社会学

2022年6月22日 (水)

させていただくの使い方 日本語と敬語のゆくえ 椎名美知

「させていただく」は、1871年の三遊亭円朝の落語『菊模様皿山奇談』に用例があるという。
ある日のイベントの受付でスタッフから「受講票を確認させていただきます」と言われた高齢男性が、失礼だと怒る場面に遭遇した。広く使われる敬語だが、時に慇懃無礼にも感じることが謎であり、調査を始めたという。
著者は法政大学文学部教授。専門は英文学である。
本書のポイントは以下の3つ。敬語には使われ続けることにより敬意が劣化する「敬意漸減の法則」がある。「させていただく」に違和感を感じるのは、相手の存在や役割が「必須」の要素かどうかである。「させていただく」は謙譲語というよりもむしろ「新・丁重語」と呼ぶのがふさわしい。
Photo_20220622085101させていただくの使い方 日本語と敬語のゆくえ
椎名美知 
角川新書 
2022年1月 221頁

「させていただく」は、相手に許可を求める文脈で使われ始めた。爆発的に広がったのは1990年後半。「伺う」「参る」と違い、どんな動詞にもつけられる。自分の行為であっても「相手に配慮している」意味合いが込められるから人気を集めた。相手への敬意より話し手自身の謙虚さ、丁寧さに力点が置かれた新しいタイプの敬語であるとする。
敬語は頻繁に使われると定型化し、敬意が減ずる「敬意漸減の法則」があり、より丁寧な言い方を探して、新たな表現が登場するという。
敬語の「敬意漸減の法則」とは、たとえば「貴様」は江戸時代には目上の人への手紙などに使われていた。次第に敬意がすり減り、同類が相手を罵倒する言葉になった。
「いたす」は丁寧語。もともとはヘリ下りの言葉だったが、敬意がすりへって今では格式ばった言い方になっている。
敬意が減少してくると、敬意が足りないと感じ、敬語が追加されていき、敬意のインフレーションが起こる。

上下関係が崩れ、表向き平等になって、上下関係で使われていた敬語と異なるタイプの敬語が必要となった。そういう時に、丁寧語や美化語が役に立つ。相手が誰であれ、自分の丁寧さを示せる。その場その場の関係性の中で丁寧さを示すことができるのが、「させていただく」のような補助動詞として使われる授受動詞である。

「さてていただく」に違和感を感じるのはなぜかについて調べた。
「させていただく」の前の動詞において、相手の存在や役割が「必須」の要素かどうか、これを「必須性」とした。「させる」は「使役」の助動詞で、「させていただく」は許可使役の意味を持つので、「使役性」とし、「いただく」は恩恵の受けるという事実や気持ちを表すので「恩恵性」とした。「必須性」「使役性」「恩恵性」の三つの要素が抽出できた。

「させていただく」が使われている10の例文についての違和感を、5段階で評価するアンケート調査を700名に対して行った。
結果、「必須性」が違和感に影響を与える重要な要素であった。
「させていただく」の敬語としては謙譲語に分類される。謙譲語は行為が向かう相手に敬意が向けられる敬語である。「させていただく」は「恩恵性」「使役性」が薄らいでいる、敬意は相手に向けられているとはいい難くなっている。「させていただく」は謙譲語というよりもむしろ「新・丁重語」と呼ぶのがふさわしい。

「させていただく」を使うとき、話し手と聞き手は近づきすぎず遠ざかりすぎず、絶妙の距離感を保ってコミニュケーションができる。このつかず離れずの距離感は現代社会に暮らす私たちが心地よいと感じる距離感にぴったりあっている。これが「させていただく」の人気の秘密かもしれない。「させていただく」はコミュニケーションにおいて「あなたとともにある私」をへりくだって示す敬意マーカーへと変わってきていると考えるのが実態に即している。「させていただく」はワンフレーズの「新・丁寧語」と変化し機能している。
「させていただく」は「私ってちゃんと人と丁寧に話すことができる人間でしょ」というポーズを示す自己愛的な敬語で、敬語のナルシズム現象なのかもしれないとする。

「させていただく」の使い方のルール。このルールを逸脱すると違和感を与える。
1)謙譲語のある動詞は、それを使うこと
2)へりくだる必要のないところでは使わないこと
3)なるべく繰り返しを避けること→人気ブログランキング
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2022年6月17日 (金)

あなたの知らない卑語の歴史 ネットフリックス

他国の言葉に違和感を抱くのは、余計なお世話だといわれそうだが、以前から、アメリカ人はなぜ卑語を多用するのかという疑問を持っていた。アメリカ映画では会話の中に「シット」や「ファック」や「ビッチ」という卑語が、ちょっと待ってくれというくらい頻発する。
ところで、卑語の連発で思い浮かぶ俳優はサミエル・ジャクソンというのは、衆目の一致するところだろう。『パルプ・フィクション』で、ダイナーでのジョン・トラボルタと向きあってのやりとりには「ファック」「ファッキン」が、洪水のように使われている。

卑語についてネット検索していて、『あなたの知らない卑語の歴史』というネットフリックス・コメディ・シリーズの番組に行き当たった。ニコラス・ケイジが進行役を務め、卑語の誕生から意味の変遷、そしてその卑語が現在どのように使われているかを紹介している。
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その内容をかいつまんで紹介する。
FUCKは中世のオランダの「叩く」という動詞に由来する。1200年頃初めて記載され、1500年代の書籍には稀だった。1500年以降は名前に使われることがあったが理由は不明。

1960年代、ジェー・フォンダたちにより、徴兵反対運動で「Fuck the Draft」が使われた。
映画では、ロバート・アルトマン監督の1970年に公開された『マッシュ』で初めて「ファック」が使われた。
アメリカ映画協会はファックが2回以上出てくる映画をR指定にしている。
辞書にあたると、間投詞として用いる「ザ・ファック」「ファッキング」には、いずれも「性交する」の意味はなく、自分が言わんとしていることを強調しているだけであるとされる。

