芥川賞

2023年9月13日 (水)

ハンチバック 市川沙央

2023年上半期、第169回芥川賞受賞作。

主人公の井沢釈華は先天性の筋肉疾患をかかえる40代の重度身障者である。
14歳のときに気管切開を受け、それ以来人工呼吸器の世話になっている。
こだわりのある身障者の性が描写される。
極度に湾曲したS字の背骨はだから、ベッドは左側からしか降りられない。右を見ようとしても首が動かない。冷蔵庫の上段にも下段にも手を伸ばせない。右足はつま先だけが床につくから、跛行にも程がある歩き方になる。
ハンチバックとは背骨が曲がった「せむし」という意味。
Img_0306 ハンチバック
市川沙央 
文藝春秋 
2023年6月 96頁

住まいはグループホームの10畳の自室で、両親はグループホームのほか数棟のマンションと多額の資産を残してくれた。したがって経済的には至って裕福である。
食事は食堂で他の身障者と一緒に摂る。日常生活は介護人の世話が必要である。

釈華はコタツ記事ライターで、週に何本かの記事を納入している。
コタツ記事とは、取材せずに、ほとんどネット上の情報のつぎはぎで粗製濫造された記事。1記事3000円で、稼いだ金は全額寄付している。

生まれ変わったら高級娼婦になりたいと呟くアカウントには誰からも「いいね」がつかない。学歴は中卒だが通信大学は2校目に在籍しているから、40歳過ぎても大学生だ。

紙の本を1冊読むと、本の重さと姿勢の関係で体に著しく負担がかかる。
背骨は曲がり肺を潰し頭をぶつけて体は生きるために壊れてきた。生きていれば生きるほど体はいびつに壊れていく。

そんな釈華の望みは妊娠してそして堕胎すること。出産は体が持たないし育てることができないからだという。
そして望みをかなえようと行動に出る。→人気ブログランキング
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2021年3月25日 (木)

コンビニ人間

コンビニ店員の主人公を通して、現代人の生き様を描く。第155回(編成28年度上半期)芥川賞受賞作。
Photo_20210325083901コンビニ人間
村田沙耶香
文藝春秋 (文春文庫 2018年)
2016年

主人公は変わった子どもだった。死んだ小鳥を食べようと言い、親からたしなめられた。
小学校のときに、取っ組み合いの喧嘩をしている同級生の男子の頭をスコップで殴って、喧嘩を止めさせた。ヒステリーになって教壇の机を出席簿で叩く若い女の先生のスカートとパンツを下げて、静かにさせた。それもこれも、「止めろ」と叫ぶ声に従っただけだとうそぶく。事件が起こるたびに、母親は学校に呼び出された。
行動すると問題が起きるので、高学年になるとほとんどしゃべらなくなり、行動しなくなった。
小学校・中学校を無事終了し高校も大学も、同じ対応でやり過ごした。

19歳の大学1年生のときに、新規開店するコンビニがアルバイトを募集していたので、そこに行ってみた。それからそのコンビニでアルバイトを続けた。主人公は36歳になり、相変わらずコンビニでアルバイトをしている。

主人公は地元の友達と会うときには、少し持病があって体が弱いからアルバイトをしていることにしている。コンビニでは、親が病気がちで介護があるからアルバイトなら時間に融通がきくからだということにしている。この二種類の言い訳は妹が考えてくれた。
コンビニは、性別も年齢も国籍も関係なく、同じ制服を身につければ全員が店員という均等な存在だ。

婚活が目的だという35歳の自己中心的な男は、若い女性の宅配便の住所を写メで撮っている。店員の一人は、四六時中、不満をいう現実逃避の男。客に注意して回る中年の客 など、まともじゃない人がいる。

昇進の望みないから、同僚はころころ入れ替わる。コンビニ店員は、コンビニ店という箱の中で、マニュアル通りの動きをすることだけを求められる。主人公にとってはコンビニ店員としてのアイデンティティだけが拠り所であり、生きる証なのだ。

〈朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだ。〉と、自分に言い聞かせている。→人気ブログランキング 

おばちゃんたちのいるところ/松田青子/中公文庫/2019年
コンビニ人間/村田沙耶香/文春文庫/2018年
JR上野駅公園口/柳美里/河出文庫/2017年

2021年2月11日 (木)

