ノンフィクション

2022年2月 1日 (火)

プロレス少女伝説 井田真木子

第22回(1991年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作(同時に受賞したのは家田荘子の『私を抱いてそしてキスして エイズ患者と過した一年の壮絶記録』)。
有名なエピソードだが、立花隆はこの作品を「どうでもいいことを巧みに描いた典型」『文藝春秋』(1991年5月号)と評した。
Photo_20220201084401プロレス少女伝説
井田真木子 
文春文庫 
1993年 350頁

著者は、1983年、女子プロレスの観客に異変が起きていることに気づいたという。
中年男性の他に、小学生も混じえたローティーンの少女の一群を見るようになった。そして、あっという間に中年男性と少女たちは数で拮抗するようになっていった。そしてヤジを飛ばす男たちに少女たちは「カエレ」コールを浴びせるようになった。
つまり、エロ目線で女子プロレスを観ていたオヤジたちが、女子プロレスラーをヒーローと称えるローティーン女子の熱狂的なプロレス愛に、試合会場からはじき出されたのだ。
この後、ティーンエイジャーの少女たちの間で女子プロレスが熱狂的なブームとなる。

著者は80年代に活躍した4人のヒロインたちに直接インタビューを行なって、本書を書き上げた。
その4人とは、中国籍だった天田麗文、白人の父親と先住民族の母親から生まれたアメリカ国籍のデブラ・アン・メデューサ・ミシェリー、柔道の日本チャンピオンだった神取しのぶ、そしてライオネル・飛鳥と組んでクラッシュ・ギャルズとして空前の人気を博した長与千種である。

日米の女子プロレスの歴史に触れている。
アメリカでは、女子プロレスは男子プロレスの前座的なものでしかなく、つけ足しであり、性的な見せ物の要素が強く、そこから発展しなかった。
日本には江戸時代から女相撲という人気の興行があり、男の大相撲から興行差し止めの願いが出されるほど人気があったという。そうした素地が、日本の女子プロレスを独自に発展させたと著者は分析している。

ところで、タイトルが『プロレス少女伝説』と、なぜ「少女」なのか。多くの女子プロレスラーがプロレスと関わったのは10代である。そして20歳代後半で引退していく。さらにファンの年齢は、少女に属するものだった。「少女」にした意味はそこにある。

立花隆の論評は続く。「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと私には全く関心がない」と続けた。
いくらなんでもの論評だが、これはあるパーセントの人が抱くプロレスのイメージだろう。プロレスを蔑視している人はいる。

最近プロレスを観ることはないが、力道山に歓喜しプロレスごっこで遊んだ団塊の世代の私は、プロレスに恩義があると思っている。プロレスには演技の部分が多数あることは、当時の小学生にすらバレていた。それでも大人も子どもも熱狂したのである。要は試合のストーリーに観客を納得させるものがあればいいのだ。それだけだ。→人気ブログランキング
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2021年2月26日 (金)

チョンキンマンションのボスは知っている

著者は立命館大学教授、文化人類学者。
著者のフィールドワーク「力」は凄い。武器は旺盛な好奇心と行動力そしてスワヒリ語だ。女だてらに(差別語か?)、魔窟と呼ばれる香港のチョンキンマンションにひとりで長期間滞在して、調査を進めた。
著者は、本書で2020年度の大矢壮一ノンフィクション賞と河合隼雄学芸賞を受賞した。
Photo_20210226082201チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学
小川さやか
春秋社
2019年 ✳︎10

著者は、幸運にもスワヒリ語を話せるということで、カラマというチョンキンマンションのボスに出会うことができた。
カラマは51歳、中古車ディーラーである。2000年代初頭にタンザニアから香港にやってきた。香港ではビザなしで3ヶ月滞在できるから、中国本土やマカオに出て香港に再入国することを繰り返し、香港に長期滞在した。
タラマは儲けた金で、郷里で様々な事業に投資した。農地を購入し農産物加工工場を建設し、親族経営のガソリンスタンドを経営し、スーパーマーケットを建設中である。地元の子ども達に服を贈ったり慈善活動もしている。

