エッセイ

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ

原題は「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」、邦題の『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』は、肩肘張らずに誰にでもわかるようにフェミニズムを説いている内容にぴったりである。
本書は、著者のTEDxEuston( 2012年12月)での、「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」と題したスピーチに加筆したもの。
2009年7月の同じくTEDxEustonでのスピーチ「シングルストーリーの危険性」も、センセーションを巻き起こした。その内容は、欧米諸国のアフリカに対するステレオタイプな見方に異議を唱えたものだ。
本書は、男女間の固定観念に縛られるのはやめようというのが趣旨である。それは、アフリカに対する見方を変えるべきだとする姿勢と一貫性がある。

男も女もみんなフェミニストでなきゃ
チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ/くぼたのぞみ
河出書房新社 2017年4月 ✳✳✳✳✳
売り上げランキング: 98,791

ビヨンセが「FLAWLESS」(2014年)の歌詞に、TEDxEustonでの著者のスピーチの一部をそのまま使った。〈女の子には小さくなれと教えてしまうのです。大志を抱いてもいいけれど、大概にしたほうがいい。成功を目指してもいいけれど、あまり成功しすぎると男の立場を脅かすことになるから気をつけて。・・・・・・〉
Diorが夏のファッションショー(2016年)で、「WE SHOULD ALL BE FEMINITS」と書かれたTシャツを着たモデルを登場させた。
スウェーデン政府が、本書を冊子にして16歳の子どもたち全員に配布した。
というように、世界が著者に同調したのだ。

著者は、辞書では、フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者であるとし、まずは子育て世代や教育者に、ひいてはすべての人びとにフェミニズムを実践してほしいと訴えている。
著者の結論は次のようだ。
〈わたし自身の、フェミニストの定義は、男性であれ女性であれ、「そう、ジェンダーには今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね、もっとよくしなきゃ」という人です。〉→人気ブログランキング

男も女もみんなフェミニストでなきゃ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2017年
アメリカーナ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2016年
明日は遠すぎて/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2012年
半分のぼった黄色い太陽/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2010年
アメリカにいる、きみ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2007年
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女の機嫌の直し方/黒川伊保子/集英社インターナショナル新書/2017年
沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択/サラ・パレツキー/山本やよい/早川書房/2010年

リムジン故障す

7月の連休に空路で新潟から鹿児島に向かった。日本列島が火にかけたフライパンのような空前の猛暑に見舞われた始めた頃だ。乗り換えの伊丹空港では、「気温は36℃です。水分補給を…」と高温注意情報がアナウンスされていた。伊丹空港からはプロぺラ機になり、気流の乱れで機体は揺れたが、無事に鹿児島空港に到着した。気温は32℃で、36℃に比べれば納得がいく暑さだった。

リムジンバスを待つ列に並ぶと、先頭が老女とゴールデン・レトリバーの盲導犬、2番目が4歳くらいの男児と若い母親、私は3番目であった。盲導犬は毛につやがなく尻の肉が落ちていて若くはなさそうにみえた。男児がちょっかいを出そうと盲導犬に近づいていったが、母親に止められて残念そうに踏みとどまった。盲導犬はバスのステップを楽々と登り、老女は係員の手を借りて登った。男児は手摺りにつかまりながらひとりでなんとか登った。老女と盲導犬が運転席の後ろの優先座席に、私はその後ろの席にすわり、母子は反対側の優先座席に陣取った。その後に、乗客が次々に乗り込んできて、補助席を出して隣りの客と肩が触れ合うくらいの寿司詰め状態になった。バスが発車し、シートベルト装着のアナウンスが流れたが、シートベルトを探すだけで隣りの客にぶつかりそうなので、装着しなかった。高速道路に入る前に再びシートベルトのアナウンスが流れたが無視した。