SHIT
中世では排泄物という意味。シットはクオリティが低いという意味になっているが、ザ・シットは最高という意味だという。

BITCH
もともとは雌犬の意味。女性を見下す軽蔑語になり、わがままで主張の強い女性に使われる。男から言われたら軽蔑語になる。男に向けて使われると女々しいという意味が加わる
。ヘミングウェイは特異な使い方をした自らの母親をビッチな女神と呼んだのだ。
ビッチはフェミニズムと共に発展してきた言葉だという。
今や凄腕の女という意味をもつ。女性同士で使うと、女性の強さや団結を表す語として使われるようになった。

DICK
ディックはリチャードのあだ名。あだ名はそもそも韻を踏んでいる。RichardがRichになりDickになった。
まずは、男性を指す言葉になり、性的に厳しいビクトリア時代には、男性性器を指す言葉になった。そしてニクソンの時代にクソ野郎という意味だ加わり、ニクソンはDickと罵られた。

PUSSY
もともとは猫を表す俗語。時代の流れとともに女性性器を表す言葉になり、その後男性を軽蔑する意味が加わった。

DAMN
地獄に落とすという呪いの言葉が次第に不敬な卑語として広まっていった。卑語としては刺激に欠けるが、唯一聖書に登場する。ガッテム(GOD DAMN)は、DAMNにGODがついた。

卑語に嫌悪を抱く人は自分の方がモラルが高いと思っているが、そうとはいえない。
卑語は脳の感情に関係する進化的に古い場所からきているという。卑語が出るのは条件反射である。卑語を使うとアドレナリンが出る。アドレナリンが出ると痛みに耐えられるようになるという。
番組では実際に実験が行われた。氷水に手を入れ、卑語を連発するグループと卑語を発しないグループに分けて比較した。卑語を連発するグループの方が氷風呂に5割増で長く浸かっていることができた。アドレナリンが分泌され冷たさに耐えることができたというわけだ。
さらに、卑語を使うと、握力が5%上がるという。

言葉は意味が変化していくことがあり、卑語はその典型である。ファッキンは「性交」の意味から「すばらしい」という意味に変化し、ビッチは「発情したメス犬」であったものが「いかした姐御」になった。

下ネタ用語の多用には黒人文化が影響を及ぼしていることは明らかだ。もうひとつ、反知性主義が根っこにあるのも事実だろう。反知性は「エビデンスよりも、肉体感覚や感情を基準に物事を判断する」ことである。反知性主義が否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」である。反知性の動向はアメリカでは強い。
何しろトランプ時代、肉体感覚や感情を基準に物事を判断することが幅を利かせた。そもそもアメリカには、反知性の蔓延る土壌が根強くあるということだろう。虐げられてきた黒人の存在も大いに影響しているだろう。説教がましいことは、ごめんだということだ、
今は、息抜きと発散のため卑語が必要とされる時代だという。ちゃんと意味を込めて使うべきと『あなたの知らない卑語の歴史』の出演者はアドバイスしている。→人気ブログランキング
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2022年6月 2日 (木)

その名を暴け ジョディ・カンター ミーガン・トゥーイー

『ニューヨーク・タイムズ紙』の女性記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターが、ミラマックスの創始者でハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラと性暴行を調査して、それを記事として公表する過程が描かれている。ドナルド・トランプ、ハーヴェイ・ワインスタイン、ブレッド・カバノー最高裁判所判事の3人の性暴力が主に取り上げられているが、そのなかで最も多くのページが割かれているのは、ワインスタインだ。
038e3d2466bf4016a38c49e87ba54934その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い
ジョディ・カンター ミーガン・トゥーイー
古屋美登里 
新潮文庫 
2022年5月 603頁

2016年、『ニューヨーク・タイムズ』に入社したミーガンが命じられたのは、大統領選の記事を書くこと。トランプは女性に対して性的暴力の常習犯だった。ワシントン・ポスト紙が2005年の「アクセス・ハリウッド」(NBCのエンターテイメント系情報番組)から録音テープを入手した。トランプの「なんだってやれる。あそこを掴むことも…」という録音テープが明るみに出たのだ。
トランプは男同士の与太話(ロッカールーム・トーク)であると弁明したものの、被害を受けた女性が名乗り出て記事になると、トランプは訴えると言い出し、被害者がトランプ支持者の嫌がらせを受けるようになった。

1979年、ミラマックス社を弟ボブと起こしたワインスタインは、ハリウッドで若手の監督や俳優を世に送り出し、アカデミー賞を獲得するような作品をいくつも手掛け、輝かしい実績を残していった。しかし、女性に対する酷い扱いが噂された。2015年、ニューヨーク市警に、イタリア人モデルからワインスタインに体を弄られたとの訴えがあったが、結局起訴されずに終わった。

ワインスタインは訴えられそうになると莫大な示談金を払い、示談書に黙秘義務を明記して被害者を沈黙させた。示談金を払った相手は8人から12人に上ることがわかってきた。
ミラマックス社に勤めていた女子職員が突然辞めるケースがいくつかあった。ワインスタインは、女子職員に対して暴言を吐き性的な要求をしていたのだった。

ジョディとミーガンは、被害者にメールを送り電話をかけ面会して、ワインスタインをの悪行を暴いていった。そして、ついに記事として掲載できるところまでに漕ぎ着けた。
記事を掲載すると通告されたワインスタインの狼狽ぶりが事細かく記載されている。

