時代小説

『尼子姫十勇士』諸田玲子

毛利氏に敗れ石見銀山を抱える出雲国を追われた尼子氏の勇士たちが集結し、出雲国の奪還をかけて毛利軍と戦う歴史ファンタジー。古事記の逸話を絡めたり、忍者が跋扈する山田風太郎の世界を彷彿とさせたり、大いに楽しませてくれる。

応仁の乱(1467〜1477年)の頃、出雲国の主権を手中にした尼子氏であったが、1566年、毛利軍に滅亡させられる。
その2年後、尼子氏の遺臣である山中鹿介や立原源太兵衛らは、京都興福寺で僧侶となっていた尼子勝久を還俗させ尼子再興軍を募り、毛利氏に立ち向かおうとする。一時はいくつかの城を奪還するが、1578年、上月城を毛利軍に陥落させられ劣勢を強いられる。そして勝久は自害し鹿介は誅殺され、尼子氏は完全に滅亡する。以上が史実であるが、本書の結末はどうなのか。

それぞれの事情を抱える十勇士たちは、尼子勝久を総大将に仰ぎ、大将・山中鹿介と勝久の生みの親・スセリビメのもとに集結し、尼子再建に奮闘することを誓う。

尼子姫十勇士 (毎日新聞出版)
尼子姫十勇士
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毎日新聞社
2019年3月 ✳︎9

勇士はさることながら、強烈な個性をもつ女性たちの活躍も見逃せない。
スセリは並みの人物ではなく尼子再興のため黄泉の国から遣わされた女神と思われている。3本脚の八咫烏を守護神とし強烈なカリスマ性が備わってる。その乳姉妹のイナタはスセリの身の回りの世話をする。
鼠の介と夫婦である大柄な猫女は忍びでもあり占いを司る。
女介は勇士として男勝りの活躍をする
毛利の間者・世木忍者のナギは尼子軍を窮地に陥れようとスセリ・勝久の母子に近づく。ナギはスセリの体に入り込み、ナギとスセリが入れ替わるに至り、状況はこんがらがる。
さらに、十勇士のひとりの妹という触れ込みで尼子軍の裏方に紛れこんだ遊女・黄揚羽は、場所をわきまえずに春をひさぐというあっけらかん振りである。はじめは非難の目で見ていたまわりの者は、黄揚羽の天衣無縫さに圧倒されてしまう。やがて黄揚羽の義を貫く筋の通った言動が、まわりの者の共感を得ていく。皆から信頼され賞賛を得る娼婦を登場させたことは大成功だ。

尼子再興軍の戦略は、毛利が九州の大友との合戦の準備に余念がない間に、出雲を手中にしようというものである。
当初は再興軍が毛利の城を陥落させていったものの、本命の月山富田城の奪還には至らなかった。一時は、毛利元就の病が重くなり兵が撤退したが、やがて毛利の圧倒的な兵力に押され、再興軍は奪還した城を奪われていく。そんな劣勢を挽回しようと、スセリは神々のご加護を得んがために、黄泉国に通じる洞穴に入っていく。

『すかたん』朝井まかて

大坂の蔬菜を扱う老舗の青物問屋・河内屋を舞台に繰り広げられる人情物語。
著者の作品には植物が多く描かれる。『落陽』では明治神宮の人工林の建設を描いた。最新作『雲上雲下』には、巨大な草「草どん」が、語り部となって物語を進めている。デビュー作『花較べ 向嶋なずなや繁盛記』は、江戸の植木屋が舞台の話だ。著者は植物が大好きだそうだ。
登場人物のキャラが際立っていて、青野物問屋にかかわる人びとの生き様が見事に伝わってくる。
第3回 大阪ほんま本大賞受賞作。

すかたん (講談社文庫)
すかたん
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朝井 まかて
講談社文庫 2014年 ✳10
売り上げランキング: 91,835

