腹なのだ。

女性のオタクたちの「腐っているしぃ」というのは、女性誌が煽ってきた「美しさ」や「恋愛体質」などの競争から外れることを意味した。男たちは女性を得ることがステイタスではなくなっている。女性の多様化が許されなかったがそれが許されるようになった。いわば腐女子でいられるのである。
著者は腐女子を、現代社会で女性がおかれた社会的な立場を解く鍵として捉えている。腐女子は格差社会を生き抜く知恵であると結ぶ。

→『少年の名はジルベール』竹宮惠子 2016/04/01
→『生き延びるためのラカン』斉藤環 2014/06/09
→『キッズ・オールライト』2013/06/15
→『一億総うつ病』片田珠美 2012/06/14
→『関係する女所有する男』斉藤環 2011/10/17

『フィッターXの異常な愛情』蛭田亜紗子

タイトルから偏執的な内容を想像しそうだけれど、まったく違う。
起承転結にビシリとはまった連作短編の恋愛コメディである。

広告代理店に勤める32歳の独身OL國枝颯子(さつこ)は会社に向かう交差点の真ん中でノーブラに気づいた。今日会うクライアントは手強い。ブラジャーをしていないことを見破られて、だらしないと烙印を押され破談になるかもしれない。
目に入ったランジェリーショップに入った。

フィッターXの異常な愛情
蛭田 亜紗子(Hiruta Asako)
小学館
2015年4月 ★★★★

応対したのが、まさかの男のフィッター伊佐次耀。
伊佐次は颯子の高校卒業以来の不摂生な生活をズバズバと言い当てた。
そして勧められるブラジャーを着け商談にむかった。
今までなら難敵クライアントに嫌味を言われっぱなしだったが、颯子は自説をまくし立てた。それが功を奏して商談成立。
その後も伊佐次の勧める下着を身につけ、仕事も人生も良い方向にいくかと思われたが。。

『SAYURI』

SAYURI [DVD]
SAYURI [DVD]
posted with amazlet at 13.08.22
Memoirs of a Geisha
監督:ロブ・マーシャル
脚本:ロビン・スウィコード(英語版)/ダグ・ライト
原作:アーサー・ゴールデン『さゆり』
音楽:ジョン・ウィリアムズ
アメリカ 日本  中国  2005年 146分  ★★★*

日本の芸者の物語であるにもかかわらず、主人公の芸者を中国系に割り当てたところが、WAPS(White Anglo-Saxon Protestant)の発想だと思う。中国系女優が演じる芸者はジャポニズムを摩訶不思議なものにして、それがかえって、彼女らの魅力を引き出しているのかもしれない。日本的過ぎないことが、かえって受け入れられたと思う。
本作は第78回アカデミー賞で、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、作曲賞、録音賞、音響編集賞という「裏方部門の賞」を多く獲得している。

貧しい漁村に生まれた千代(大後寿々花)は、9歳の時に借金の形に置屋に売り飛ばされた。世界恐慌の頃である。
置屋はおかあさん(桃井かおり)と呼ばれる強欲なお女将が仕切っていて、千代は苛酷な下働きに明け暮れる。
千代は、先輩芸者の初桃(コン・リー)からいじめられれる日々を送っていた。それは初桃が幼い千代の芸者としての才能を見抜きそれに嫉妬していたからだ。

1

ある日、彼女は街で会長(渡辺謙)と呼ばれる紳士に優しく声をかけられ、かき氷を食べさせてもらいハンカチをもらった。そのことが忘れられず、千代は会長にもう一度会うために、芸者になりたいと思うようになる。

3

そして千代が15歳のときに、芸者の中の芸者と称えられる豆葉(ミシェル・ヨー)が、彼女を一流の芸者に育てたいと、お母さんに申し出る。豆葉は、流し目だけで旦那集をその気にさせる術を千代に伝授するのだった。豆葉の見込み通り、千代は芸者さゆり(チャン・ツーイー)として一流の芸者となり、数多くの男たちを虜にしていった。
やがてさゆりは、客として現われた会長と再会する。だが会長の親友である延(役所広司)がさゆりに魅了され、さゆりの思いとは裏腹に、水揚げは延が落札する。

4

そして、日本は太平洋戦争に巻き込まれる。
世の中は芸者遊びどころではなくなった。さゆりは芸者を引退し、田舎に疎開することになった。そして日本は敗戦する。
さゆりは他の芸妓より上に行こうと思っていただろうし、ゆくゆくはおかあさんの置屋を継いで、安泰な生活を送りたいと思っていただろう。
敗戦で何もかもがめちゃくちゃになった。

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終戦後、延がさゆりを迎えにくる。延は、さゆりと豆葉を芸者として復活させ、アメリカ人を接待させ、商売を有利に運ぼうと考えていた。延の考え通り商売は順調に運ぶ。しかし、いざ彼がさゆりへの思いをぶつけると、彼女はそれを頑なに拒否した。
やがて、さゆりのもとへ会長が現れる。ふたりはお互いに抱いていた長年の恋心を、そこで初めて打ち明けるのだった。