『ニューヨーク・タイムズ』の記事がネットに公開されると、続いて『ニューヨーカー誌』に、ローナン・ファローの告発記事が掲載された。これらの告発記事によって、『ニューヨー・タイムズ』をはじめ他の報道機関に、性的虐待を受けたという女性の告白が殺到した。ウェートレス、バレエ・ダンサー、家政婦やベビーシッターといった家庭内労働者、工場労働者、グーグルの従業員、モデル、看守などが声を上げた。そして#MeeToo 運動につながっていった。大物政治家や有名テレビ司会者、有名シェフ、コメディアンなど次々に告発され消えていった。
2020年3月、ワインスタインはニューヨーク最高裁判所にて禁錮23年の判決をけた

2018年9月、トランプ大統領が最高裁判事候補に任命したブレッド・カバノー判事が最高裁判所判事の候補になったとき、クリスチャン・ブレイジー・フォードは名乗り出ようと思った。高校生のときにレイプされかけたのだ。その後フォードはスタンフォード大学の心理学の教授となったが、PTSDに悩まされている。
しかし迂闊に名乗りを上げれば、共和党の猛攻撃を喰らうことになる。カバノーには他にも女性虐待を加えていたはずだとフォードの弁護団は推測していた。ところが、ひとりも被害者を見つけ出すことができなかった。フォードは告発するかどうかの選択に迫られた。公聴会の前に公開することはなかった。
ところが、公聴会の4日前にふたりがカバノーに性的虐待を受けたと名乗り出たが、結局、上院の採決で賛成50:反対48で、カバノーは最高裁判事になった。

最後の章では、本書に登場した被害者のうち12人が、カリフォルニア州の女優グウィネス・バルトローの自宅に集まり、集団インタビューが行われた。女優のアシュレイ・ジャド、トランプタワーで働いていたときにトランプに突然キスされた女性、ミラマックスのロンドン支社でワインスタインのアシスタントをしていたローラ・マッデン、同僚のゼルダ・パーキンス、マクドナルドの従業員、フォード教授など、そして弁護士たちが集まった。

本書を原作として、マリア・シュラダー監督が指揮をとり、レベッカ・レンキュビチ脚本で、ミーガンをキャリー・マリガン、ジョディをゾーイ・カザンが演じて映画化され、2022年11月に全米で公開予定である。→人気ブログランキング
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キャッチ・アンド・キル/ローナン・ファロー/関美和/文藝春秋/2022年4月
その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い/ジョディ・カンター/ミーガン・トゥーイー/古屋美登里/新潮文庫/2022年5月

2021年8月25日 (水)

SDGsー危機の時代の羅針盤 南 博・稲葉雅紀

SDGs (持続可能な開発目標)は、2015年9月、国連で193カ国の首脳の合意のもと採択された「2030アジェンダ」の主要部分を占める。「危機の時代の羅針盤」としてのSDGsにじっくり目を通してみようというのが本書の主旨である。著者は日本の主席交渉官としてSDGs交渉を担当した南博と、市民社会からSDGsに関わってきた稲葉雅紀。
Fae85e24c0b0460088e055b17f435c29SDGsー危機の時代の羅針盤
南 博・稲葉雅紀
岩波新書
2020年 220頁

SDGsとは、〈①世界から貧困をなくすことと「持続可能な社会・経済・環境」へと変革することの二本の柱とする目標。②2030年を期限として、17のゴール169のターゲット、232の指標により世界の社会・経済・環境のあらゆる課題を取りまとめる、相互に不可分の目標。③条約のように、国連加盟国を法的に縛る者ではないが、先進国、新興国、途上国がともに取り組むものであり、実現にあたっては、「誰一人取り残さない」ことがうたわれている目標。〉である。

SDGsは持続可能なという概念と、MDG s(ミレニアム開発目標)への批判を土台にして作られた。まず、MDGsは途上国の開発問題が中心で、先進国はそれを援助する側という位置付けであったのに対し、SDGsは、開発だけでなく経済・社会・環境の3側面すべてに対応し、先進国にも共通の課題として設定している。それに伴い目標の数も8から17に増えてより包括的となった。
さらに、SDGsでは、課題を解決するために、企業の創造性とイノベーションに期待を寄せており、企業の役割が重視されている。
「持続可能な開発」とは、「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在のニーズを満たすような開発」と定義されている。

SDGsは気候変動や経済格差の拡大等の慢性的な危機に直面した国際社会が、3年をかけて策定した危機時代の羅針盤である。外交官をはじめ、国際機関、民間企業、民間財団、市民社会、そして当事者たちが、対立や分断を乗り越えて、力を合わせて合意に達することができた。
SDGsには法的な拘束力がない、それゆえにゴールとターゲットのうち、自国に都合の悪いものは無視して、いいとこ取りができる。それにしても、すべての国連加盟国が合意に達したことは、多国間外交史上稀有なことだという。

SDGsの内容を列記すると、飢餓や貧困をなくして、すべての人に健康と福祉を、質の高い教育を受けて、ジェンダーを平等にする。安全な水とトイレを世界中に普及させ、クリーンなエネルギーを行き渡らせる。あらゆる人に働きがいのある仕事を。産業と技術革新の基盤を作り、人や国の不平等をなくす。住み続けられる街づくりを、持続可能な消費と生産パターンを確保する。気候変動対策、海の豊かさを守る。陸の豊かさを守る、平和で包摂的な社会を推進し、パートナシップで目標を達成しよう。

2019年に、SDGsの進捗状況を評価する「SDGサミット」が開かれた。国内、国家間で、富や収入を得る不平等が拡大しており、飢餓人口が増え、貧困をなくすことはおぼつかない。ジェンダー平等実現はままならない。そして国連がSDGs達成に黄信号を投げかけ、今後の10年で取り返すとなりふり構わず、2030年までの「行動の10年」を提起した。