主人公の千里は江戸の饅頭屋の娘で、美濃の侍・三好数馬の妻となった。夫の数馬は大坂勤め1年で急死した。
千里の実家は嫂が取り仕切っていて、とても金を貸してくれと頼めず、江戸に帰ることもままならない。大坂で自活して金を貯め、江戸に帰るときに美濃の菩提寺に納骨された数馬に香華を手向けたい。それが千里の願いである。
千里は子どもと言い合いになって、またもや寺子屋の手習師匠を馘になった。3回目だ。おまけに住んでいる長屋に空き巣が入り金目のものはなくなり、家賃も払えなくなって路頭に迷う寸前に、青物問屋の若旦那・清太郎の口利きで、清太郎の実家である河内屋に上女中として住み込むことになる。上女中とは、お家さん志乃つきの女中である。仕事は志乃の身の回りの世話にはじまり、志乃が命令するすべてである。起きてから寝るまで休む暇はない。

清太郎は廓のある色町に入り浸って、酒ばかり飲んでいる。およそ世事には疎いが、自分が良かれと思ったことには猪突猛進して成しとげる愛すべきキャラクターなのだ。

初めて遣いに出た千里は、百姓のネギ売りが同心から咎められている場面に出くわす。千里はその百姓から大量の難波葱をもらって、翌朝の朝餉の味噌汁の具にしたことが、騒動の始まりだった。
清太郎はその百姓をとっちめると、千里にネギ売りがいた場所に案内させた。葱の不法販売の百姓は現れなかった。このことをきっかけに、逆に静太郎は百姓の立売の許可に動くことになり、それは取りも直さず、天満青物市場に喧嘩売ってるようなものだ。清太郎が難波村についていると知ったら、問屋連中は黙っていない。

青物問屋の集まりで、伊丹屋から清太郎が難波の百姓に手助けをしたことが告げられ、河内屋の当主・惣左衛門は窮地に立たされた。清太郎を廃嫡にすると息巻く。
惣左衛門は、青物問屋会の頭取を辞め、伊丹屋が後釜に座る。そして河内屋の売り上げは激減し、奉公人も辞めていき、あわや潰れそうになる。

伊藤若冲の「蕪」の絵を登場させるにくい演出は、河内屋にとって起死回生の逆転打への布石でもある。

雲上雲下/朝井まかて/徳間書房/2018年
落陽/朝井まかて/祥伝社文庫/2019年
阿蘭陀西鶴/講談社文庫/2016年
胘(くらら)/新潮社/2016年
恋歌/朝井まかて/講談社文庫/2015年
すかたん/朝井まかて/講談社文庫/2014年

『眠狂四郎無頼控(一)』柴田錬三郎

直木賞作家・柴田錬三郎の傑作『眠狂四郎無頼控』は、1956年(昭和31年)5月から『週刊新潮』に、毎週読み切りという短編連作の形で掲載された。翌 1957年に書籍化され、文庫は1960年に発刊され70刷を重ねている。超ロングセラーである。

眠狂四郎は、ころび伴天連と日本人女性との混血という生い立ちである。そういう出自のせいか虚無感漂う二枚目で、豊臣秀頼佩刀とされる「無想正宗」を帯び、眠りを誘う秘剣「円月殺法」により小気味いいくらいに悪人をばったばったと斬り捨てる。

眠狂四郎無頼控(一)(新潮文庫)
眠狂四郎無頼控(一)
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新潮文庫
1960年 ✳︎10

 

江戸城内に権力をほしいままにしているのは、老中筆頭水野忠成である。将軍家斉とその生父一橋治済の殊寵を得ていて、他の閣僚は手の出しようがなかった。ところが昨年、水野越前守忠邦が、京都所司代・侍従より西丸老中に任じ、家斉の世子家慶の補佐役として登場するや、幕閣内には変化が現れはじめた。
この忠邦の江戸城登場を、水野忠成一統が看過するはずはない。こうして両陣営の暗闘が繰り広げられるのである。