快調に飛ばしているバスの中でブシュッという聞き慣れない音がした。前の席の盲導犬がくしゃみをしたと思った。いくら従順な盲導犬とはいえ不意に襲う生理現象にはお手上げだなと思った。程なく先ほどと同じ音がした後、バスは高速道路の路肩に停車した。運転手がバスから降りて右前のタイアの周辺を点検した後、携帯電話を取り出して困惑顔で話しはじめた。乗客は誰も文句を言わず、ざわつきすらしなかった。唯一の例外は、男児が「パンク、パンク.‥」という歌らしきものをくりかえし口ずさみ、のべつ喋っていたことだ。

運転手がマイクで、このバスは電気系統の故障で走行できないので、乗り換え用のバス2台が向かっていると説明した。大事に至らなかったが、シートベルトを装着しなかったことを大いに反省した。バスが路肩に停まってから40分で代替のバスがやってきて、乗客の乗り換えもバスの胴体部分に積んだ荷物の移動もスムースに行われた。

バスが高速を降りて市街地に入ると、街が火山灰で霞んでいることに気づいた。終点にバスが着くと、老女は尻尾を振る盲導犬に誘導されてゆっくりと歩きだした。男児は母親に手を引かれて飛び跳ねながら歩いていった。雨がポツリポツリと落ちてきて、かすかに硫黄の臭いを含んだ風が吹き、少しだけ涼しくなっていた。

『京都ぎらい 官能編』井上章一

京都の歴史的な色欲ネタをピックアップして出来上がったのが本書。
女性とくに美人が政治の駆け引きに使われたり、まるで贈答物のように扱われたエピソードを書物から拾い出し、これでもかとばかり紹介している。女性には薦められない内容。
鎌倉の性的な魅力を伝える文芸は一つもないという。そのことを考えれば、京都には宮廷文化によって培われた色欲的な要素が多分にあったということだ。

京都ぎらい 官能篇 (朝日新書)
京都ぎらい 官能篇
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井上章一
朝日新書  2017年12月
売り上げランキング: 6,683

漱石は京都を小馬鹿にしていたことはよく知られているという。
『三四郎』の中で、主人公の三四郎が福岡から汽車で上京するさいに、女の乗客に誘惑されるが、その女が乗車してきたのが京都駅である。
漱石は京大の教授招聘を断っている。

1960年代半ばから京都観光の様子が変わってきたという。
新幹線の開通で女性客が増え、1970年代になると一人旅の女性が見られるようになった。そんな女性が、大学受験期の著者が住む奥嵯峨にも現れたという。それまで、京都は好色都市のレッテルが貼られていた。

京都観光の女性化は、とりも直さず色街のイメージの払拭であった。
しかし、そう簡単に払拭できるわけではない。ノーパン喫茶は大阪発祥と誤解されているが、実は、最初の店は1979年に京都の北郊、西賀茂に出店されたという。
最近は色欲とはかかわらない京都のイメージができあがっている。デオドラント化に成功した感がある。

著者は建築学を専門とする立場で唱える。
宮廷文化の精華である桂離宮の造形と、遊郭の揚屋の造りが酷似している部分があるという。この建築様式の類似は、宮中から一般民衆に、性がアウトソーシングされたことを示すと大胆に解釈している。→人気ブログランキング

京都ぎらい 官能編
京都ぎらい
関西人の正体
京都はんなり暮らし』澤田瞳子

晩春の落ち葉ども

晩春には、常緑広葉樹は葉が茂るに伴い、古い葉をだらだらと落葉し続ける。この時期、3面が道路に面しているわが家は、道路の落ち葉掃除に追われる。

わが家が面する道路のアスファルトは、目の粗い水はけのよい仕様である。家を建てたときに、市の条例に従い1メートルのセットバックを強いられた。セットバックした部分が砂利のままなので、舗装することにした。このとき、アスファルトに種類があるとは知らず、「水はけの良い方にしましょう」という建築会社の担当者の意見に従った。わが家の周りだけが目の粗いアスファルトになった。

アスファルトには、大まかに透水性と排水性の2種類がある。そのほかカラー仕上げや弾力素材を混ぜたりすることもできて、細かく分けると10種類以上もあるそうだ。町の幹線道路は排水性アスファルト仕様で、道路の中央が高く端にいくほど低くなっている。雨が降ると傾斜に沿って道路端の側溝や下水に雨水が流れ込む構造になっている。目が粗い透水性アスファルトは、雨が降るとそのまま染み込むようになっている。