現在、人類は地球の資源再生能力の1.69倍を使っているという。資源再生能力とは化石燃料や金属あるいは森林などのことである。持続可能な開発を続けるためには、資源の消費を1以下にしなければならない。満身創痍の地球をなんとか回復基調にもっていき、その状態を次の世代さらにその次の世代へと引き継ぐことが、SDGsのキーワード 「持続可能な」の意味するところである。
2020年から新型コロナウイルスが世界を席巻した。COVIV-19が落ち着いたあと、経済損失を急速に挽回しようと非常手段として再び安易に化石燃料に依存することにつながりかねない懸念がある。→人気ブログランキング
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グリーン・ニューディールー世界を動かすガバニング・アジェンダ/明日香壽川/岩波新書/2021年
ドローダウン 地球温暖化を逆転させる100の方法/ポール・ホーケン編著/東出顕子訳・江守正多監訳/山と渓谷社/2021年
SDGsー危機の時代の羅針盤/南博・稲葉雅紀/岩波新書/2020年

2021年2月 1日 (月)

人新世の「資本論」

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいとして、オランダのノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、産業革命以降を「人新世」(Anthropocene アントロポセン)と名付けた。人新世は人類が地球を破壊し尽くす時代だという。著者は、人新世の危機を乗りきる手段を『資本論』をテキストにして考察する。資本主義を止め脱成長コミュニズムに移行しなければ、気候変動は止められないという。世界の注目を集めたトマ・ピケティの論理を超える処方箋を提案した。
Image_20210201102501人新世の「資本論」
斎藤幸平
集英社新書
2020年

スウェーデンの当時15歳のグレタ・トゥーンベリは、2018年にポーランドで開かれた第24回気候変動枠組条約締約国会議(COP24)に集まった190か国の大人たちを前にして、蛇蝎のごとく訴えた。「あなたたちが科学に耳を傾けないのは、これまでの暮らし方を続ける解決策しか興味がないからです。そんな答えはもうありません。あなたたち大人がまだ間に合うときに行動しなかったからです」と核心をついた。あなたたちとは、ドイツの社会学者ウルリッヒ・プラトンとマルクス・ヴィッセンが「帝国的生活様式」と呼んだライフ・スタイルを送る先進国に住む私たちのことだ。グレタはZ世代の象徴的な人物の一人である。1990年後半から2000年に生まれたZ世代はデジタル・ネイティブであり、最新のテクノロジーを自在に操りながら世界中の仲間と繋がっている。この世代は新自由主義が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が深刻化していく様を体験しながら育った。このまま資本主義を続けていってもなんら明るい展望はないと実感している。今まで人類が使用した化石燃料の約半分が、冷戦が終わった1989年以降のものだ。ベルリンの壁が崩壊し、さらにソ連が崩壊したことによって、アメリカ型の新自由主義が旧共産圏の廉価な労働力や市場に目を向けたのだ。

気候変動はどの程度の危機的状況なのか。2020年6月にシベリアで気温が36℃に達した。永久凍土が融解すれば多量のメタンガスが放出され、気候変動は加速される。北極圏の永久凍土から大量の水銀が流出したり、炭疽菌のような細菌やウイルスが解き放たれるリスクもある。科学者たちは、2100年までの気候上昇を産業革命前の1.5℃未満に抑え込むことを求めている。すでに1℃上昇しているから、すぐに行動しなくてはならない。具体的には2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに0にしなければならない。もし現在のまま排出し続ければ2030年までに気温の上昇は1.5℃を超え、2100年には4℃上昇すると予測されている。このままであれば、地球は人類が生きられない環境になってしまうという。
昨年11月、菅首相が所信表面演説で、国内の温暖化ガスの排出を2050年までに「実質ゼロ」にすると表明したのは、COPの試算に基づくものだ

資本主義は人間だけでなく、自然環境からも掠奪するシステムである。そして限度を知らない。資本主義は負荷を外部に転嫁することで経済成長を続けていく。そうした「外部化」がうまくいっていたあいだは、先進国に住む私たちは環境危機に苦しむこともなく豊かな生活を送ることができた。矛盾をどこか遠いところに転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきたのだ。「グローバル・サウス」とは、グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民を指す。

国連は、国際目標として17のグローバル目標と169のターゲットからなる「SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)」を掲げている。後戻りできなくなるまでの時間なかで、大胆な政策が先進国で議論されるようになった。「グリーン・ニューデール政策」は再生可能エネルギーや電気自動車を普及させ、大型財政出動や公共投資を行う。そうして安定した雇用を作り出し、景気を刺激することを目指す。果たしてこんなうまい話があるのだろうか。著者は実例を挙げてグリーン・ニューデール政策は、二酸化炭素排出量を下げることができないとする。電気自動車によって削減される世界の二酸化炭素量はわずか1%である。バッテリーの大型化による製造過程で二酸化炭素を多く発生するからだ。グリーン技術はその生産過程までみると決してグリーンではない。「脱成長」の選択肢を取らない限り、解決はありえないという。資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。SDGsもグリーン・ニューデール政策も、気候を人工的に操作するジオエンジニアリングも、気候変動を止めることができない。SDGsは、気候変動に対して何かいいことをしていると免罪符を与える現代のアヘンであると断言する。脱成長を選択せざるをえないときに、資本主義の仕組みはいくら修正しても立ち行かないのだ。

著者はトマ・ピケティの考えとの違いを明確に示している。ピケティは行きすぎた経済格差の解決策として累進性の高い課税を提唱した。その後、労働者たちが生産を自主管理・協同管理する参加型社会主義を訴えている。しかし脱成長を受け入れていないことと、租税という国家権力に依存するところが問題であると指摘している。著者は解決策をカール・マルクスの『資本論』に求めている。マルクスは晩年、地質学、植物学、鉱物学などの自然科学を研究して膨大な研究ノートを残している。過剰な森林伐採、化石燃料の乱費、種の絶滅などのエコロジカルなテーマを、資本主義の矛盾として扱うようになっていった。最終的には100巻に及ぶメガ(MEGA)と呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』( Marx-Engels-Gesamtausgabe)の刊行が進んでいる。そこにはマルクスの研究ノート、図書館での書き抜き、アイデアや葛藤も含まれている。『MEGA』を丹念に読み解くことが、現代の気候危機に立ち向かう武器になるという。