水野忠成一統には、ご禁制の貿易により得た舶来品を賄賂としてばら撒き幕閣内を暗躍する廻船問屋越前屋、さらに越前屋と手を組んだ奥医師・室矢醇堂がいて、悪事に手を染めている。
一方、忠邦の側頭役・式部仙十郎は、眠狂四郎に情報を与えつつ後ろ盾となっている。という善と悪との対立が基本スキームである。

それぞれの章は次章への余韻を残しながら、眠狂四郎の円月殺法で悪を叩き斬って終わる。
早春のひな祭りにはじまり、四季折々の描写が挟み込まれるところも、本書の魅力である。美保代と静香というふたりの若い女性と狂四郎の絡みも見逃せない。また、昭和30年代を風刺する語句を歌い込んだ江戸の戯れ歌が登場するのは洒落ている。

解説は『沈黙』を書いた遠藤周作である。切支丹つながりかと思いきや、そのあたりのことは触れておらず、何しろ面白くて時代を先取りしていてインテリ向けだと書いていて、連載されていた頃、本作が大人気であったことをうかがわせる。

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『壬生義士伝』浅田次郎

武士の世の終焉を舞台に、新撰組隊士として生きた吉村貫一郎と彼に関わった人物たちを描いた著者渾身の大傑作。南部藩の下級武士の息子だったふたりの男の友情と家族愛が貫かれている。

大阪の南部藩蔵屋敷に、刃がこぼれ曲がって鞘に収まらない刀を握りしめた満身創痍の吉村貫一郎が現れた。貫一郎は6年前に南部藩を脱藩し新撰組に入隊した。鳥羽伏見の戦いで負傷し、蔵屋敷に現れ帰参を願い出たのだ。蔵屋敷を仕切っていた大野次郎右衛門(次郎衛)は名刀・大和守安定を与え、切腹を命じた。

壬生義士伝(上)
壬生義士伝(上)
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浅田次郎
2012年
文春文庫
✴✳✴✳✴

同じ足軽長屋で育った貫一郎と次郎衛は親友だった。それが次郎衛は大野家の嫡男の急逝により、 妾腹の身ながら大野家の跡取りとして迎えられた。大野家の養子になったことで、400石の御高知(おたかち、上級武士)となり、一方は二駄二人扶持の足軽と、あまりに身分が違いすぎて、人前では親しく言葉もかわせない関係になってしまった。
しかし、貫一郎が脱藩し京へ上ると決意した時、次郎衛は泣いて止め、最後は道中手形と紋付袴を用意して密かに送り出したのだ。

本書で再三使われる「二駄二人扶持」とは、家禄が馬二頭に積める米と二人扶持の米という意味である。具体的には、一年に玄米が四俵と御倉米が十俵、しめて十四俵。これに薪と塩と味噌とがつくが、すべてのことは米で賄わなければならない。貫一郎にとって妻子を食べさせていくには、二駄二人扶持はあまりにも少なすぎた。
貫一郎は金を稼げるように、学問に剣術の稽古に必死に励んだ。そして北辰一刀流の免許をいただいて御指南代を務め藩校の助教も務めるようになったが、見返りはなく、かえって内職する暇がなくなった。いくら文武両道に優れていても金にならない。貫一郎の脱藩の理由は金だった。

新撰組は、京都において反幕府勢力を取り締まる武装勢力である。新撰組は会津藩お預かりとはいえ、もとをただせば、食い詰め浪人と俄侍の寄せ集め、乱暴で行儀が悪い。内紛による粛清や切腹の強要などが行われていた。新撰組が京に構えた屯所が壬生にあったため、新撰組隊士は壬生にたむろする浪人・壬生浪(みぶろう)と呼ばれていた。新撰組には会津藩からの潤沢な金があったのだ。