カラマのスマホのアドレス帳には、タンザニアの上場企業の社長や政府高官からドラッグディーラーから売春婦、元囚人まで多種多様な知人・友人が登録されている。
カラマのところには毎日のようにタンザニア人が相談にくる。カラマはこれまで見ず知らずの若者を含め膨大な数の人間を世話してきたが、「ついでに」適当にやっているからできるのだという。

チョンキンマンションは5棟で構成されていて、1、2階は店がひしめき合い、3階から17階までは安宿が入っている。刑期を終えた人物や、難民や亡命者、不法滞在者、売春婦たちが住んでいる。彼らは何か起きたときに正規のルートを頼ることは難しい。タンザニア香港組合が結成されるきっかけとなったのは、タンザニア人の死だった。
遺体を母国に送ろうにも、家族に経済的な力がない。そこでカラマが代表を務め、書記官と5人の委員を選出した。彼らは中国と香港に滞在していたタンザニア人たちに寄付を募り1万1000ドルを集めることに成功し、遺体を無事家族の元に届けた。その後定期的に会合を持つようになり、タンザニア香港組合が発足した。
やがてタンザニア人だけではなく、ケニア人、ウガンダ人も加えた東アフリカ共同体香港組合が設立された。

脛にキズをもつ者が商売をして行くには、通常社会とは違ったルールが存在して当然だろう。彼らはフェイスブックやインスタッグラムなどの複数のSNSのプラットフォームを活用して「TRUST」という仕組みを構築した。ブローカーが商品を購入する資金が足りないときは、「TRUST」を通じクラウドファンディングから資金を調達して顧客に商品を売る。その儲け分はファウンディングの出資者にも分配される。専用のサイトがあるわけではない。顧客は「THRUST」を通じて購入する場合もあるし、香港まで来てブロカーが同行して購入することもある。

航空会社の優待メンバーになれば手荷物や受託荷物の制限重量も増える。スーツケースの空きスペースに、「ついでに」売ろうとする携帯電話を入れてもらうのである。
「ついでに」いかに便乗するかが重要なのだ。コンテナの隙間に鉄筋を積んでもらい、それがたまり、ビルを建てるしかないなということになって、ホテルを立てることにしたと、カラマはいう。相手は「ついでに」の見返りは求めない。

商売のためにSNSで、羽振りの良さを喧伝していることもあって、香港のタンザニア人多くは、実態はどうあれ母国の人々には、海外でぼろ儲けしていると思われている。
インスタグラムの写真や動画によって築かれるのは、「見せかけ」「まやかし」による信頼である。少なくとも星印や点数と違い、自己顕示力や承認要求、趣味や個人的な好き嫌い、心情や主義、日々変化する喜びや悲しみなど全てを盛り込んだ、より生々しい姿を通じ、すなわち数値化できない個人に対する人格的な理解や関心を基本として、商売を動かしている。
香港のタンザニア人たちは他者への支援に関わる細かなルールを明確化していない。彼らは効率性や便宜性をともに生きることを、より優位に置いたり信頼の格付けを目指すのとは違う回路で商売を実践している。

そして、私たちは必ずしも危険な他者や異質な他者を排除しなくともシェアできるということを考える一歩になれば幸いだという。→人気ブログランキング

2021年2月17日 (水)

現代日本を読むーノンフィクションの名作・問題作

大宅壮一ノンフィクション賞は1970年に創設された。本書は大宅壮一ノンフィクション賞受賞作を中心に解説している。
ニュースは事実を伝える。小説は作者の内面から出てくるものを伝える。ノンフィクションはその中間にあるという。ニュースに近くなれば無味乾燥な情報でしかなくなるし、小説に近づき過ぎれば作り手の主観が入りすぎるものとなってしまう。
ノンフィクションの話題作をみれば、その時代が見えてくる。
Photo_20210217082201現代日本を読むーノンフィクションの名作・問題作
武田徹
中公新書
2020年