推し、燃ゆ

〈推しが燃えた。ファンを殴ったらしい〉という文章からはじまる、女子高生の生き樣を描いた作品。著者の宇佐美りんは21歳。今期(2021年1月20日)の芥川賞を受賞した。「推し」とは、「あたし」こと山下あかり16歳が、追いかけるアイドルの上野真幸のこと。男女混成アイドルグループ「まざま座」のメンバーである。
Image_20210211110201推し、燃ゆ
宇佐美りん
河出書房新社
2020年

あかりの友人の成海は、ライブの後のチェキ撮影で触れ合えるメンズ地下アイドルに熱を上げている。あかりは推しに触れたいとは思わない。プラトニックにということだ。

あかりの部屋は推し中心にアレンジされている。最も目立つところに推しのサイン入りの写真が飾ってあって、周りは推しのメンバーカラーの青や水色や紺色の額縁に入ったポスターで飾られている。推しに対するあかりの思いは鬼気迫るものがある。
あかりは定食屋兼居酒屋でバイトしていて、1時間働くと生写真1枚が買える、2時間働くとCD1枚が買える、1万円稼いだらチケット1枚になる。
バイトで稼いだ金をつぎ込んでCDを50枚も買って投票したのに、グループ内順位は1位から5位に転落した。暴力をふるったことが響いたのだ。あれだけのことがあっても、応援してくれたことに感謝すると、推しは挨拶した。

あかりは推しの事件以来、歯車が狂ってぐじゃぐじゃになっていく。「もう生半可に推せなかった。あたしは推し以外に目を向けまいと思う」と決めた。バイトではミスを連発するし、このままだと留年になってしまうと担任に言われる。そして祖母が死んだ。無断欠勤が続き、バイトは辞めさせられた。高校も中退する。

推しの同棲が報道された。解散会見が行われ、推しは左薬指に指輪をはめていた。推しがいようといまいと関係がない。あかりは推しが住んでいるとSNSで流れた住所に行く。家に帰ってきて、綿棒のケースを床に投げつけた。綿棒を拾いながら、どうして普通の生活ができないのだろうと悲嘆にくれる。

本書は同年代の支持ばかりでなく大人たちの支持も得て、ベストセラーになっている。→人気ブログランキング

「推し」の科学 プロジェクト・サイエンスとは何か/久保(川合)南海子/集英社新書/2022年

2019年8月 1日 (木)

芥川賞ぜんぶ読む 菊池 良

芥川賞は84年の歴史があり、年に上半期と下半期の2回、選考される純文学の新人賞である。受賞者はいままで169人、作品は180冊に上る。著者は勤めていた会社を辞めて、1年間でそれらを読破し本書を書き上げたという。
純文学というカテゴリーは日本独特のもので、「娯楽性」よりも「芸術性」に重きをおく小説を総称する。芸術性を追求しているということだから、マジックレアリズムを駆使したり、SF的であったり、実験的な要素もありということだ。あるいは人生の究極の目的を追求したりもするから哲学的であったりもする。
ただし、芥川賞は長編はお断りである。
Image_20201128095101芥川賞ぜんぶ読む
菊池 良
宝島社 2019年

受賞者のなかには知らない作家が結構いる。芥川賞作家には一発屋が多いということかもしれない。
松本清張は『或る「小倉日記」伝』(1952年下半期)で芥川賞を獲っているが、その後の一連の作品はどう見ても直木賞作家のものである。『或る「小倉日記」伝』は、もともと直木賞の候補だったが、候補作の下読みをしていた永井龍男の助言で芥川賞に回されたという。
芥川賞を獲った後に娯楽性の高い作品を書いている作家はまだいる。五味康祐、吉行淳之介、宇能鴻一郎、田辺聖子などである。

ところで、本書の進行役として、コンビニ店員として働きながら小説家を目指す19歳の具田川龍子(くたがわりゅうこ)と、つのがいという名の漫画修行中の身で龍子の勤めるコンビニに通う男が、4コマ漫画に登場する。龍子が芥川賞を獲ろうと奮闘する様が描かれている。

既読は180中たった30作品だった。
それではなにを読むか。芥川賞では歴史小説はあまり受賞例がないというので、歴史小説の古い受賞作を読んでみようと、『平賀源内』(櫻田常久 1940年 下半期)を検索したところ、10万円以上する稀覯本になっていた。それは諦めて、買って積んでおいた芥川賞作品を読むことにしよう。まずは、『1R1分34秒』(町屋良平 2018年下半期)からだ。