貫一郎と関わった4人(新撰組隊士の生き残り3名、大野家の中間)が、新聞記者に語る形で、新撰組の内情や貫一郎の人物像が明らかにされていく。
新撰組の中で剣の腕が五本の指に入る貫一郎は、見習い隊士に剣術の稽古をつけ読み書きも教えていた。しかし守銭奴が度を越していたという。自らは粗末な服を着てひたすら金を郷里に送り続けた。

新撰組三番隊長の人斬り斎藤一(新撰組三部作『一刀斎夢録』の主人公)の次の言葉が、貫一郎の人となりを見事に表している。
「人の器を大小で評すなら、奴は小人じゃよ。侍の中で最もちっぽけな、それこそ足軽雑兵の権化のごとき小人じゃ。しかしそのちっぽけな器は、あまりにも硬く、あまりにも確かであった。おのれの分というものを徹頭徹尾わきまえた、あれはあまりに硬く美しい器の持ち主じゃった。世の行く末など、奴にはどうでもよいことだったのじゃ。人間獣の一頭の牡として妻子を養うこと、それだけがやつの器じゃった。」

そして、新聞記者は、次郎衛の子どもや貫一郎の子どもにも取材を行って、物語は穏やかに終わる。→人気ブログランキング

壬生義士伝
『一刀斎夢録』
『輪違屋糸里』

『等伯 上下』安倍龍太郎

信長の天下取り、秀吉の世、そして家康の台頭までの激動の時代を生きた画家、長谷川等伯の半生を描いた。等伯は自己と戦いながら全身全霊を傾けて絵を描いた。本書は等伯の絵にも通じる力のこもった傑作である。2013年直木賞受賞作。

能登の武士の家に生まれた等伯は七尾の商家の養子となった。
等伯の留守に屋敷に賊が押入り、義父母は捕まり自害した。養父母を死なせてしまったことで等伯は居場所がなくなり、妻と息子とともに七尾をあとにした。

等伯 上 (文春文庫)
等伯
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安部 龍太郎
文春文庫  2015年
売り上げランキング: 18,424
等伯 下 (文春文庫)
等伯
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<
安部 龍太郎
文春文庫  2015年
売り上げランキング: 43,451

上洛する途中、等伯は比叡山の焼き討ちに巻き込まれ、信長軍に襲われた。その時、子どもを抱いた僧を助けたが、子どもは、のちに有力な公家として活躍する近衛前久の息子だった。このことが後々なにかと、等伯にとって有利に働くことになる。
その後、織田の武士たちは等伯を目の敵にして追い続けため、信長が亡くなるまで、等伯は表舞台に出ることができなかった。

狩野永徳の父狩野松栄は等伯を高く評価し、狩野派の技術を教え、永徳との仲を取り持った。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野派の総帥永徳は、ことあるたびに等伯に嫌がらせを仕掛けた。

等伯はどのようにして絵師として認められていったのか。義父は、等伯はいずれ京にまで聞こえる絵師に成るだろうと高く評価していた。もともと絵の才能は抜群なものがあったが、等伯は依頼された仕事に対し圧倒的な集中力で描き上げた。依頼主が感動するような仕事をした。等伯の性格を表現するのに著者は次のように書いている。〈等伯の最大の美質は愚直なばかりの粘り強さであった。〉

狩野派の絵は定石通りで面白みに欠けるという利休の助言により、等伯は京都・大徳寺の山門の天井画と柱絵の制作を依頼された。長年この世界に君臨してきた狩野派の牙城を、裸一貫から身を起こした等伯が突き破ったのだ。その後は、利休や秀吉に重用され、狩野派を凌ぐほどにまで上り詰めた。

秀吉の逆鱗に触れ利休が切腹に追い込まれた後、秀吉の嫡男鶴松が亡くなった。利休の祟りだとの噂が流れた。鶴松のために祥雲寺を造ることになり、その襖絵を描く絵師に等伯が命じられた。