家の正面は、低木のキャラボクを植え、さらにカクレミノを等間隔で10本ほど並べた。裏庭はウバメガシの生垣で囲った。垣根といえば『夏は来ぬ』に出てくる卯の花と思っていたが、「最近、卯の花の垣根は流行っていませんね。落葉樹ですから垣根には向いていませんよ」と、庭師にあっさり却下された。

ウバメガシは備長炭の原料となる硬い木質の雑木で生命力が強く、晩春にはこれでもかというくらい旺盛に落葉を繰り返す。ウバメガシの葉には山なりのカーブがあり、葉脈の先端が尖っている。尖ったところが粗い目のアスファルトに引っかかり、ホウキで掃いてもビクともしないことがある。ホウキの力に逆らい、チリトリとは別の方向に跳ねたりして、まるで意志を持っているかのように反抗的に振舞ったりする。さらに、塀のコンクリートの土台とアスファルトの隙間に刺さった葉は、手でつまんで取るしかない。これを1か月以上続けなければならないのだ。

近くの公園の卯の花が香る頃になると、ウバメガシの垣根に妥協しまったことを後悔する。→人気ブログランキング

『煙がにしみる 火葬場が教えてくれたこと』 ケイトリン・ドーティ

米国シカゴ大学でヨーロッパ中世史を専攻した22歳の女性が、サンフランシスコの従業員が数人の葬儀社に就職し、火葬技師として1年間勤務した。葬儀社を退職した後、葬儀学校で学び、葬儀ディレクターの資格を獲得する。その後、いくつかの葬儀社に勤務して経験を積んでいった。
死や遺体を扱うことがテーマなので、勢い暗くなりがちなところ、持ち前の果敢なチャレンジ精神と物事に真摯に取り組む姿勢により、陽気で説得力のある内容となっている。

煙が目にしみる : 火葬場が教えてくれたこと
ケイトリン・ドーティ
池田真紀子 
図書刊行会 2016年8月 ✳︎7

死は人間にとって、もっと身近なものであるはずというのがテーマ。
土葬には、大地が遺体を包み込み遺体を浄化してくれるという、人びとの願いが込められている。土葬が禁じられる州が出てきて、自然への畏敬の念が薄れてきた。米国の火葬率は年々増え続けているとはいえ、まだ3割程度である。

著者の、最初の仕事は、70代男性の遺体の髭を剃ること。もちろん、それまで男性の髭を剃ったことなどなかった。さらに、遺体の胸部に埋め込まれたペースメーカーを取り出す作業や、遺伝病で亡くなり大学病院で長期間保管されていたホラー化した女性の火葬などを経験していく。
なぜか、カリフォルニア州法では、遺族に引き渡されるのは原型を残した遺骨ではなく、砕かれた骨粉と定められている。遺骨は火葬の最終プロセスで粉骨機にかけられる。といったような、日常からひどくかけ離れた世界が待ち受けていた。

こうした経験から著者が訴えているのは、人間の死の自然なあり方だ。
人間は死んだ瞬間から腐敗がはじまる。〈何も処置いない遺体の顔は醜い。少なくとも、私たちの社会のきわめて不寛容な期待からすれば、観るのがつらい光景だ。まぶたは力なく垂れ、どこか遠くを見つめたままの眼球は時間とともに濁っていく。口はエドヴァルド・ムンクの『叫び』のごとく大きく開かれている。顔には血の気らしきもはまるでない。〉
遺体を生きているかのようにエンバーミングを施し化粧を加え、死を美化する風潮をそろそろ見直すべきではないかと、著者は訴える。遺族が遺体を洗い清め、死出の旅支度を整える作業を通して、変化していく死体を目の当たりにする。そうすることで残された人々は、大切な人を失った現実と向き合えるのではないかと訴える。