水俣病を世に知らしめた『苦海浄土』を書いた石牟礼道子は、第1回(1970年)の大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退した。その理由は「一人でいただく賞ではない。水俣病で死んでいった人々や今なお苦しんでいる患者がいたからこそ書くことができた。わたしには晴れがましいことなど似合わないので断る」というもの。
『苦海浄土』は著者の聞き書きと捉えられていたが、実際は創作であった。著者はこの作品がノンフィクションの賞に値するか自信が持てなかったのではないかと、分析する。
『苦海浄土』が連載された同人誌の編集長であった渡辺京二は、『苦海浄土』は私小説であるといっている。ところが、『苦海浄土』は公害告発本として祭り上げられた。石牟礼道子は賞を辞退したことにより、住民たちが見たもの、感じたことを自分の内面を経由してリアルなものとして、描く特権を認められたのだという。

第2回(1971年)受賞作は、イザヤ・ペンダサンの『日本人とユダヤ人』。
最初は外務省で読まれ、次に通産省や大蔵省に飛び火した。出版社は山本七平が運営する零細の山本書店だった。初版2500部だったが、最終的には角川文庫を含めて300万のベストセラーになった。
この後イザヤ・ペンダサンは、朝日新聞の本多勝一と誌上で激論を交わすことになる。
この論争を機に、イザヤ・ペンダサンの正体を暴く動きが加速する。イザヤ・ペンダサンは山本七平であると正体が明らかになっても、山本七平は自ら名乗らなかった。

1979年、沢木耕太郎の『テロルの決算』が大宅壮一賞を受賞した。『テロルの決算』は公安にマークされていた右翼活動家山口二也が、1960年10月12日に社会党委員長浅沼稲二郎を暗殺した事件を扱ったものである。
ニュージャーナリズムについて、ノンフィクションライターを自認する沢木耕太郎は、①《全体への意志》と、細部の持つ面白さを起爆剤として物語を推進させる。②《細部への執着》の2点にある。
アメリカでは「ニュージャーナリズムは見てきたような嘘を書く」といわれた。語り手が物語の外にいて、登場人物が三人称に描かれるのが、ニュージャーナリズムの文体である。

ノンフィクションとジェンダーの章では、『誰も書かなかったソ連」(鈴木俊子)『淋しいアメリカ人』桐島洋子、『なんで英語やるの?』中津燎子、『私を抱いてそしてキスをして』家田荘子、『プロレス少女伝説』井上真木子、が紹介されている。

『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史、2004年受賞)は、進行性筋ジストロフィーの患者が、バナナを食べたいと言った時に、ボランティアの介護者がつぶやいた言葉がタイトルになっている。ボランティアも筆者もこのカリスマ的な病人の暴君ぶりに振り回される。そして読み終わると介護のノウハウを体験できる「ビルドゥングスロマン(教養小説)」であるとする。

そして相反するアカデミズムとジャーナリズムについて言及する。アカデミズム界の住人が、俗に流れがちなマスコミ関係者を見下し、逆にジャーナリズム側ではアカデミズムの人々の世間離れを嘲笑することが繰り返されている。

『美しい顔』(北条裕子)は、2018年に群像新人文学賞を受賞したが、厳しい非難にさらされた。『美しい顔』は創作小説である。 高校生の頃、準ミスに選ばれたことがある私は、震災で母が行方不明になり、母を探す娘としてマスコミの注目を浴びる。そして母が下半身を失い、顔を半分無くした姿で発見されるが、化粧を施され美しかったという内容だ。
他の作品からの転用があり盗用疑惑が持ち上がり、セーフかアウトかが微妙な作品である。
『救急精神病棟』(野村進)も、ノンフィクションかフィクションかが問題となる。書き手の意志と読み手の受け取り方による。

