芥川賞

『死んでいない者』滝口悠生

葬儀がはじまってから夜中過ぎまでの、「死んでいない」親族たちの言動をユーモアを交えて、三人称多視点と神視点から描いている。
第154回(2016年1月)芥川賞受賞作。

85歳で亡くなった故人には5人の子どもがいて、親族はひ孫を入れると総勢30人ほどになる。故人の妻はすでに亡くなっている。
10月の晴れた日。暑くもなく寒くもない、いい季節に死んでくれたと何人もが口にする。

死んでいない者
死んでいない者
posted with amazlet at 16.03.08
滝口 悠生
文藝春秋
2016年1月

親戚たちの略歴が説明され、また会話の中で語られる。血縁関係がところどころで挟み込まれるが、そんな話を聞いて「誰が誰だか全然かわんねえよ」と、祖父の幼馴染みが故人の三男にいった言葉は、この小説のテーマを象徴する。著者は鼻から読者に誰が誰のなにに当たるかを、わからせようと考えていない。
何しろ〈誰が誰の子どもで、誰と誰が兄弟なのか、もはや親戚のごく一部しかわからないし、当人たち同士さえ年の離れたいとことおじおばとの区別がつかない。〉という状況なのだ。大人数の親戚が集まるとこんなものだろう。

遠方すぎて都合がつかなくて来れない奴もいて、離婚して行方不明の奴もその妻だった女の話も出る。まともな奴はまともじゃない奴を、まともな奴から見た基準で選別したりする。

葬式に集まった親戚たちの普通にありそうな有様を描いた作品。

『異類婚姻譚』本谷有希子

専業主婦の主人公は、ある日、夫婦の外見が似てきたことも、目の前にいる旦那のようなものも、受け入れられないと感じた。そんな思いに至る主婦は、世の中に多くいるだろう。マザコンの国に棲息するぐうたら旦那に同化してしまう専業主婦の見込み違いを描いた作品。
第154回(2016年1月)芥川賞受賞作。
異類婚姻譚とは人間と人間以外が結婚する話のことで、例えば『雪女』や『鶴の恩返し』、『美女と野獣』や『奥様は魔女』など、世界中にあまたある。

異類婚姻譚
異類婚姻譚
posted with amazlet at 16.01.25
本谷有希子
講談社
2016年1月

サンちゃんは、子供なし持ち家あり、バツイチの旦那の稼ぎは人並み以上の専業主婦。ある日「自分の顔が旦那とそっくりになっていることに気がついた。」
家にいるときの旦那は、もっぱらハイボール片手にバラエティー番組を見ている。
サンちゃんは夫の顔が臨機応変に変化していることに気づく。
旦那は人といるときちんとしているが、二人だけになると気が緩むらしく、目や鼻の位置が適当になる。
ある朝、鏡を見ると、自分の顔が全体に間延びし旦那の顔に近づいていた。

二匹の蛇がお互いの尻尾を食べていく。同じだけ食べて頭にだけの蛇ボールになり、最後まで食べて何もなくなってしまう。夫婦はそんなものかなと、弟の同棲相手はいう。

なにを思ったのか旦那が毎日のように天ぷらを揚げ、ゲームに明け暮れるようになった。サンちゃんは旦那は無理して人の形をしていなくてもいいのじゃないかと思うようになった。
そして夫のようなものに大声で命令した。

サンちゃんと同じ思いにかられる主婦は、マザコンの国・日本にはごまんといるのではないだろうか。

他に収録されている、『〈犬たち〉』、『トモ子のバームクーヘン』、『藁の夫』の3篇も、テーマが異類婚姻譚に類似した物語。→人気ブログランキング

→『嵐のピクニック』2016.04.14


『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介

主人公の健斗は、5年間勤めた車販売の会社を辞め、仕事を持つ母親と介護を要する訳ありの祖父と暮らしている。行政書士資格試験に独学で挑もうとしているが、花粉症がひどくてさっぱり身が入らない。死にたいが口癖の衰えゆく祖父と、再生しようと奮闘する主人公の対比が本作品のテーマ。第153回(2015年7月)芥川賞受賞作。
介護小説といえば、モブ・ノリオの『介護入門』(第131回芥川賞受賞)がある。

スクラップ・アンド・ビルド
羽田 圭介
文藝春秋
2015年8月

花粉の季節が終わりかける頃から、健斗はやる気が出てくる。まずは、弛緩した体をランニングと独自の筋トレで鍛え始め、勉強にも打ち込むようになる。
定期的に性的関係を持っていた女性と、ちょっとした言い合いのあとデートを拒否されるようになるが、たいして後悔はしていない。

健斗は、老人を辛抱強く見守り、日常生活を自立させることで肉体も脳も鍛えることが、介護の本質と考えている。一方、老人に余計なことを考えさせない、自立を促さない、世話をやき面倒をみることは、老人を弱らせ究極の尊厳死に向かわせるという持論がある。