こうした考えに基づき、2015年に、著者は故人の生前の希望にかなった葬儀など多様なニーズに応える葬儀会社「Undertaking  LA」を設立した。また、マスコミを通じて死や葬儀に関する様々な情報を提供している。なお、YouTubeには、「Ask A Mortician」というチャンネル名で、数多くの動画がアップロードされている。。→人気ブログランキング

『関西人の正体』井上章一

本書は、『月刊 DENiM』に掲載された『関西学』(1993年1月〜95年2月)を中心にまとめられている。ベストセラー『京都ぎらい』(2015年刊)の底本といえる内容である。
およそ愚痴だらけだが、ユーモアあふれる理屈が次々と述べられるから、納得がいくのだ。そういえば、関西人ってそういうところあるわ、という「関西人あるある」を、独創的な視点で論じている。

たとえば、議論がもつれたときに、話の主導権を奪うために、関西弁を使う。絶好の武器になるという。この関西弁を、著者は「知をゆさぶる野生」と表現している。テレビのトーク番組で、関西の論客が使う常套手段だ。

関西人の正体 (朝日文庫)
関西人の正体
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井上章一
朝日文庫  2016年7月

あるいは、日本でいちばん助平な街はどこか?
東京の街頭取材で、5割強のひとびとが大阪を1位にあげた。大阪でのインタビューでは路上を行くひとびとの6割強が、大阪と答えた。大阪人自身が自覚している大阪助兵神話は根強く国民に浸透しているといえる。

関西という呼び名についての考察が面白い。
かつて、行政区分を表す用語として畿内や近畿地方が用いられた。それが最近は関西地方と呼ばれることが多くなった。その昔、関東は京から遠く離れた辺境の地という意味で使われた。辺境の地だった関東が首都圏へと格上げされたのだ。畿内から格下げされて関西地方と呼ばれている地方と、対照的であるという。

著者は、いわゆる大阪論、京都論の常套をこわすことをめざしているという。
頻回にテーマになっているのが、東京はえらい、没落した関西はえらくないという対比である。その理由を、歴史を紐解きつつ自虐的に分析している。それが、的を射ていてクスリと笑わせるのだ。

京都ぎらい
関西人の正体

「早弁禁止です!」

柔道部顧問の渡辺先生に張り倒されるので、誰も早弁をしなくなっていた。なにしろ渡辺先生はネアンデルタール系の強面で矢鱈がっしりしている。
進級して担任が西部先生に代わってから、早弁が横行するようになった。
「最近、午前中の休み時間にお弁当を食べる人がいますが、いけません」と、白いブラウスの襟を立て濃いグレイのタイトスカートをはいた西部先生は、体を上下に揺すりながら教室をぐるりと見回した。リズムをとるように体を揺するのは西部先生の癖だ。こほんと小さな咳払いをしてから、「職員会議で、このクラスが問題になっています。規則を守ってください。禁止ですよ!いいですね!」と、最後のところで語気を強めて声が裏返った。新婚の西部先生は生徒に舐められないようにと大きな声を出すが、それが裏目に出てしまう。あえて早弁という言葉を避けていた。

ご飯は弁当箱に詰められるだけ詰めた。
夏場はご飯の中央に腐敗防止の効果がある梅干がのせられた。アルマイトの弁当箱の蓋が梅干で腐食されると言われていたが、表面に腐食防止の加工が施されているらしく、そんな変化は一向に見られなかった。
弁当の包み紙は新聞紙だった。カバンの中でおかずの汁が染み出して教科書やノートにシミを作ったことがあってからは、厳重に包んだ。

底なしの食欲をもっていた年頃だから到底昼までもたず、2時間目の授業が終わる頃には空腹を覚え、10分間の休み時間に弁当を三分の一ほど腹に詰め込んだ。未来はなんとかなるとしか考えていなかったから、3限の終わりで弁当が空になることもしばしばであった。そういう時は友達の弁当をあてにした。
早弁する奴はひとりではないから、教室は弁当の臭いがこもって、誰かがたまらず窓を開けるのだった。
こうした状況に、不規則分子を摘み取ろうと、学校側は「早弁禁止令」を出したものの、効果は数日だけだった。
理由なく何かにつけむしゃくしゃする年頃で、「早弁禁止です!」と品行方正な女子が言ったところで、早弁を止めるはずもなかった。