『資本論』を、脱成長コミュニズムという立場から読み直すことが必要であるという。コミュニズムの「コモン」とは社会的に人々に共有され管理されるべき富のことである。コモンは、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財産として自分たちで民主的に管理することを目指す。脱成長コミュニズムへの変換項目として、⑴使用価値経済への転換、⑵労働時間の短縮、⑶画一的な分業の廃止、⑷生産過程の民主化、⑸エッセンシャル・ワークの重視を挙げている。資本主義の虚の部分を削ぎ落とさなくてはならない。具体的な目安は1970年代の生活レベルである。
脱成長コミュニズムの5本の柱について説明する。⑴使用価値経済への転換:マルクスは「価値」と「使用価値」という商品の属性を区別した。資本主義は価値を求めるが、必ずしも使用価値(有用性)を求めるわけではない。希少性の増大が商品としての価値を増やす。希少性を人工的に生み出すのは、ブランド化や広告である。有用性を重視する使用価値経済への転換しなければならない。
⑵労働時間の短縮:使用価値の経済に向けた転換のためには、労働時間の短縮が根本条件である。GDPには現れないQOLの上昇を目指す。
⑶画一的な分業の廃止:労働者や消費者を支配しやすい閉鎖的技術中心の経済、すなわち利益優先の経済から脱却して、使用価値の生産に重点をおいた経済に転換しなくてはならない。
⑷生産過程の民主化:知識や情報は社会全体のコモンであるべきなのだ。
⑸エッセンシャル・ワーキングの重視:現在高給を取っている職業として、マーケティングや広告、コンサルティングそして金融や保険業などがあるが、こうした職業は重要そうに見えるものの、社会の再生産にはほとんど役に立っていない。
エッセンシャル・ワーキングとは、主に医療・福祉、農業、小売・販売、通信、公共交通機関など、社会生活を支える仕事をいう。

2020年1月にバルセロナが発表した「気候非常事態宣言」は野心的であるという。2050年までの脱炭素化という目標をしっかりと掲げている。自治体職員の作文でも、シンクタンクが作成したものでもなく、この宣言は市民の力の結集である。行動計画には包括的かつ具体的な項目が240以上並ぶ。二酸化炭素排出量削減のために、都市公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車・飛行機・船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ゴミの削減・リサイクルなどの全面的な改革プランを掲げている。

先送りするだけの国連のSDGsは批判されなくてはならい。トップ・ダウンではなく、バルセロナのようにボトム・アップでなければだめだ。そして著者は読者に行動を起こすようにと呼びかける。3.5%の人々が動けば何かがが起こるという。→人気ブログランキング

2021年1月23日 (土)

平成・令和 食ブーム総ざらい

本書は、平成元年(1989年)から令和2年(2020年)に至るおよそ30年間の日本の食文化のトレンドを探るものである。網羅的に語られていて、そうだった、そうだと納得させてくれる書きっぷりだ。まさに、平成・令和 食ブーム総ざらいである。
大まかな流れとしては、主に雑誌が発信していた食の情報を、ネットの普及により情報量が圧倒的に増え、グルメが定着した。平成はグルメという言葉が指す範囲が広がった時代だった。また、ブログやインスタグラムの普及により個人が発信する食に関する情報が、飛躍的に増えた。食のトレンドが次々にめまぐるしく変わっていくようになった。スイーツやパンやドリンクに光が当たった。
そして家庭料理をマスコミに登場した料理研究家を論じる。
本書はクックパッドニュースで2018年9月から始まった「平成食ブーム総ざらい!」「あの食トレンドを深掘り!」の連載がベースになっている。
Image_20210123111901 平成・令和 食ブーム総ざらい
阿古真里(Aco Mari
インターナショナル新書
2020年

第1章 情報化が進んだ30年
首都圏情報雑誌『Hanako』(1988年創刊)やグルメ情報誌『danchu』(1990年創刊)が、食トレンドを取り上げてきた。『Hanako』はティラミスを流行らせ、「デパ地下」という言葉を最初に使った。
1983年、『ビッグコミック・スピリッツ』で、グルメうんちく漫画『美味しんぼ』の連載が始まった。
1993年、『料理の鉄人』(フジテレビ系)が始った。そのあと『愛のエプロン』、『どっちの料理ショー』、SMAP×SMAPの『BISTROSMAP』と、料理バライティー番組が受け入れられた。アメリカで類似番組が作られた。
2007年には『ミシュラン東京』が発刊されている。
1998年、佐野陽光が立ち上げた『クックパッド』はレシピ・サービスの巨人に成長した。2020年3月の時点で、月間アクセス数5800万という途方もない数字になっている。

『孤独のグルメ』は、『月刊PANJA』誌上で1994年から1996年にかけて連載された。その後、『SPA!』の2008年1月15日号に読み切りとして復活し、以後『SPA!』上で2015年まで新作が掲載された。 その後映像化され、テレビ東京で放映されている。フリーの輸入雑貨商の井之頭五郎(松重豊)が全国各地に赴いて商談をしたのち、町にひっそりある庶民的な店で一人で料理を満喫するというのがパターン。
2008年、放送が開始されたテレビ東京の『男子ごはん』では、ケンタロウ、栗原心平と、二世の男性料理研究家が総菜を教えた。