例えば、電車の中で老人に席を譲らないのは、席を譲らない他の若者たちの理由とは違う。意図的に譲らないのだと、健斗は苛立ちながら若者たちを見つめる。
祖父の88回目の誕生日に現れた姉が、祖父の要求に安易に手を貸すことに怒りを覚える。席を譲らなかったり手を貸したりすることは、行動は同じで結果が同じだとしても、行動理論が違うと健斗は理屈っぽく考える。

健斗のストイックなトレーニングは、厳しさを増していく。
そして、粉飾決算で摘発をされた医療機器メーカーに就職が決まった。健斗は若干不本意であるが、新しい生活に一歩を踏み出すのだった。 →人気ブログランキングへ

→『』東山彰良 第153回直木賞受賞作
→『火花』又吉直樹 第153回芥川賞受賞作

『火花』又吉直樹

主人公の徳永と、彼が師匠と仰ぐ先輩漫才師・神谷との10年間の友好を描いた作品である。
神谷の笑いに対する考えは筋が通った理想論であると徳永は思う。
それを実践しようとする神谷を彼は尊敬した。
第153回芥川賞受賞作。

火花
火花
posted with amazlet at 15.03.18
又吉 直樹 (Matayoshi Naoki
文藝春秋  2015年3月 ★★★★
売り上げランキング: 3

笑いに対する神谷の姿勢は次の言葉に表わされている。
〈漫才師である以上、面白いことをするのが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあるねん。だから、お前の行動の全てはすでに漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すものやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分を真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるものやねん。〉

10年後、自らの理想の笑いを追求し続け落ちぶれてしまった神谷を、徳永は認めようとする。笑いに対する自説を貫くあまり人生を逸脱していく神谷をあくまで受け入れようとする主人公を描くことで、本作は成功していると思う。

本作を「人気漫才師の小説としては」という前置きで論ずる向きがあるが、そうした修飾は無用な文芸作品である。→ブログランキングへ

→『』東山彰良 第153回直木賞受賞作

『9年前の祈り』小野正嗣

障害をもつ幼い息子と暮らすさなえは、同じ悩みを抱えていたみっちゃん姉の入院している息子を見舞うことで、鬱々とした現実に希望を見出そうとする。苦悩するさなえの孤独な心情が巧みに描写されている。
第152回芥川賞(2015年2月)受賞作。

九年前の祈り
九年前の祈り
posted with amazlet at 15.02.15
小野正嗣(Ono Masatsugu
講談社
2014年12月 ★★★★☆

さなえは、引きちぎれたミミズのようにのたくり泣きわめくことでしか感情を表現できない4歳の息子と、海辺の田舎町の両親のもとに戻ってきた。息子の外見は別れたカナダ人の夫とそっくりで、連れて歩くと「可愛い」と言葉をかけられる。

9年前に、教育委員会の仕事をしていたさなえは、町の国際交流推進事業のカナダ研修旅行に参加した。
その旅行で、誰からも好かれるみっちゃん姉と呼ばれる初老の女と同室となった。
みっちゃん姉の息子は歩き出すのも遅く喋るのも遅く高校を出たが、土建屋を渡り歩くような生活をしているという話を、みっちゃん姉から聞く。

カナダで知り合った青年が日本に現れ、やがてさなえと結婚する。夫は外資系金融会社に転職し息子が生まれ、順風満帆と思われたのは短い期間だった。夫はベンチャー企業の立ち上げで忙しくなったと家に帰らなくなり、やがて離婚にいたった。

9年前と現在とその間を埋める話が、前後しながらストリーは進んでいく。
息子のミミズを引きちぎりたくなることもあった。息子を突き放したいと思うことも、息子の体にミミズがのたくるスイッチをみつけようとしたこともあった。ミミズの比喩はさなえの苦悩の象徴として何度も登場する。

そして、みっちゃん姉の息子が入院する大学病院に息子と船に乗り向かい、途中で、見舞いの品として魔除けのご利益があると伝えられる貝殻を拾うために、島に下船するのである。→ブログランキングへ

『乳と卵』川上未映子 

著者の文章は主語がなかったり述語を省略したり、句点を打たずに長々と続けたり、大阪弁をつかったり、自由だ。詩的な表現が魅力。徹底して男の視点が排除され、テーマである女性「性」を、女の視点で赤裸々にしている。
著者のサイト純粋悲性批判をのぞいたら、乳と卵は二大アレルギー物質と、なるほどねー。 第138回芥川賞(2008年1月)受賞作。

乳と卵(らん) (文春文庫)
乳と卵(らん)
posted with amazlet at 14.03.05
川上未映子(Kawakami Mieko
文春文庫
2010年9月 ★★★★★

