自伝

『孤独の意味も、女であることの味わいも』三浦瑠麗

テレビ画面から受ける著者の印象は、弁がたつ冷たそうな女性だった。最近は角が取れてきた印象がある。本書は著者の半生を綴った自伝。読後は著者に対する見方が好意的になってしまう。よくぞここまで赤裸々に自分をさらけ出したものだ。

子供の頃、本をよく読んだという。
テレビはつけない家庭だったから、学校で級友の話題についていけなかったという。
小学生のときにいじめを受けた原因は、転校生にとなった偶然と、人から浮いてしまう個性という必然がないまぜになったものだったと、分析している。

孤独の意味も、女であることの味わいも
三浦 瑠麗
新潮社 2019年5月 ✴7
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身に起こった性的な事故を淡々と書き綴っている。抗いがたい結果を受け入れ、最後には流れに身を任せる。それが人生なのだと悟ったという。
学生時代の男性との交際を綴り、その後は温和な夫との出会い、長女の死産を経験し、次女を出産する。

東大農学部を卒業したものの、文科系に目覚め、同大法学政治学の大学院に入り博士号を取得した。
宮沢賢治の『注文多い料理店』からとった「山猫日記」と名付けたブログを始めた。書き始めたら筆が止まらなかったという。生まれたばかりの娘がいて、子育てがてら書き続けた。
このあたりは、チママンダー・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』に登場するナイジェリア出身の主人公が、アルファブロガーとなって活躍するくだりと重なる。
ブログをきっかけに執筆活動を活発に展開し、テレビにも出演するようになる。

女性にとっての永遠の課題は、自分の中に住まう女性性をどう扱うのか、一般的な女性らしさからはみ出した自我にどうやって対処するのかであるという。
女性が自分の意見を発すること、著者が実践していることであるが、それは女性にとって孤独な闘いであるという。

『少年の名はジルベール』竹宮惠子

1970年、すでに新人の漫画家として連載をはじめていた著者は、徳島大学を中退して上京した。同じく新人の萩尾望都と、彼女が連れてきた増山法恵と3人で 、増山の実家から徒歩30秒の一軒家に住むことになった。やがて、そこは「大泉サロン」と呼ばれ、漫画家志望者が寝泊りしたり居候したりする場所となった。いわば、女性版「トキワ荘」である。
竹宮惠子や萩尾望都を中心とした昭和24年25年生まれの女性漫画家は、その華々しい活躍から「花の24年組」と呼ばれている。

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール

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竹宮 惠子
小学館 2016年2月  ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
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著者は、萩尾望都に憧れとジェラシーがないまぜになった気持ち抱くようになり、「大泉サロン」が2年しか続かなかった理由でもあった。
「一つ屋根の下に作家が二人いるなんて」と同居に反対した編集者の危惧が当たった。

音大を志望していた増山は、文学や映画や音楽について詳しく、漫画に対する論評は鋭かった。ある日、著者は増山に少年愛について描きたい旨を話した。増山の賛同が得られ、ふたりとも同時期に、稲垣足穂の名著『少年愛の美学』を愛読していた。
少年愛の魅力とは、少年がもっている細くて不安定で、そんな薄紙一枚の時期にしかない透き通るような声。体も声もあと少しで絶対に消えてしまうとわかっている残酷な美しさであるという。

編集者の駄目出しにもめげず、なんとかしてボーイズラブの漫画を世に出したいと奮闘する著者の願いが実り、1976年に発表された『風と木の詩』は熱狂的支持を得た。

『風と木の詩』の第一話は、少年同士のベッドシーンの行為が終わった情景から始まるという衝撃的なものだった。さらに生徒と教員による売買春、少年と父との近親相姦が描かれる。本書のタイトルにあるジルベールが主人公であった。
多くの批判にさらされたが、寺山修司や河合隼雄はエポックメイキングな作品であると高く評価した。ボーイズラブは、女性の心理メカニズムを描くのに適した表現法であったと著者はいう。

本書は、京都精華大学の学長である竹宮惠子が20歳で漫画家として歩みはじめ、少女漫画界に革命をもたらしたとされる『風と木の詩』を発表するまでを描いた自伝である。

『うそつきくらぶ』メアリー・カー

著者の7歳からの少女時代を回想する形で書かれている。
舞台はテキサスの田舎町リーチフィールド、〈『ビジネスウィーク』がかつて地球上のもっとも醜悪な10の都市のひとつに選んだことがある〉という劣悪なところ。

うそつきくらぶ
うそつきくらぶ
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メアリー・カー/永坂田津子訳
青土社
1999年12月

父親は非番の日に退役軍人仲間と釣り道具屋の奥で、酒を飲みながらバカ話をするのが楽しみで、女房たちはこの会合を「うそつきくらぶ」と呼んでいた。メアリーはこの飲み会に父親にくっついて同席することを許されて、仲間たちが耳を傾ける父親の与太話を聞きながら、あれこれねだっていたのである。

スティーヴン・キングは、『書くことについて』の冒頭で、本書について、次のように触れている。〈メアリー・カーの『うそつきくらぶ』に私は打ちのめされた。その激しさ、美しさ、方言の楽しさによって。さらには、その記憶の完全性によって。メアリー・カーは子供のころのことを全部覚えている。私は違う。〉と絶賛している。

主な登場人物は、上流階級の出のように見えて、何度も結婚していて、マルクスやカミュやサルトルを読み、アルコール中毒で精神を病んでいる厄介な母親、無学だがじゅうぶん立派で無法者と市民とが適度に混じり合っている父親、毒を撒き散らし奇矯な行動を繰り返し癌で死んでいく祖母、主人公と喧嘩を繰り返す合理的で冷たい姉である。
父親が「とんちゃん」と呼ぶ主人公のわがまま娘は、まわりに毒づきながら誰であろうが喧嘩を挑み、それでいて茶目っ気たっぷりに気丈に生きていく。
母親は何度も父親に離婚を持ち出して脅していた。ついには、ふたりは離婚してしまい、またよりを戻すいう波乱万丈の夫婦である。
父親は再婚相手の男の態度に腹を立て、ぶちのめした挙句、救急病院送りにしてしまう荒くれぶりなのだ。

著者の紡ぎ出す文章は、詩的な比喩表現が縦横無尽に使われている。本書は卑猥な表現すら高尚そうに響く「比喩の銀行」と言っていい。
本書の続編、思春期を書いた『Cherry』の訳本をぜひ出版していただきたい。