2010年代、スマートフォンが普及して、フェイスブックやインスタグラムを始める人が増えた。
飲食店で出てきた料理の写真を撮ることが当たり前になってきた。もともと日本料理はヴィジュアル重視なところがある。ブログにキャラ弁が投稿され話題を呼んだ。
「インスタ映え」は2017年の新語流行語大賞の年間大賞に選ばれた。

第2章 グルメが定着していく時代
1988年6月23日号で『HANAKO』は「デパ地下」という言葉を初めて使った。
1990年代後半、生春巻きを中心にベトナム料理が流行った。
韓国ブームは3回あったが食のブームは2回であった。
2002年の日韓サッカーワールドカップ、2003年『冬のソナタ』、2004年『宮廷女官チャングムの誓い』のヒット。
今回のブームは2018年ごろから。若者受けする、チーズタッカルビ、チーズドック、韓国式かき氷など。

ふたつのチキンライス。昭和のチキンライスはケチャップ味。平成は海南チキンライス、ジャスミンライスに茹で鶏のスライスをのせたもの。シンガポール、マレーシアなどの東南アジアの料理として2010年代半ばから流行っている。
スパイシーカレーは、2010年代半ばごろから流行った。

ゴーヤが注目されたのは、2001年NHKの朝ドラ『ちゅらさん』 の大ヒットによる。
2000年代初めに、空港で売られている「空弁」が流行り始める。それは国内線で機内食を出さなくなったからである。2000年には新幹線の食堂車も廃止されている。高速道路の弁当も「早弁」と呼ばれ人気がある。
赤身肉に注目されるようになり、2013年から熟成肉ブームが始まった。
平成はグルメという言葉が指す範囲が広がった時代だった。
2006年に始まった『B-1グランプリ』(全国のご当地グルメで町おこしを目指す企画)が脚光を浴びたのは2010年頃からだ。
2007年から始まった『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)が始まり、さまざまなご当地グルメが紹介されるようになった。
唐揚げ専門店が増えた。ニチレイフーズと日本唐揚げ協会の調べでは、2011年から2018年の間に、唐揚げ店の店舗数が3.4倍になっている。
どこの都市にも大戸屋が進出した。

第3章 スイーツ・パン・ドリンク
1988年、イタリア料理のブームが来て「イタ飯」という言葉が生まれ、デザートのティラミスが注目された。
マカロンがブームになったのは2000代半ばだった。
2005年、ピエール・エルメ・パリの旗艦店が青山にできて話題になった。もう一つマカロンブームに貢献したブランドが、ダロワイヨ。
ティラミスで始まったスイーツのの多彩さを楽しむグルメ化は、マカロンで一つのピークに達した。外国のお菓子を受け入れるようになった。タピオカ、ナタデココ、パンナコッタ、ベルギー・ワッフル、カヌレなど。カラフルな色合いがSNSの発達と重なりブームに拍車をかけた。
チョコミント・ブームが始まったのは2016年頃から。2017年8月にバラエティ番組『マツコの知らない世界』で取り上げられて人気が加速し、その年の夏猛暑も手伝って大ブームとなった。2016年ごろから流行り出した、ビーン・トゥ・バー(Bean to Bar)「カカオ豆から板チョコまで」は、ショコラティエが原材料のカカオ豆の仕入れから関わり、焙煎、成形まで一貫生産することを示す言葉。
2007年頃から、バームクーヘンがデパ地下で人気になった。
2010年ごろから、台湾発、韓国発の頭がキーンと痛くならないかき氷が日本に上陸する。
高級パンは2013年、銀座にセントル・ザ・ベーカリーという食パン専門店ができ、行列になったことから始まる。セブン・イレブンの金の食パンも乃が美も同じ頃。1ジャンルとして定着するのか廃れるのか見守るという。
アメリカのシアトルで生まれたコーヒーチェーン店のスターバックスが日本に上陸したのは1996年。その後日本中に出店網を広げ1581店に及ぶ。映画『ユー・ガット・メール』(1998年)や『プラダを着た悪魔』(2006年)で、スタバからテイクアウトする映像が流され、人気を博していった。
1994年、地ビールの生産が解禁された。2010年代に入ると地ビールはクラフトビールと名を変えて、アメリカからブームが押し寄せた。
緑茶ドリンクの成立。
2019年、タピオカ・フィーバー、ウーロン茶や緑茶にミルクや砂糖を入れてタピオカを加える。

第4章 時代を映す食文化
平成米騒動は1993年。世界的な異常気象で日本は冷夏に見舞われ、コメが200万トン足りなくなる。タイやアメリカから米をを輸入するが、タイ米は独特の匂いが敬遠され不評であった。
2013年『英国一家、日本を食べる』(マイケル・ブース)がベストセラーになる。そこで紹介される日本食文化の独自性を、江戸時代の鎖国により培われたと著者は解説している。
同年『フード左翼とフード右翼』(速水健朗)が発刊される。フード左翼とは食に安全性を求め、フード右翼とは食に値段の安さや量を求める。
遺伝子組み換え食品の商業栽培が1996年アメリカで始まった。遺伝子組み換え食品の問題点は、安全性に疑問があること、生態系に異変を及ぼす。さらに多国籍企業により種子が独占され食糧支配につながること。
スローフード協会は1986年イタリアで設立された
在来野菜とはその土地で代々受け継がれてきた野菜のことである。鹿児島県の桜島大根、京都府の聖護院大根、神奈川県の三浦大根。作り続ける理由はおいしいからだという。
アリス・ウォータースが始めたオーガニックムーブメント。
1/3ルール、賞味期限の1/3以内に小売店に納入し、消費者が購入後1/3賞味期限のを過ぎれば廃棄するというもの。食品ロスを減らすために見直しが迫られている。
コロナ禍とベイキング。コロナで家でパンやケーキやクッキー作りが流行って、小麦粉が高騰しているという。それで、洋菓子店のケーキの値が上がっている。