〈『捏造の科学』は犯人探しを焦るのではなく、構造的な問題の究明に重点置くことになった。事実を淡々と追うのではなく、そこにあった人々とのさまざまな関わりを総合してゆくことで先端科学の世界の全体像を描き出す。こうして"事件"を契機に科学報道から科学フィクションへと筆を進めた〉という須田桃子の姿勢は、犯人が確定していない事件の的を射た描き方だとする。

著者はあとがきのなかで、〈物語を構想するノンフィクションの想像力は、ジャーナリズムの事実的な文章に文脈を与える。ストレートニュースであれば、孤発例としか思えなかった断片的な事実が、長い時間、広い空間のなかでつながりを得て、ひとつの事件の全体像を作り上げる。こうして断片的ではない出来事、事件、人物そのものと対面できる。それは紛れもなくノンフィクションの最大の魅力であろう。〉と、書いている。→人気ブログランキング

現代日本を読むーノンフィクションの名作・問題作/武田徹/中公新書/2020年
女帝 小池百合子/石井妙子/文藝春秋/2020年
チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学/小川さやか/春秋社 /2020年
合成生物学の衝撃/須田 桃子/文藝春秋/2018年

2020年7月 7日 (火)

女帝 小池百合子 石井妙子

最初に、2016年の都知事選のエピソードが語られる。
公開討論会で鳥越俊太郎が「わたしのこと『病み上がりの人』と言いましたね」と問い詰めると、小池百合子はいけしゃーしゃーと「言ってません」と突っぱねたという。このエピソードが小池百合子を象徴している。つまり、平気で嘘をつくという性癖である。

小池百合子はカイロ大学を首席で卒業した才媛という触れ込みでテレビに登場し、経済番組のキャスターとして人気を集めた。その後、政治家に身を転じ、日本新党、新進党(自由党)、自民党と政党を渡り歩き、環境大臣、防衛大臣を歴任した。閣僚から外されると、自民党の反対を押し切って東京都知事選に立候補した。その後、自民党を除名されるも、希望の党の党首となって都知事選で圧勝し、次期首相候補といわれるまで権力の階段を登っていった。
ところが、希望の党への民主党からの入党希望者の人選をめぐって、「(安保、改憲で一致しない人は)排除する」と述べた。この「排除する」という言葉を発したことで、小池は求心力を失っていった。

Image_20200707154201 女帝 小池百合子
石井妙子
文藝春秋
2020年 ✳︎10

著者は、小池がカイロで過ごした5年間のうちの2年間、同居していた早川(仮名)さんを取材している。小池を訪ねてアパートにはしょっちゅう男が現れたという。
ペルシャ語は口語と文章体が異なり、文章体を読みこなすのはエジプト人でも大変なことで、日常会話がやっとできる程度の語学力ではカイロ大学の進級は不可能だという。ましてや、勉強をほとんどしなかった小池が卒業できるわけがないという。
今回の取材の後、小泉さんはカイロの地で身の危険を感じ、日常生活をまともに送られないほど怯えたことがあったという。

著者は、小池が週刊誌などで公開した卒業証書や卒業証明書について、細かく分析している。飛行機事故に2回遭遇しそうになって免れたエピソードは、事故の日時と小池が搭乗したとする飛行機とを調べてみると、時間的な齟齬があるという。また卒業を記念してピラミッドの頂上で着物を着てお茶を立てたとする2枚の写真について、疑問を投げかけている。なにしろ小池は胡散臭いことこの上ない。
小池の卒業についてカイロ大学に問い合わせると、小池が在籍した文学部ではなく日本語科の係が対応し、卒業してますと答えるという。エジプトは軍事政権下にあり、日本からODAによる無償の多額の金が入っている。小池はエジプトをしばしば訪れ要人と会っているという。そんな人物の過去をほじくり返したところでエジプトになんらメリットはない。