事故死と片付けられた息子久蔵の無念を晴らすために、非礼を顧みず等伯が狩野派の陰謀によって殺されたと秀吉に直訴した。誰もが驚くような絵を描いたら、無礼を免じるということになった。
三日三晩飲まず食わずで一心不乱で描き続けたあと、気を失った。そして描きあげた「松林屏風」は、誰もが言葉を失うほど見事であった。→人気ブログランキング

【絵師が主人公の歴史小説】
風神雷神』柳広司 2017年
等伯』安部龍太郎/文春文庫/2015年
北斎まんだら』梶よう子 2017年
眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
ヨイ豊』梶よう子 2015年
若冲』澤田 瞳子 2015年
北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン 2014年
東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年

『風神雷神 上下』柳広司

秀吉が催した醍醐の花見(1598年 慶長3年)からはじまり、宗達が醍醐寺の依頼の屏風を描き上げ、花見をむかえるところで終わる。
宗達はふたりの人物によってその才能が開花させられた。ふたりとは、万能の文化人・本阿弥光悦と公卿の粋人・烏丸光広である。

京の扇屋・俵屋の養子である宗達は、20歳を超えたというのにぼんやりしていて、絵付け職人としてはとびぬけて秀でているが、客あしらいがなっていない。そんなアスペルガー症候群的な性癖である。

風神雷神 風の章
風神雷神 風の章
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柳 広司
講談社
2017年8月
風神雷神 雷の章
風神雷神 雷の章
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柳 広司
講談社
売り上げランキング: 26,718

本阿弥光悦から書籍の下絵の依頼を受け、嵯峨本の制作に携わる。
嵯峨本とは、紙師宗仁が提供する高級和紙に、宗達が下絵を描き、光悦の文字を配した製本書籍のこと。嵯峨本は、世界でも類を見ない美しさを備えた製本書籍と、今もなお称えられている。

光悦は、家康から洛北鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などの 仲間を率いて移住した。宗達も誘われたが、断って俵屋の後を継ぐことにした。
宗達が店を仕切るようになると、俵屋は大いに繁盛した。そして、俵屋は屏風絵、絵巻、掛物、貝絵、カルタなど、何にでも絵付けする絵屋に生まれ変わった。
ある日、宗達の前に烏丸宏光が現れた。宗達は烏丸に連れられて公家の家に上がり込み、秘蔵の名品を見せてもらい模写した。烏丸のおかげもあってか、公卿屋敷や寺社から注文がくるようになった。
やがて、絵師として最高位の「法橋」の位を授かった。

醍醐寺から花見の時に使う二曲一双の屏風の注文を受けた。宗達は2年の猶予を願い出、隠居した。納期に間に合わせ絵を仕上げたあと、発作に見舞われて亡くなった。
仕事場に、誰も見たことがない構図の「風神雷神」の屏風が残されていた。そこには落款も署名もなかった。

本作では、3人の女性が宗達と関わる。初恋の女性・出雲の阿国、宗達が密かに心を寄せる光悦の娘・いく、そしてすべてをお見通しの妻・みつ。観桜の日、3人が連れ立って醍醐寺に現れる。→人気ブログランキング

【絵師が主人公の歴史小説】
風神雷神』柳広司 2017年
北斎まんだら』梶よう子 2017年
眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
ヨイ豊』梶よう子 2015年
若冲』澤田 瞳子 2015年
北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン 2014年
東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年

『花埋み』 渡辺淳一

本書は、日本の医師国家試験に合格した女医第1号である荻野ぎんの半生を描いている。
シーボルトの娘・楠本いね子が、女医の第1号として挙げられることがあるが、それは正しくない。ぎんより28歳年上のいね子は、明治3年に築地で産科を開業したが、その頃はまだ国家資格ではなかったので、極端なことを言えば、誰でも医者を名乗ることができた時代である。
なお、本書の「解説」を書いている吉村昭は著書『ふぉん・しほるとの娘』で、楠本いね子の生涯を描いている。