第5章 家庭料理の世界
1989年、『きょうの料理』で夏休み子ども料理教室が放映された。子ども料理に注目が集まった。買い物から調理まで一人でやる。Eテレで視聴率10%を獲得した。
ここで述べるのは料理技術の平均点が下がっているということだ。
1090年代、栗原はるみが一工夫あるオシャレな料理を教えることでカリスマ主婦と呼ばれ、スターダムにのし上がった。
団塊の世代の料理研究家として、栗原はるみのほかに、山本麗子、藤野真紀子、加藤千恵などが活躍した。
熱狂的栗原はるみのファンはハルラーと呼ばれた。栗原はるみが脚光を浴びたのは1992年に出した『ごちそうさまが、ききたくて。』がミリオンセラーを記録したことによる。家庭を支える主婦が、厳しくやりがいのあるものになりうると伝えた人でもあった。

料理の基礎がなっていない人々が多くなった。そこで、子どもが作る料理をとり上げ、母親からの教えられた料理に自分の工夫を加えた辰巳芳子に触れた。
フランスの食器メーカーから発売された、カラフルな色合いのル・クルーゼがブームになる。
ミールキットの市場が活性化したのは、2013年。売り出したのは有機野菜のインターネット通販のオイシックスである。時間があったら手料理をじっくり作りたいとの願望があるからである。→人気ブログランキング

2020年5月29日 (金)

炎の中の図書館 スーザン・オーリアン

ロサンゼルス中央図書館が火事で焼け落ちた。7時間以上燃え続け、110万冊の本が燃えるか損傷した。幸い死者は出なかった。
以前より、中央図書館は消防署から20箇所もの不備の指摘を受けていた。その日(1986年4月29日)も火事が起きる前に火災報知機が誤作動し消防署に連絡している。
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炎の中の図書館 110万冊を焼いた大火

スーザン・オーリアン/羽田詩津子
早川書房
2019年 ✳︎10

火事が起こった日に、年配の女性は図書館内で金髪で口ひげを生やした青年が足早に歩いてきてぶつかり、青年は動揺しているように見えたが、彼女が起き上がるのに手を貸してくれた。それから大急ぎでドアに向かったと証言した。
その男ハリー・ピークは、火事の後口髭を剃り落とし、友人に放火をほのめかす話をした。ハリーはハリウッド・スターを夢見る虚言癖が著しい人物だった。ハリーは供述をころころ変え捜査を翻弄した。状況証拠からハリーが放火犯であることは間違いないとみられたが、ふたりの宗教家がハリーと一緒にいたと証言した。この宗教者たちの証言もハリーの証言に呼応するように変わったが、起訴はされなかった。

本書は単なる火事の記録ではない。
出火原因の調査の記録、アメリカにおける図書館の歴史、ロサンゼルス市と中央図書館の黎明期から現在に至る歴史、アメリカで公立図書館が果たしている役割、世界の焚書の歴史などが、鋭い分析と明快な文章で綴られている。
著者が直接インタビューした人もしなかった人も、そしてすでに亡くなった人も、多くの人々がいきいきと登場する。
図書館がどれだけ魅力的で希望が満ち溢れている場所かを余すことなく伝え、著者の図書館への愛が行間から滲み出ている好著である。

日本とは違い地域における図書館の役割は多い。
地域で問題が起こると、図書館が利用される。工場からメタンガスが流れたとき、自宅を追い出された住民の集まる場所となった。鉛汚染が起きたとき、住民の血液検査の場所となった。
移民国家アメリカでは図書館が、福祉や教育に大きく踏み込んでいる。外国人たちの会話クラスや識字クラスが運営されている。教えるのはボランティア。電話の請求書、学校からの通知、税金関係の申請書が理解できるように手を貸し、読み書きを知らない人には個人的な手紙を読んであげ、返事を書くのを手伝うこともあるという。市民権を得る方法を週に2時間指導している。
今は、ホームレスの溜まり場になっているという。

〈図書館では時間がせき止められている。ただ止まっているのではなくて、蓄えられている。図書館は物語と、それを探しに来る人々の貯蔵庫なのだ。そこでは永遠を垣間見られる。だから図書館では永遠に生きることができるのだ。〉という言葉が印象的だ。→人気ブログランキング

2020年5月 7日 (木)

学校に入り込むニセ科学 左巻健男

教える内容が真実であるべき学校にニセ科学など入り込む余地があるのか?と思って本書を開いた。宗教団体が絡んでいて敵は巧妙である。代表的なものは「水からの伝言」と「EM菌」だという。
Photo_20200507082201学校に入り込むニセ科学

左巻健男(Samaki Takeo
平凡社新書
2019年

「水からの伝言」とは、一部の教職員グループにより学校に持ち込まれたニセ科学。
「ありがとう」と「ばかやろう」と書いた紙を、水の入った容器に貼って凍らせると、「ありがとう」と書いた紙が貼られた氷は綺麗な結晶になるが、「ばかやろう」の方の結晶は汚いという、なんともわかりやすいもの。冷却温度によって氷の結晶の形が異なるが、書かれた文字が氷の形に影響を及ぼしたと説明する。これは手品のテクニックだ。

コンポストという箱の中に野菜くずや残飯を入れておくと、「EM(Effective Microorganisms)菌」が分解して良質の肥料になるという。EM菌は、琉球大学教授の比嘉照夫が推奨するもの。もともと「世界救世教」という宗教団体が関係した微生物資材(農業用)である。世界救世教は、国内に100万人の信者をもち、手かざしの儀式、自然農法を推奨、芸術活動を行うことを特徴とする宗教団体。