小池の手法はその組織のトップに近づき、その人物の承認を得たかのような言動で組織を引っ掻き回す。自分の功績はどんな小さいことでも大々的に喧伝する。選挙公約は反故にする、かけられた恩を仇で返し、被った被害は倍にして返す。同僚や部下を下に見て平気で無視したり馬鹿にしたりする。だから周りからの信頼はえられない。

著者は、緻密な取材と冷静な分析と落ち着いた確かな文章力で、小池の半生を明らかにした。小池をここまでにしたのは、小池の嘘を追求しきれなかった日本のマスコミであり、男が牛耳ってきた日本の政治構造であるという。
小池の生き様は、有吉佐和子の『悪女について』の主人公を彷彿とさせる。このような人物が都政のトップにいつまでもいていいのだろうか?というのが正直な感想である。
第52回(2021年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞。→人気ブログランキング
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2018年6月 5日 (火)

合成生物学の衝撃

2010年3月、ワシントン州ロックビルにあるベンダー研究所で、人工ゲノムを移植した細菌(マイコプラズマ・ジェニタリウム)の培養皿に明るい青色のコロニーが出現した(表紙写真)。コロニーのゲノムには、前もって組み込んでおいた「すかし」(研究者のたちの名前やメールアドレスなど)があることが確かめられた。生命の維持に欠かせない最小のゲノムは何かを追求する「ミニマル・セル・プロジェクト」が、20年の歳月をかけて、人工ゲノムから生物を誕生させたのだ。→クレイグ・ベンダー:人工生命について発表する(TED Ideas worth speading)

合成生物学ついて、STAP細胞の騒動の顛末を記した『捏造の科学者』で大宅壮一ノンフィクション賞や科学ジャーナリスト大賞を受賞した著者が、精力的なフィールドスタディをもとに合成生物学の現状を解説する。

Photo_20210110171601合成生物学の衝撃
須田 桃子
文藝春秋 
2018年

MITの学生トム・ナイトは、1990年頃までに、「ムーアの法則」に物理的な限界がきていることに気づいていた。「ムーアの法則」とは、集積回路の上のトランジスターの量(ICの処理能力)は18か月ごとに倍になるというもの。「ムーアの法則」の限界は生物を使えば乗り切れるかもしれないと考えた。
ナイトがやろうとしたことは、トランジスターとシリコンチップに代えてDNA入れ、細菌(大腸菌)を用いて生物マシンを作ることであった。そして、規格化したDNA部品「バイオブリック」を考案した。
今や、毎年、生物版のロボコンである国際学生コンテスト「iGEM」が開催されている。
カタログに登録されたバイオブリックを利用して生物マシンを作り競う。当初は100個余りだったバイオブリックは、2017年現在2万個以上が登録され、機能的に分類されている。バイオブリックはプログラミング言語と同じであり、今は言語開発のごく初期の段階にいるという。

遺伝子の中には次世代へ50%以上の確率で受け継がれる利己的遺伝子(ジェンキンスが唱える利己的遺伝子とは異なる)がある。代を重ねていけばその種は利己的遺伝子で占められることになる。これが遺伝子ドライブである。
ゲノムを自在に編集する技術「CRISPR-Caa9(クリスパー・キャスナイン)の開発により、ゲノムの編集作業が飛躍的に簡素化された。人工的にはRNAとクリスパー機能(遺伝子を切断して別のDNAを差し込む)を持った遺伝子を組み込むことにより、人為的に遺伝子ドライブをを起こさせる。
例えば兵士を派遣した場合、兵士を感染症から守るために、その地域に生息する有害な昆虫を遺伝子ドライブするようなことが行われるかもしれない。

合成生物学の最大の資金源はDARPA(国防高等研究所)である。国防総省が合成生物学に投資することが、生物兵器の開発につながりはしないかという点で問題である。DARPAを取材した著者は、アメリカの多くの研究開発が防衛目的の予算で賄われていることは大きな問題をはらんでいると指摘する。DARPAは、終身雇用資格を獲得した大学教授がその身分をなげうって集まるような魅力的な職場だという。