40歳の姉とその娘が、姉の豊胸手術の目的で大阪から東京に出てきて主人公のアパートに滞在する3日間を描いたもの。思春期の娘は言葉を発せず筆談でコミニュケーションをとるようになっていた。

豊胸手術は誰のために受けるのか。男のためではないかという厚化粧女と、手術を受けるのは自分のためであり、そもそも化粧をすることそのものが男に迎合しているという胸の平たい女との言い争いの場に、主人公がいあわせたエピソードが書かれている。やり取りは、白熱してやがて関西弁になるのだが、いわば女性に関わる古典的かつ哲学的な問題であって、愛読書として『子供のための哲学対話』(永井均/講談社文庫/2009年)を挙げる著者が、本書でもっとも力を入れたところではないか。哲学と関西弁の相性のよさは、『ソクラテスの弁明 関西弁訳』(プラトン 井口裕康訳/パルコ/2009年)で、目からウロコものくらいに、証明済みである。厚化粧女と胸平板女が繰り広げる会話にはユーモアがありテンポがよくて、まるでコントのよう。このあたりは大阪人である著者のサービスかもしれない。

姉は乳房に異常なこだわりを持ち、だから豊胸手術を受けようと考えるのだが、主人公と出掛けた銭湯では、選り取り見取りのサンプルを目の前にしての乳房談義あれこれを繰り広げる。乳房が膨らむことに異常な嫌悪を持つ娘は、母親が豊胸手術を受けることがどうにも許せず反抗的になっている。主人公は早まって始まった月経にうんざりしている。

後半に、母娘がいくつもの卵を頭で割り身体中がベトベトになる場面がある。女性「性」の根元である卵子を破壊する象徴と捉えることができるが、いささか突飛である。
ともあれ、肉体的にであれ精神的にであれ、三者三様の逃れようのない、なんとも鬱陶しい女性「性」との格闘が緻密に描かれている。

ほかに、『あなたたちの恋愛は瀕死』が収録されている。→ブログランキングへ

『爪と目』藤野可織

第149回芥川賞受賞作。
「爪と目」はホラーの要素があるシュールな作品。「しょう子さんが忘れていること」は老女の性を巧みに扱っている。「ちびっこ広場」は母性愛を描いた作品である。

爪と目
爪と目
posted with amazlet at 13.08.05
藤野可織
新潮社
2013年7月  ★★★★☆

「爪と目」
幼女の視点から描かれ、それが独特な雰囲気が出ている。この視点でストーリーが成り立つ、ということはほかの視点からでも成り立つということだ。
冬に幼女の母親は自宅のマンションのベランダで死んだ。事故死とされた。
父親は付き合っていた女と暮らし始める。
幼女は、母親が亡くなってからベランダに近づかなくなり爪を噛むようになった。
女はかなり進んだ近眼でコンタクトレンズを入れている。
亡くなった母親の本を引取りに来た古本屋と、女は浮気をするようになる。
ある日、突然に訪れた古本屋との情事の間、女は幼女をベランダに追い出す。幼女はパニックに陥ってしまう。よく日、おとなしかった幼女が園児たちの顔を噛んでギザギザになった爪で引っ掻き、けがを負わせる。女は幼女の爪をヤスリで滑らかにしてマニキュアを塗る。
寝入っている女に幼女が乗っかって、剥がれたマニキュアの破片を女の目に入れようとする。

「しょう子さんが忘れていること」
老女の性を奥ゆかしく爽やかにちょっとだけ艶めかしく描いた作品。
しょう子さんは脳梗塞でリハビリ病院に入院している。毎朝、何もかもが気に入らない気分で目が覚める。
陽気で親切で誰からも好かれる入院患者の川端くんをしょう子さんも気に入っている。
見舞いにくる長女の長女は37歳で未婚。そのことで、しょう子さんは37歳のときに最後のセックスを済ませたことを思い出した。長女の長女のセックスはこれからだ。そんなことを考えたことにしょう子さんはわれながらムッとする。
就寝時間になるとしょう子さんはベッドに誰かが現れたような気がした。しょう子さんの体は激しく震える。これが毎晩繰り返えされ翌朝には忘れている。

「ちびっこ広場」
若い母親と息子の絆を描いた作品。
実加は大学の同級生の結婚披露パーティに出掛ける身支度をしている。
いつもは、ちびっこ広場で遊んで約束の時間に遅れる息子の大樹が、早く帰ってきた。何があったのか、うずくまって顔をあげない。仕方なく夫の帰宅を待ってパーティに出かけた。しかし実加は大樹のことが気になって仕方がない。二次会は止めにして帰宅する。
大樹は広場で起こったことを実加に話す。そして、夜中に実加と太樹は広場に向かう。