「あらゆる時代にいい小説を書こうとしている人がいた」ということに感動したというのが、著者の感想である。→人気ブログランキング

2019年7月19日 (金)

むらさきのスカートの女 今村夏子

むらさきのスカートの女を、ストーカーの視点で、ユーモアをまじえて小気味良いテンポで描いている。
街で、むらさきのスカートの女を知らない人はいない。
見かければ、知らんふりをする人、道を開ける人がいて、その日は運がいいとか3度見ると不幸になるとかいうジンクスまである。
わたしはむらさきのスカートの女がぼろアパートの2階に住んでいることを知っている。仕事は不定期で経済的に苦しいはずだということを知っている。なぜこうも、むらさきのスカートの女のことが気になるのか?むらさきのスカートの女と同類であるわたしは、黄色いカーディガンの訳あり女なのだ。
Photo_20201201083001むらさきのスカートの女
今村夏子
朝日新聞出版 2019年

むらさきのスカートの女が座る公園のベンチに、ページに印をつけたコンビニの就職情報誌をおいておく。まんまと引っかかりそのページの会社の面接を受けて、ホテルの清掃職に就いた。
職場で、むらさきのスカートの女は初めはおどおどしていたものの、マネージャーに可愛がられ、1週間という異例の早さでトレーニング期間を終えて独り立ちした。そこから、むらさきのスカートの女は増長していく。

痩せていたむらさきのスカートの女はふっくらとしてきて、綺麗になったと言われるようになった。時給は1000円に増え、その後1500円くらいになったらしい。
部屋に内鍵を掛けての清掃作業は禁止されているが、むらさきのスカートの女は鍵をかけるという。
所長の黒い車で一緒に出勤するようになったという。わたしは所長とむらさきのスカートの女のデートを尾行した。その夜、所長はぼろアパートに泊まった。

マネージャーが、朝のミーティングで、最近バスローブなどの備品が大量になくなるので、チェックを怠らないようにと注意を喚起した。ある日、ホテルの備品が小学校のバザーに出品されていたという通報がホテルに入った。
そして、むらさきのスカートの女と所長の関係に致命的な亀裂が入る。
第161回(2019年7月)芥川賞受賞。→人気ブログランキング

2019年2月28日 (木)

ニムロッド 上田岳弘

テクノロジーが先行したポストヒューマンの世界が、作中の小説の中に描かれている。小説の書き手は荷室さんことニムロッド、主人公・中本哲史の会社の先輩である。ちなみに、ニムロッドは「旧約聖書」でバベルの塔の建造において発案者とされる人物である。
中本は小さなインターネット・サーバー会社に勤めている。法人向けのサーバーの保守を提供する、契約社員を合わせて50名ほどの会社だ。
社長に金を掘る仕事をするよう命じられた。仮想通貨のビットコインを採掘せよという。かくして採掘課の課長となった中本は、余剰のサーバーマシンを活用して、ビットコインの発掘を開始する。
第160回(2019年1月)芥川賞受賞作。
Photo_20201201083601ニムロッド
上田岳弘講談社
2019年

ビットコインは、2008年に、サトル・サカモトと名乗る人物が発表した論文が元となり、2009年から発掘が開始された。
ビットコインはその存在を保証する台帳があるだけだ。発掘は提供されるアルゴリズムに則ってPCで計算し台帳に追記する。計算したPCには報酬として新たに発行されるビットコインが送られる。
誰がいくら持っているかが台帳に記載されていて、その状態を存在すると皆で合意することでビットコインは存在することになる。
翌朝、中本が地下のサーバーでどれくらいコインを掘り当てたかをみると、日本円に換算してPC1台につき920円。余っているサーバーが11台あるから、1日10120円稼ぐ勘定になる。1ヶ月30万円だ。
創始者は新規に発行されるビットコインの上限を設けていて、掘り尽くすのは、現存する人間たちがすべて死滅するだろう2140年だという。
仮想通貨はソースコードと哲学でできているとニムロッドは言う。

中本のもとには、ニムロッドからときどきメールが届く。役に立たない「ダメな飛行機」の情報が1機また1機とシリーズで送られてくる。ニムロッドは中本の1年先輩で、文学賞の新人賞の最終選考に3回残っていずれも落ちた。最後に落選してから1年後に鬱になって、長期間会社を休み、実家がある名古屋の支社に転勤となった。