合成生物学は倫理上のさまざまの問題にぶつかる。臓器移植用のクローン人間たちを描いていたカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』について述べ、研究者たちが倫理的課題を解決しないまま突っ走る現状に著者は警鐘を鳴らしている。→人気ブログランキング

合成生物学の衝撃/須田桃子/文藝春秋/2018年
ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃/小林雅一/講談社現代新書/2016年
エピジェネティクス/仲野 徹/岩波新書/2014年
破壊する創造者ーウイルスがヒトを進化させた/フランク ライアン/ハヤカワNF文庫/2014年
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007年

2017年5月 2日 (火)

ニュースの真相

2004年秋、米テレビ3大ネットワークのひとつCBSの『60ミニッツⅡ』の名物アンカーマン、ダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)が降板するに至った。当時、ブッシュ大統領は再選を目指し、民主党の候補ジョン・ケリーと競っていた。
番組のプロデューサー、メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)は、同じ年にイラクの刑務所での捕虜虐待を報じ、賞を獲得した辣腕ジャーナリストである。ダン・ラザーとは父娘のような信頼関係で結ばれている。
原作はメアリー・メイプスの手記である。

ラザーやメアリーが若いスタッフに投げかける「どんなに批判されても、メディアが質問をしなくなったらこの国は終わりだ」という言葉は何回も語られる。

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監督:ジェームス・ヴァンダービルト
原作者:メアリー・メイプス
音楽:ブライアン・タイラー
製作国:アメリカ  2015年  125分

事の発端は、ブッシュが若い頃、父ブッシュの力でベトナム戦争行きを免れたのではないかという疑惑である。ブッシュの軍歴詐称はほかのメディアも追いかけていた。メアリーのもとに、ブッシュの軍役逃れを示す1枚の書類が舞い込んだ。メアリーは書類の真偽を確かめるべく奔走するが、功を焦ったのか最後の詰めが甘いまま、ブッシュの軍歴詐称疑惑を放送してしまった。

放送後、大反響を巻き起こすが、ブロガーから「書類は偽造」と指摘され、批判が高まっていく。メアリーたちは再調査に奔走するが、書類の信憑性に疑問が残った。

170501

社の上層部は報道機関としての信用を失墜させたことで、メアリーたちを厳しく追及した。
内部調査委員会で、何人もの弁護士を前にして取材メンバーは調査を受ける。
「コピーの信憑性は?」「証言者の裏をどの程度取ったのか?」「筆跡の鑑定を行ったのか?」「なぜ、書類を真正と断じたのか?」
少しでも返答に詰まると、質問が矢のように浴びせられる。内部調査とはいえ、厳しい糾弾の場だった。

調査が終了し、弁護士たちが席を立とうとした時、メアリーは「書類の真偽」や「証言の信用性」の枝葉末節なことばかりが追求されたが、明らかにしなければならないブッシュの軍歴詐称疑惑には、少しも触れていない。何も解決されていないと調査団に噛み付く。
メアリーたちの行動は、故意に行われたものではないと判断されたが、処分は非情なだった。
メアリーたちは、圧力に屈することなくジャーナリストの矜持を貫いたが、勇み足が命取りになった。→人気ブログランキング

2014年4月10日 (木)

フェルメールになれなかった男 フランク・ウイン

本書は美術史上における最悪の贋作事件を引き起こしたハン・ファン・メーヘレンの半生を描いたノンフィクション小説である。美術界は贋作との戦いであり、その根絶は絶望的であることを知らしめている。

第2次世界大戦が終焉した1945年7月、オランダのファン・メーヘレンは、敵国ドイツのヘルマン・ゲーリングに絵画を売った容疑で国家反逆罪を問われ逮捕された。フェルメール作とされる「姦通の女」の売買証明書が提出できなかったからだ。この絵はさる貴族の婦人からファン・メーヘレンが極秘裡に売却を頼まれたものということになっていたが、実はファン・メーヘレンが描いた贋作であった。