ところが、ある朝、教室に西部先生とともに渡辺先生が現れた。
学年主任から教頭に昇格した渡辺先生は、風紀維持に圧倒的な強制力を持っていた。なにしろ有無を言わせずぶん殴るのだ。
「早弁禁止は、わかっってるな」と渡辺先生は普通のトーンで言った。誰も返事をしない。朝だというのに爛々と光る出目金気味のギョロ目で教室を見回し「早弁は禁止だ。わかったな!」と力でねじ伏せるように語気を荒めた。このままでは、鉄拳制裁に発展しかねないと判断した幾人かが、「はーい」と間が抜けた声をあげた。
西部先生は体を上下に揺すっている。渡辺先生は再度教室全体を見回し、数度うなづいて出ていった。
その日はわがクラスで早弁する者はいなかった。

『恋するフェルメール 37作品への旅』有吉玉青

フェルメール、フェルーメールと世間が騒ぐ前から、フェルメールの追っかけをやっていたと著者は胸を張る。昨日今日のにわかフェルメール好きとは、格が違うという。

著者のフェルメール作品との最初の関わりは奇妙なものだった。
ボストンにあるイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館にあるはずの〈合奏〉を見にいったことろ、係員から「it was stolen」と説明を受けた。〈合奏〉はその6ヶ月前、1990年3月18日に、2度目の盗難にあっていた。それ以来〈合奏〉は行方知れずのままである。

恋するフェルメール 37作品への旅 (講談社文庫)
有吉 玉青
講談社文庫 2010年9月

フェルメール・ラバーとしての矜恃がところどころに顔を出す。たとえば、フェルメールの絵を風俗画などと軽々しく呼んでほしくないとしている。また、〈フルートを持つ女〉は、フェルメールの時間が流れていないから、フェルメールの作品ではないと言い切ったり、〈ヴァージナル前に座る女〉は、はっきりいって下手だと、同伴者と確認しあったりする。フェルメールを本当に愛しているからこそ、よくないものはよくないと言えるとする。

フェルメール作品踏破物としては、本書(単行本は2007年7月刊行)の他に、『フェルメール全点踏破の旅』(朽木ゆり子 2006年9月)、『フェルメール 光の王国』(福岡伸一 2011年8月)がある。個人的に、この3冊を「フェルメール踏破物御三家」と呼んでいる。本書が他の2冊と異なるところは、多分に主観的な視点から書いていることである。

作者のベスト・フェルメールは〈牛乳を注ぐ女〉である。
よく指摘されていることだが、初期の作品にはフェルメールたらしめる構図や室内に満ちる光がないという。また、晩年の作品は額縁や布の質感に衰えが見られるという。

恋するフェルメール  37作品への旅』有吉玉青(2016.02.25)
フェルメールになれなかった男20世紀最大の贋作事件』フランク・ウイン(2014.04.09)
真珠の耳飾りの少女』(映画)(2012.11.04)
深読みフェルメール』朽木ゆり子×福岡伸一(2012.11.02)
フェルメール 静けさの謎を解く』藤田令伊(2011.12.21)
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国』福岡伸一(2011.10.28)

東京オリンピックを開催できるのか?

東京オリンピック・パラリンピック競技大会の招致決定まではよかった。
あれは、日本時間2013年9月8日、ブエノスアイレスでのことだった。IOCのジャック・ロゲ会長が、封筒から 「TOKYO 2020」と印刷された紙を取り出して、震える声で「トキョウ」と発表した。何度もテレビに流れているので目に焼き付いている。