小説の中のニムロッドは巨万の富を保有している。バベルの塔を思わせる高い建築物の先端で暮らしていて、屋上には役に立たない飛行機が何台も置いてあるというマジックレアリズムの世界が展開する。

仮想通貨は、人間の欲望とテクノロジーが結びついたものだ。仮想通貨を掘ることはバベルの塔を積み上げることにつながる。バベルの塔の先端に置いた「ダメな飛行機」たちは、意味のないことに情熱を燃やすことが世の中を支えてきた、あるいは、現代社会の多くのことが将来無意味になるだろうと暗示している。そして意味のないことに意味を求めなければ、成り立たないかもしれないこれからの人類の
の生き様を象徴している。→人気ブログランキング

2018年3月 3日 (土)

百年泥 石井遊佳

自らの混沌とした生き様を、マジックリアリズムの手法を用いて描いた作品。
南インドのチェンナイに来て3ヶ月半たったある日、目覚めると1階の門扉が隠れるくらいの洪水だった。アダイヤール川が氾濫し、100年に1度の大洪水に見舞われたのだ。電気・水道がとまり、インターネットが不通になった。
主人公が受け持つ日本語のクラスは当然休講になる。
Image_20201128153601百年泥
石井 遊佳
新潮社
2018年

男に騙されて多重債務者になり、ヤミ金の借金を元夫に返済してもらった代わりに、チェンナイにある会社の日本語講師の職を斡旋してもらった。5年かけて元夫からの借金を返すことになった。
つい最近、大阪とチェンナイは友好都市の提携を結び、大阪市にあるすべての招き猫とチェンナイ市のガネーシャ像を交換したという。
日本語クラスの生徒は、名のあるIT企業の新入社員4名。一流大学を卒業したばかりの若い男たちだ。
生徒たちとやりとりは、初めはもちろんスムースに行かなかった。そのうちに無駄口の多い生徒が、質問によって授業の道筋をつけてくれているのではないかと思い始めた。

洪水の3日後に街に出ると、川の底に溜まっていた100年分の泥が道の端にず高く積まれていた。街は大洪水の後を見物しようとする群衆でごった返している。翼で飛翔する通勤者が現れたりする。
その百年泥から、大阪万博のコインペンダントや人魚のミイラや人間など、さまざまなものが現れてくる。

架空の話と現実の話が混じり合い、場所や時制が切れ目なく変わり、苦悩の過去やなんとかやり過ごせそうな現在が饒舌に語られる。筆さばきが見事だ。
第158回芥川賞受賞作(2018年1月)。→人気ブログランキング

2018年2月 8日 (木)

おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子

本書のタイトルは、宮沢賢治の詩集『永訣の朝』の中に収められている詩の一節からきている。死にゆく妹への想いを詠んだ詩「あめゆじゅとてちてけんじゃ(雨雪を取ってきてちょうだいの意味)」のなかで、妹が発した言葉「Ora Orade Shitori egumo」からとった。詩ではこの言葉だけがローマ字になっている。

本書は、青春小説と対照的な玄冬小説であるという。玄冬とは古代中国の五行思想で冬のこと。ひとりで生きていく意味を自問自答し続ける桃子さんの心のうちを描いた作品。東北弁がことのほか効果的に使われている。

Photo_20201104143901 おらおらひとりいぐも
若竹千佐子
河出書房新社 
2017年 ✳10

東京オリンピックのファンファーレを背中に聞いて東北から上京した24歳の桃子さんは、食堂の住み込みとして働きはじめた。客として現れた周蔵と、東北弁がきっかけで付き合い結婚をした。娘と息子に恵まれふたりを育て上げた。ところが早くに最愛の夫を亡くしてしまい、今はひとりで暮らしている。

73歳の桃子さんは標準語を使っていたが、この頃は頭の中で東北弁が溢れている。東北弁をしゃべるいくつもの柔毛突起が、頭の中であれこれ意見を出す。桃子さんは理詰めで物事の意味を考えたいタイプだ。こころの中では結構多弁なのだが、現実の他人の前では失語症を患う人のように何もしゃべれない。