花埋み (新潮文庫)
渡辺 淳一
新潮文庫 1975年

ぎんは現在の埼玉県の旧家に生まれ、16歳で結婚したが、夫に淋疾をうつされた。順天堂病院で治療を受け、男性医師に局所の診察を受けることに著しい嫌悪を感じた。ぎんは女たちに同様の屈辱を味わいさせたくないとの思いで、女医を志した。
東京女子師範学校に入学したぎんは、それ以降、吟子と名乗るようになり、明治12年、第1期生として首席で卒業した。
医学を学ぶため、私塾の好寿院に入学した。男たちは吟子に執拗な嫌がらせをした。そんなイジメにもめげず、好寿院を優秀な成績で卒業した。
吟子は医術開業試験に合格し女医第1号となった。そして湯島に産婦人科荻野医院を開業し、大いに繁盛した。

やがてキリスト教に入信し社会運動に身を投じるようになった。
39歳のときに、周りの反対を押し切って13歳年下の男性と結婚した。夫はキリスト教徒の理想郷を作るという志のもとに北海道に渡り、数年後、吟子は後を追った。
夫婦で壮絶な苦労を強いられたにもかかわらず、夫は志半ばで病死した。吟子は札幌で開業しようとするが、吟子の習得した医術はすでに時代遅れのものになっていた。
失意のまま帰郷し、62歳で他界した。

吟子は札幌での開業をかつて医学を学んだとき助教師をしていた人物に相談する。すると「最近は、男の医師だからといって産婦人科の診察を拒む人などまずいません。女医である利点は少なくなっています」という。吟子が医者を目指した理由が、なんの意味をもたなくなったという衝撃的な答えが返ってきたのだ。

吟子は開業して3か月もすると、医者の限界を感じるようになったと著者は書いている。女医になったことで吟子の志は達成され、人生の目標を失ったのではないだろうか。それが猛反対を押し切っての結婚、名声を捨てての北海道行きにつながったのだろう。→人気ブログランキング

『北斎まんだら』 梶よう子

ややっこしい存在の北斎ゆえに起こる騒動を、娘のお栄や、北斎に弟子入りしようとする高井三九郎や、浮世絵師で戯作者の渓斎英泉こと善次郎たちを通して描く。
本作のキーワードは「偽北斎」。贋作と代筆がテーマである。

信州小布施の高井三九郎が浅草の北斎の家を訪ねると、応対したのはお栄であった。高井家の惣領息子の三九郎が北斎に弟子入りしたいと申し出ると、北斎はお栄に「お前がみてやれ」と命じた。お栄は「やなこった」と答えた。
三九郎が三和土に散らばった反故を手に取ると、それは、お栄が描いた枕絵だった。
この頃、絵師は名前を変えて、ご禁制の枕絵を描き小金を稼ぐのが当り前だった。

北斎まんだら
北斎まんだら
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梶 よう子
講談社  2017年2月

かつて北斎家に居候していた善次郎は、美人画を書かせたら当代随一といわれ、アクの強い作風で知られていた。好色本や生々しい出来の枕絵を世に送り出していた善次郎は、北斎の家にちょくちょく顔を出す。

小布施で高井家といえば、奉公人が100余名もいる豪商なのに、その惣領息子の三九郎に、お栄は枕絵の陰毛の描き方を講釈するのだった。
北斎の代筆をするお栄に三九郎は疑問をもつ。
それにしても北斎、お栄、それとお調子者で騒々しい善次郎、とんでもない人物たちと出会ってしまったと、三九郎は思った。

枕絵と錦絵の鍾馗像の偽物が北斎作として出回っていることを、お栄たちは知る。
善次郎が贋作の犯人を突き止めようとしていると、北斎の孫・重太郎が江戸に戻ってきていることを知った。