Photo_20201104144801 フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件
フランク ウイン
小林賴子/池田みゆき 訳 
ちくま文庫 
2014年

ファン・メーヘレンは、キュビズムやシュールレアリズムなどの美術史の流れに逆らうようにヴァン・ダイク風の肖像画を描いていた。写実を追求する彼の絵は古典主義の寄せ集めと批判された。生まれた時代が悪かったのだろうか。

フェルメールの作品にはまだ発見されていない宗教画が何点かあるはずだというフェルメール作品待望論に、ファン・メーヘレンは目をつけたのである。
美術評論家や鑑定家を欺くためには、フェルメールらしい題材でなければならない。さらにキャンバス、絵の具は17世紀の物でなければならないし、作品が描かれてから300年が経過している経年的変化、つまりヒビ割れがなければならない。ファン・メーヘレンは、古い絵画の修復の仕事に携わっていたことがあった。また絵の具を原料から作り出す技術を、高校の美術クラブで身につけていた。さらに、彼は実験を重ねた結果、それらしいヒビ割れを作る老化技術を編み出したのである。
(左:姦通の女  右:エマオの食事)

140410

こうして怠りなく下準備をした後にファン・メーヘレンが描いた「エマオの食事」は、当時の高名な美術評論家が真作と褒め称えたのだった。その見立てに従った研究者たち、センセーショナルに煽り立てたジャーナリズム、そして美術コレクターや愛好家たちによって、「エマオの食事」はオランダの国宝級の作品に祭り上げられてしまった。
法廷で、ファン・メーヘレンは「エマオの食事」はじめとするいくつかのフェルメール作とされていた作品を、自分が描いた贋作であると証言した。しかしオランダ美術界はその自白を受け入れることができず、ついには、ファン・メーヘレン自身が法廷で贋作を描いてみせたのだった。

本書の序説では、本題とは別の、これも世紀の贋作事件と呼ぶにふさわしいヒェート・ヤン・ヤンセンの事件に触れている。
1994年、ヤン・ヤンセンはシャガールの贋作の来歴書にスペルミスをしてしまい、それが原因でフランス警察に逮捕された。
ところが絵画の所有者が名乗り出ず、裁判を開くまで6年もかかっている。贋作者が逮捕されても、贋作を所有している人物からの協力が得られないことが多い。その理由は所有者は本物と思っているか思おうとしているからである。贋作だとすればメンツが潰れる。あるいは贋作だとしてもその作品が気に入っている、という理由で名乗り出ないのである。
ヤン・ヤンセンは、ピカソやマチス、デュフィ、ミロ、ジャン・コクトー、カーレル・アベルなどの画家の作品を偽造したことを認めている。この事件で押収された作品は1600点であったが、それは彼が20年間に製作した贋作のわずか5%にすぎなかった。「ピカソの作品総目録を開くと必ずそこに私の絵が載っている」とうそぶいたという。

著者が紹介する、バルビゾン派の画家テオドール・ルソーの次の言葉は贋作についての象徴的な言葉である。「われわれはみな、見抜かれてしまう出来の悪い贋作についてしか語れないということを知っておくべきだろう。出来のよい贋作はいまなお壁にかかっているのだから」。→人気ブログランキング

消えたフェルメール/朽木ゆり子/インターナショナル新書/2018年
恋するフェルメール  37作品への旅/有吉玉青/講談社文庫/2010年
フェルメールになれなかった男  20世紀最大の贋作事件/フランク・ウイン/ちくま文庫/2014年
真珠の耳飾りの少女(DVD)
深読みフェルメール/朽木ゆり子×福岡伸一/朝日新書/2012年
フェルメール 静けさの謎を解く/藤田令伊/集英社新書/2011年
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国/福岡伸一/木楽社/2011年

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