同年12月19日に、それまで招致運動の中心にいた猪瀬直樹東京都知事が、徳洲会グループからの献金問題で辞職した。これがケチのつき始めだった。

招致決定にさかのぼること約1年前の2012年11月に、新国立競技場の設計は、国際コンペティションの最優秀賞を獲得したザハ・ハディッド女史のデザインに決まっていた。
いよいよ着工が迫った今年の7月になって、総工費が予定の1300億円をはるかに上回る2520億円であることが明らかになった。3500億円との試算も出てくるに及び、いくら何でも高すぎると、各方面から声が上がった。
この予算の中には、JSC(日本スポーツ振興センター)のビルの新築予算165億円が、ちゃっかり組み込まれていたことも大いに批判された。なお、8月10日の参議院予算委員会で、民主党の蓮舫議員がビル新築の問題を追求したが撤回はされていない。
最終的には、8月28日になって、政府がデザイン選定のやり直し、観客席は6万8千席、座席の冷暖房なし、総工費は1550億円と発表し、振り出しに戻った形になった。
座席に冷暖房をつけない代わりに、医務室には万全の設備を整えるという。医務室は手を抜いてもいいから、冷暖房はつけたほうがいいと思う。

次に待っていたのは、オリンピックのロゴマーク事件である。
7月24日に、大会組織委員会から佐野研二郎氏の作品が、公式エンブレムに決定したと発表された。ところが29日には、ベルギーの劇場のロゴに似ているとして現地のメディアで、盗作疑惑が報道された。30日になると、劇場のロゴを作ったデザイナーが法的手段を取ると発言し、ただ事では終わらない状況になった。

8月26日、審査委員の代表が、現在公表されているデザインは、佐野氏の応募案を一部修正したものだと明かした。つまり、ベルギー劇場ロゴとは似ていなかったと述べた。審査委員会は、デザインを修正するよう2度要請したという。この業界では、コンペティションの受賞者に対して、主催者がデザインの変更を要請することが当たり前に行われているのだろうか。ことさら著作権を重んじる印象があるデザイン業界において、デザイン変更の要請が行われたことに、大いに違和感を覚える。

8月28日、エンブレム選考委員が、記者ブリーフィングに応えて選定過程を公表したが、委員の構成は佐野氏と関係が浅からぬ人物が多く、かえってデザイン選定の過程に疑問が持たれる結果となった。
一連のエンブレム盗作騒動の間に、佐野氏の事務所が手がけたほかのデザインに、パクリ疑惑が次々に指摘され、その数は20例を上回る数になった。ダメ押しのパクリは、エンブレムの展示例を示した2枚の写真であった。羽田空港内と渋谷のスクランブル交差点の写真は、どちらも個人のブログから拝借したものだった。ここまでくれば、エンブレムが佐野氏のオリジナルであろうがなかろうが、完全に信用は失墜し、デザインの取り下げは時間の問題となった。
9月1日、ついに、JOCは佐野氏のデザインの使用中止を発表し、デザインの選考もやり直しとなった。

日本人は何をやらせても、まともにそつなく実行できるというのが、今までの評価だったはずである。ところがこの体たらくだ。各国の有力新聞はこぞって、「日本は焼きが回った」と報道した。まったく情けないかぎりである。

そもそも船頭が多過ぎる。文科省があって、オリンピック担当大臣がいて、天下り先に見える日本オリンピック委員会(JOC)があり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会があり、さらにどさくさに紛れて、文科省の外局にスポーツ庁なるものができつつあり、鈴木大地氏が初代長官なるというのだ。都庁の中にも準備局がある。誰が一番上にいるのか序列をはっきりさせるべきだ。そしてふたつの騒動で被った金銭的損失をどうするのか、公表すべきだろう。

この騒動で問題になったのは、いつものことだが誰も責任を取らないことである。日本国には、いつの間にか自己責任の発想がなくなり、誰も責任を取らない仕組みが出来上がった。今回の騒動には、利権に群がる金の亡者たちが見え隠れしていることは、誰もが気づいていることだろう。

もうひとつ問題がある。オリンピックの開催期間を「7月24日から8月9日」にしたことである。もっとも気候が安定している時期であることが、選定の根拠というが、まともな神経を持ち合わせている人間が決めたこととは思えない。
灼熱地獄の東京で、競技をできるのだろうか。あるいはまともに観戦できるのだろうかと不安が募る。しかも、メイン会場の新国立競技場の観客席には冷房をつけないという。死者が出るのではないか。
悪いことは言わない、暖房はつけなくともいいが、冷房はつけた方がいい。