2

男は妻帯者、芸者はあくまで夜の女としての立場。これが純愛の物語となのだから、昭和は寛容な時代だった。
メインの芸者を演ずるチャン・ツーイーコン・リーは中国人女優、ミシェル・ヨーはマレーシア人であるが、中国系である。本作が封切られた頃、中国国内では中国人に芸者を演じさせるとは何事だとの騒動が起こった。芸者が売春婦であると誤解していたらしい。
もうひとつ、脇役には桃井かおり、工藤夕貴と日本人女優を当てている。それはいいとして、「メインの芸者にひとり日本人を起用すると、微妙な化学変化が起こり、もっといいものになったのではないか」というのは私の意見。→ブログランキングへ

『無頼化する女たち』水無田気流 

無頼化する女たち (新書y)
水無田 気流
洋泉社
2009年12月21日

本書は、主にバブル期以降のニッポン女性の生き方の変化について、社会情勢と対比しながら分析した女性論である。
著者のいう「無頼化」とは、旧来の伝統的な規範からの逸脱、<「孤高の」「自立した」「文化的規範の逸脱を厭わない」P58>という女性の生き方を指す。つまり、羽目をはずしたとか、とんがったとか、目立ったというようなことである。

第一章 ニッポン女子のハッピーリスクと「第一次無頼化」の到来
第二章 社会のゆがみとニッポン女子の「第二次無頼化」
第三章 女のパロディとしての「第三次無頼化」
第四章 サバイバル・エリートと婚活現象
第五章 『おひとりさまの老後』革命
第六章 ニッポン女子の無頼化現象が示す真実

著者は、バブル期、バブル崩壊から90年代、ゼロ年代は前半と後半に分けて、無頼化の変遷を提示している。

バブル期は、<これまで、日本の女性らしさは「引き算」で表現されることが多かった。控えめ、物静か、おしとやか・・・・・・。これが一気に「足し算」に反転したのがバブル期文化である。p28>ととらえている。著者は、バブル期において戦後ニッポン女子の「第一次無頼化」が起こったとしている。

バブル崩壊から90年代にかけては、「無頼化」が「病理」として現れたとし、「東電OL殺人事件」を例に挙げている。この事件は、東京電力の管理職にあった39歳の女性が、クラブのホステスとなり、やがて売春に走り、2009年3月にアパートの一室で殺害されたというショッキングな事件である。この時期を著者は「第二次無頼化」と名づけた。

ゼロ年代前半を「無頼化」は、「パロディ」や「自虐」であったとし、中村ウサギを登場させている。
ゼロ年代後半は「無頼化」を「サバイバル」に見られるとし、例として「婚活」や勝間和代を挙げている。ゼロ年代を「第三次無頼化」とした。

著者の訴えたいことは次の言葉に集約されている。
<いまだ、男性は女性の言葉づかいはもとより、あらゆる逸脱行為にうるさい。いや、女性たち自身も、女を許さず監視する傾向がある。美学(モラル)の問題は、日常慣れ親しんだ感性と直結しており、疑われないからこそやっかいなのだ。・・・・・女子というものは、これまでも、これからもつねに逸脱や無頼化の宿命を帯びている存在だ、とも言える。P216>

有史以来女性は、無意識のうちに仕掛けられた男社会の罠をかわしたり、あるいは蹴散らしてきた。蹴散らすことによって、つまり無頼化することによって、女性に課せられた規範のたがをすこしずつ緩めさせてきたと言える。本書は、一面から見た女性論として教科書的である。

→『無頼化する女たち』 水無田気流
→『関係する女 所有する男』 斎藤 環
→『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』 斎藤 環

『スリーウィメン』

スリーウイメン [DVD]
スリーウイメン [DVD]
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If These Walls Could Talk
監督:ナンシー・サヴォカ/ シェール
製作総指揮:デミ・ムーア/スーザン・ドット
音楽:クリフ・エデルマン
製作:アメリカ  2005年

HBO(アメリカのケーブルテレビ)のTVムービー。
時間を越えて、ひとつの家に起こる3人の女性の妊娠にまつわるオムニバス。

1973年、アメリカ合衆国最高裁判所のロー判決により、妊娠を継続するか否かはプライバシー権に含まれるとして、堕胎の権利が認められるようになった。
しかし、プロライフ派などを中心にキリスト教右派は、強鞭に中絶反対の立場を貫いている。
1992年には中絶医の射殺事件、1998年には中絶専門病院の爆破事件が起こっている。その後もこうした事件は跡を絶たない、という宗教国家アメリカならではの背景がある。時代設定が重要な鍵になっている。

1952年、看護婦のクレア(デミ・ムーア)は、亡くなった夫の弟に迫られれて妊娠してしまう。なんとか堕ろそうと薬を飲んだり、自分で掻爬を試みるが無駄であった。やがて、堕胎を請け負う人物と連絡がつく。。

1976年、大学に通う主婦のバーバラ(シシー・スペイセク)は、大学入学を控える娘を筆頭に4人の子供がいるのに、妊娠してしまう。彼女は、順調に進んいることを出産で中断しなければならないと悩んでいる。娘は母親に、数年前に合法化された中絶を勧めるが、バーバラの心は揺れる。。

1996年、教授との不倫関係で妊娠した大学生のクリスは人工中絶を決意する。病院の前にはプロライフ派の人々が押しかけて騒然とするなか、掻爬手術が始まろうとしている。。
3話目は産科医をシェールが演じ、監督も務めている。
この問題に、彼女はただならぬ思い入れがあるのかもしれない。→人気ブログランキング

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