後半は、北斎の孫・重太郎が中心となってストーリーは進む。
重太郎は北斎の長女、お栄の姉の息子。子供の頃から親に反抗し、悪い仲間と付き合って、悪事を重ねた。尻拭いために北斎が金を出していた。
悪事がばれて説教されると、泣いて謝るのだが、口先だけで、ほとぼりが冷めると悪事を繰り返した。
ついには勘当され奥州に追いやられていたが、最近、江戸に舞い戻ってきたという噂だ。
善次郎もお栄も北斎も、偽物には重太郎が絡んでいると睨んでいた。→人気ブログランキング

【絵師が主人公の歴史小説】
北斎まんだら』梶よう子 2017年
眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
ヨイ豊』梶よう子 2015年
若冲』澤田 瞳子 2015年
北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン 2014年
東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年

『東京新大橋雨中図』 杉本章子

明治初期の激しく移り変わる世に、『東京新大橋雨中図』や『猫と提灯』などの名作を描き、最後の木版浮世絵師と称される小林清親の半生を描いた、杉本章子の時代小説である。直木賞(第100回、昭和63年度下半期) 受賞。
清親は、身の丈六尺のいかつい顔をした偉丈夫だったという。

Book

東京新大橋雨中図

杉本章子
文春文庫
1991年 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎




御家人であった清親は、明治時代の到来とともに職を失い、住み慣れた江戸をあとにし、幕臣たちとともに駿府に移った。財政が逼迫する静岡藩に定職があるはずもなく、清親は3年で東京に戻ってきた。
浮世絵や錦絵の版元屋の2階に居を構えた清親が、暇に飽かせて描いた絵が、有力な版元の大黒屋の目に止まり、一本立ちの浮世絵師を目指しての修行がはじまった。この時、清親29歳、絵の修行をはじめるには遅すぎる歳だった。
自ら「画鬼」と名のる天才絵師・河鍋暁斎の口利きで、写真家・下岡蓮杖の弟子・桑山が経営する写真館で色つけの修行をはじめ、めきめきと腕を上げていった。

そんな折、桑山から極秘で色つけを頼まれた写真の女性は、音信不通となっていた兄・虎造の妻・佐江であった。病に臥す虎造から、共同事業を持ちかけられた相棒に騙され借金を背負ったと聞かされる。清親は虎造の借金を返そうと、金を工面して佐江に渡すのだった。

Photo

自ら光線画と名付けた『東京新大橋雨中図』は、爆発的に売れた。雨の降る中を蛇の目傘をさした後ろ姿の女は、清親が淡い思慕の念を抱いた佐江を描いたものだった。
こうして光線画は脚光を浴び、清親は「明治の広重」と呼ばれるようになる。また、洋画の手法をとりいれた『猫と提灯』を、第1回内国勧業博覧会博覧会(明治10年)に出品し、好評を博した。
月岡芳年の弟子だという井上安治郎が、清親に弟子入りを願い出た。安治郎は「血まみれ芳年」の激しい画風についていけず、光線画に憧れているという。

やがて、光線画の人気も下火になり、西南戦争の錦絵や大久保利通と西郷隆盛の似顔絵などの、商業ベースの注文に応えざるを得なくなる。
さらに、版元から火事場に出向き臨場感あふれる絵を描くよう求められるようになった。この時、身重の妻と幼い娘を家において、火事の現場に出向いたことが原因となり、妻は実家に帰ってしまった。夫婦の関係は修復されず、ついには、清親が娘をひきとり離縁となった。

「火事場の絵なんぞ書く暇があったら、『猫と提灯』のようなこれぞという上質の絵を描くことだと言ったろう」という暁斎の言葉が、清親は気にかかって仕方がなかった。そうは言っても、背に腹を変えられぬ清親は新聞や雑誌のポンチ絵(風刺画)を描くようになる。

そんなある日、足をくじいて歩けなくなった老女を背負って家まで送り届けたことが縁で、清元の師匠・延世志(のぶよし)と親密な仲になるのだが、清親はひとり娘をかかえ、延世志は老いた母をかかえる上に3人の子持ちであった。