EM菌で作った肥料によって土が改良され、作物がよく育つとされたが、調べてみると他の肥料に比べて効果が弱い結果も出た。
北朝鮮がEM菌を導入し、比嘉は北朝鮮をしばしば訪れて指導していた。比嘉は「北朝鮮は21世紀には食料輸出国になる」と宣言していたが、北朝鮮はEMの使用をやめてしまった。
かつて、EM菌をネットで調べたが、すっきりした回答が得られなかったことを思い出す。現在もコンポストとともにEM菌培養液が、アイリスオーヤマが販売している。さらに、地方自治体で推奨しているところもある。
EX菌は乳酸菌や酵母などの複合体らしいが、詳細は明らかにされていない。

TOSS(Teachers' Organization of Skill Sharing 教育技術法則化運動) は、教師が自分の教え方の力量をあげ、より良い教育をし、立派な子どもたちを育てることを目標にした団体ということになっている。TOSSは「水からの伝言」を抜きにして語れないという。また、EM菌も推奨している。このようなところから、授業のノウハウを得ている小中学校の教師がいるのである。なんだか背筋が寒くなる。

ニセ科学は、科学を装い、科学っぽい雰囲気を出しているが科学ではないものを指す。ニセ科学は科学への信頼を利用してだます。→人気ブログランキング

学校に入り込むニセ科学/左巻健男/平凡社新書/2019年
給食の歴史/藤原 辰史/岩波新書/2018年

2020年4月16日 (木)

パンティオロジー 秋山あい

著者はパンティのイラストを描いている。
そう自己紹介して、相手に手持ちのパンティから、セクシー、リラックス、お気に入りの3枚を選んでもらい、パンティにまつわる思いを語ってもらう。夫や交際相手のことも訊ねていて、文章からはパンティ提供者の私生活がかいま見える。

33名の対象者は、国籍も人種も、年齢もバラバラ。著者はフランスと日本を行き来しているので、いきおい日本人とフランス人が多いが、アメリカ、イタリア、ポーランド、イランなど多岐に渡る。

Image パンティオロジー

秋山あい
集英社インタナショナル
2019年 ✳︎10

 著者が描くパンティのイラストは写真と見紛うがごとくに写実的である。

真新しいものもあるが、大半は中古物件の佇まいが漂うものである。イラストには、パンティとそれを身につける人物から感じ取ったものを著者が咀嚼して具現化した小宇宙がある。パンティは生きていると言わざるを得ない。
著者が命名したパンティオロジーという造語は深遠な学問の響きがあり風格を感じさせる、ユーモアあふれる単語だ。
帯の「パンティは女心の充電器である」は的確なキャッチコピーであるが、匹敵するしっくりくるフレーズをひねり出したい。「パンティは女心のスイッチである」はいかがだろう→人気ブログランキング

2019年12月14日 (土)

世界の危険思想 丸山ゴンザレス

著者は、日本や海外の裏社会やスラムや治安が悪いとされる場所で取材をしてきた。そこで出会った悪い人たちの頭の中がどうなっているのか。危険な考え方の根幹の理解に近づくことが本書の目的であるという。強面の著者は、危険な地区でよく現地の人間に間違われるという。取材には好都合だったろう。
Photo_20201117084401世界の危険思想 悪いやつらの頭の中
丸山 ゴンザレス
光文社新書
2019年

ジャマイカで殺し屋に会う。恥をかかされた女を殺して欲しいという依頼が、クライアントから電話で入る。殺し屋はその日暮らしに困るような貧乏人だった。

次に、フィリピンの邦人殺害事件に触れる。
犯人像は、警察を味方にすることができる、わずがな報酬で殺人を請け負う、刑務所に入ることも厭わないような人物であるという。フィリピンでは、交通事故で重症を負わせて治療費を請求されるより、殺す方を選ぶという。

ケニアの窃盗団の話。窃盗団は一人を除いてすべて警察に射殺された。警察の言い分は、取り調べにはひとりいれば十分。殺してしまえば調書は取らなくて済む。残業するくらいなら殺してしまうという発想である。

著者のスラムの定義は、「貧しい人たちや、問題のある人たちが密集して住んでいるエリア」。スラムには普通の人々の暮らしがある。スラムでは富を再分配しなければ、周りから襲撃されることもある。スラム社会と裏社会を同一視する人が多いが、別である。
裏社会のルールは、縄張り、ボスへの忠誠、アンチ警察である。「その通りを越えたら殺されても文句を言えない」という縄張り意識がある。忠誠心を植え付けるには、通過儀礼として、殺人の手伝いやとどめを刺させたりする。

ドラッグの最大消費地はアメリカと中国。
MDMA(エクスタシー)やコカイン、LSDはパーティドラッグとしてノリやテンションをあげるために使われることが多い。これらは線引きのこちら側にあるドラッグ。
線引きの向こう側にあるドラッグは、ヘロインとメス(覚せい剤)でるという。
向こう側に行った人たちの頭の中はやられているので、聞いても無駄であるとする。

フィリピンのドゥテルテ大統領は、麻薬中毒者、売人を逮捕し、抵抗する者の射殺を許可した。国民は大統領を支持した。ところが、麻薬ビジネスに関係していない、警察にとって都合の悪い人間も射殺されるようになり、警察に殺されるくらいなら監獄の方がマシだと、監獄が人で溢れかえっているという。

ボリビアではコカの葉は嗜好品として合法である。精製すれば麻薬になって違法になる。ボリビアでは平均月収が3万円程度、運び屋は1回30万円、捕まれば8年の刑。
運び屋は運転免許があれば誰でもできる。ところがつかまりやすい。捕まっても簡単に替えがきく。

相手を甘いと思ってナメることが、人類の持つ感情の中で最も恐ろしい危険思想だというのが著者の考え。危険思想の持ち主は、際限なく自分の感情を押し付ける権利を持っていると錯覚してしまう。相手に対する敬意のなさが原因であるとする。人気ブログランキング

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