忘れもしない、1964年の東京オリンピックの開会式が10月10日になったのは、気候が安定していることが理由だった。気候が過去の経験値とは、まったく違ってきていることは十分に承知しているが、よりによって日本の最も暑い時期に開催するのは、合理的とは思えない。

例えば、アメリカのイリノイ州の白人一家3世代3家族がオリンピック観戦に日本を訪れたとしよう。
新国立競技場での陸上競技観戦中に、その一家の72歳の老婦人が熱中症で倒れ意識が混迷した。
かつて、冷暖房を備えない代わりに万全な設備を整えると明言された医務室で、応急措置が滞りなく行われたものの回復せず、救急車で都内の病院に搬送された。
しかし、老婦人は意識が戻ることなく死んでしまった。
パラリンピックが終わり秋風が吹きはじめた頃に、シカゴの辣腕弁護士を通じて、遺族が100万ドルの損害賠償の訴訟をJOCに対して起こしたのである。
このことが世界中で報道されると、死に至らないまでも熱中症に罹ったのは、新国立競技場の行き届かない設備のせいであるとの訴状がJOCに続々と届き、その内訳は米国から5件、EUから3件、中国から10件、韓国から4件、国内からも3件となった。このうち死亡に至ったケースは、米国人が計2件、中国人1件、日本人1件である。
というようなことが起こったら、どうする?

ともかく、オリンピック開催までに、これ以上の不祥事が起こらないことを望むばかりだが、どうなることやら。 →人気ブログランキングへ

フェルメール帰属『聖プラクセディス』

国立西洋美術館の常設展に、今年の3月から『聖プラクセディス』(1665年ごろ)が展示されている。『聖プラクセディス』はヨハネス・フェルメール(1632~1675年)の作とされ、昨年7月に、ロンドンでのクリスティーズの競売で、日本人が約11億円で落札した。本作品のタイトルの下には、フェルメール「作」ではなく、「帰属」と書かれている。本作品は、フェルメールの作かどうか専門家の間で意見が分かれているため、国立西洋美術館が配慮して、「帰属」という見慣れない単語を使ったのである。

クリスティーズがフェルメールの真作として本作品を競売にかけたのは、白色絵の具に含まれる鉛の同位体比が、フェルメールの初期の作品に使われている白色絵の具と同じであったという分析結果による。フェルメールの作ではないとする専門家の主張は、本作品はイタリアのフェリーチェ・フィチェレッリが描いた『聖プラクセディス』と構図がまったく同じで、フェルメールではない誰かが模写したと思われるが、フィチェレッリの作品がイタリアから国外に出た形跡はなく、またフェルメールは恐らくイタリアを訪れていないはずだとする。ただし、フェルメール作では左手に十字架を持っている。

私の推測だが、フェルメールの真作と認めることに慎重な風潮は、もうひとつの理由があると思う。ヨーロッパで第2次世界大戦が終焉した1945年7月に発覚した、オランダのハン・ファン・メーヘレンによる美術史上最悪の贋作事件があるからではないだろうか。ファン・メーヘレンは、敵国ナチス・ドイツのナンバー2であったヘルマン・ゲーリングに、フェルメール作とされる『姦通の女』を売った容疑で国家反逆罪を問われ逮捕された。裁判の過程で明らかにされたのは、『姦通の女』はファン・メーヘレン自身が描いた贋作という仰天の事実であった。また、当時の高名な美術評論家がフェルメールの真作と褒め称え、オランダの国宝級の作品に祭り上げられた『エマオの食事』も、ファン・メーヘレンの手によるものだった。
この事件は、『フェルメールになれなかった男』(フランク・ウイン、ちくま文庫)に、詳しく書かれている。

殉教者の流した血を布でふき取り壺に入れる聖女が描かれた『聖プラクセディス』からは、気のせいかもしれないが、オーラが放たれているように見えた。→人気ブログランキングへ

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