【絵師が主人公の歴史小説】
東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年
眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
ヨイ豊』梶よう子 2015年
若冲』澤田 瞳子/2015年
北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン/2014年

『阿蘭陀西鶴』朝井まかて

井原西鶴(1642〜93年)を盲目の娘おあいを通して描いている。
おあいが9歳の時、母親が25歳で亡くなった。
通夜での、西鶴の周章狼狽ぶり、おあいの落ち着きぶりが対象的に描かれている。
母親はおあいに生活する上での術を徹底的に仕込んだ。とくに料理は、近所の誰もがその腕を褒めるほどである。そんなわけで料理の描写が多い。

俳諧師である西鶴は、初七日の法要の席で千句を詠んだ。これを『独吟一日千句』として出板(出版)したのだった。その後、矢数俳諧は西鶴の得意とするところになり、四千句、一万とエスカレートしていった。果ては、大坂に芭蕉の弟子・其角が立ち寄った際に、住吉神社の神前で其角を後見に向かえ、大矢数俳諧を興行し、二万三千五百句を詠んだ。
もちろん、そのほとんどが駄句だった。

阿蘭陀西鶴 (講談社文庫)
阿蘭陀西鶴
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朝井 まかて
講談社文庫
2016年11月

「阿蘭陀(おらんだ)」と名のる西鶴は、とにかく人の前を歩きたい目立ちたがり屋。阿蘭陀とは毎年御公儀に拝謁する長崎から江戸に向う異国の者のこと。異端を意味した。
西鶴は、大坂の談林派を代表する俳諧師であると自負していたが、評価されないことに不満を抱いていた。俳諧仲間からは、「西鶴は己の宣伝が過ぎる。目立ちたがり屋にも程がある」と非難されていた。

西鶴は、江戸の深川に居を移した松尾芭蕉(1644〜94年)の噂を聞いてから、様子が変わる。
談林派の宗匠が亡くなり、宗匠を目指していた西鶴は、突然、おあいを連れて淡路島に旅だったのだ。淡路島に逗留している間に書き上げた『好色一代男』を出板すると、大評判となり大いに売れた。江戸では浮世絵の創始者となる菱川師宣(1618〜94年)が挿絵を描いた。
その後、『好色五人女』『日本永代蔵』『世間胸算用』のヒットを飛ばす大エンターテーメント作家となるが、家計はいつも火の車だった。
当時の作家の収入は最初の原稿料だけで、いくら増刷されても作家には支払われないシステムだった。浮世作家だけでは食べていけない西鶴は、句会の点者として稼いでいた。

そんな西鶴を芭蕉は激烈に批判したのである。
<見当はずれなことを言い散らして、句の良し悪しをちゃんと判じておらぬ。西鶴は俳諧をまるでわかっていない。阿蘭陀西鶴、浅ましく下れり>と。
それを耳にした西鶴は、阿蘭陀西鶴らしい啖呵を切る。
〈わしが浅ましゅうなったやとぅ。阿保か。この阿蘭陀西鶴、名乗りを上げたその日から、さもしゅうて下劣な輩やと自ら触れてあるわい。突くんはそこか。違うやろ。せっかく町人の、俗の楽しみになってたもんをわざわざ難しゅうして、皆が手ぇの届かん俳風に祀り上げてんのは己やないかい。ああ、ああ、なるほど、おまはんは清いわ、尊いわ。言葉に凝りに凝って磨きをかけて、これが芭蕉の句でござい、はっ、それがなんちゅうねん。小っちゃい言葉の端切れにこだわって、理詰めにあれこれ判じて。それが一体、何になる。凝り性の澄ましやがっ。〉

 

西鶴は利発なおあいを世間に自慢したくてしょうがなかったが、おあいは拒否した。おあいは長ずるにつれ、西鶴を誤解していたことに気づき、次第に受け入れるようになっていく。父娘の愛情物語でもある。

阿蘭陀西鶴/講談社文庫/2016年
胘(くらら)/新潮社/2016年