夫が死んで、それまで現実の世界しかないと思っていたが、夫が行った「別の世界」があると思えるようになった。
タイトルの「おらおらでひとりいぐも」は、「夫のいる別世界に行く」と捉えるのが順当だが、「これからもひとりで生きて行く」という桃子さんのささやかな決意にとることもできる。もはや青春のように、前に突き進むような威勢のいい状況ではないのだ。

桃子さんは、周蔵の死を悲しんでいるばかりでなく、喜んでいる自分もいることに気づいた。
ひとりで生きてみたかった。それを周蔵がはからってくれた。それが周蔵の死を受け入れるための意味だと桃子さんは考えた。
第158回芥川賞受賞作(2018年1月)。→人気ブログランキング

2016年3月 8日 (火)

死んでいない者 滝口悠生

葬儀がはじまってから夜中過ぎまでの、「死んでいない」親族たちの言動をユーモアを交えて、三人称多視点と神視点から描いている。
第154回(2016年1月)芥川賞受賞作。

85歳で亡くなった故人には5人の子どもがいて、親族はひ孫を入れると総勢30人ほどになる。故人の妻はすでに亡くなっている。
10月の晴れた日。暑くもなく寒くもない、いい季節に死んでくれたと何人もが口にする。

Photo_20201121083101死んでいない者
滝口 悠生
文藝春秋
2016年

親戚たちの略歴が説明され、また会話の中で語られる。血縁関係がところどころで挟み込まれるが、そんな話を聞いて「誰が誰だか全然かわんねえよ」と、祖父の幼馴染みが故人の三男にいった言葉は、この小説のテーマを象徴する。著者は鼻から読者に誰が誰のなにに当たるかを、わからせようと考えていない。
何しろ〈誰が誰の子どもで、誰と誰が兄弟なのか、もはや親戚のごく一部しかわからないし、当人たち同士さえ年の離れたいとことおじおばとの区別がつかない。〉という状況なのだ。大人数の親戚が集まるとこんなものだろう。

遠方すぎて都合がつかなくて来れない奴もいて、離婚して行方不明の奴もその妻だった女の話も出る。まともな奴はまともじゃない奴を、まともな奴から見た基準で選別したりする。

葬式に集まった親戚たちの普通にありそうな有様を描いた作品。→人気ブログランキング

2016年1月26日 (火)

異類婚姻譚 本谷有希子


専業主婦の主人公は、ある日、夫婦の外見が似てきたことも、目の前にいる旦那のようなものも、受け入れられないと感じた。そんな思いに至る主婦は、世の中に多くいるだろう。マザコンの国・日本に棲息するぐうたら旦那に同化してしまう専業主婦の見込み違いを描いた作品。
第154回(2016年1月)芥川賞受賞作。
異類婚姻譚とは人間と人間以外が結婚する話のことで、例えば『雪女』や『鶴の恩返し』、『美女と野獣』や『奥様は魔女』など、世界中にあまたある。
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本谷有希子 (Motoya Yukiko
講談社
2016年

サンちゃんは、子供なし持ち家あり、バツイチの旦那の稼ぎは人並み以上の専業主婦。ある日「自分の顔が旦那とそっくりになっていることに気がついた。」
家にいるときの旦那は、もっぱらハイボール片手にバラエティー番組を見ている。
サンちゃんは夫の顔が臨機応変に変化していることに気づく。
旦那は人といるときちんとしているが、二人だけになると気が緩むらしく、目や鼻の位置が適当になる。
ある朝、鏡を見ると、自分の顔が全体に間延びし旦那の顔に近づいていた。

二匹の蛇がお互いの尻尾を食べていく。同じだけ食べて頭にだけの蛇ボールになり、最後まで食べて何もなくなってしまう。夫婦はそんなものかなと、弟の同棲相手はいう。

なにを思ったのか旦那が毎日のように天ぷらを揚げ、ゲームに明け暮れるようになった。サンちゃんは旦那は無理して人の形をしていなくてもいいのじゃないかと思うようになった。
そして夫のようなものに大声で命令した。

サンちゃんと同じ思いにかられる主婦は、マザコンの国・日本にはごまんといるのではないだろうか。

他に収録されている、『〈犬たち〉』、『トモ子のバームクーヘン』、『藁の夫』の3篇も、テーマが異類婚姻譚に類似した物語。→人気ブログランキング

→『嵐のピクニック
→『異類婚姻譚

 

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