書評

『小泉今日子書評集』小泉今日子

かつてのアイドルが書いたものと高をくくって読みはじめたら、数ページでただ者ではないと感嘆した。自らの本音を吐露しつつ、さりげなく本の紹介をしている。その構えていない本音がなるほどと納得させる内容で素晴らしい。
著者がアイドルであったということを含めて、余人をもって替え難い才能の持ち主といっていいだろう。
タイトル通りの本物の書評集である。
取り上げている本は著者と同年代の女性作家のものが多い。

小泉今日子書評集
小泉今日子書評集
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小泉今日子
中央公論新社
2015年10月  ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

アイドルのころ、現場で人に話しかけられるのが嫌で本を読んでいたことが、本を好きになったきっかけであると書いている。
読売新聞の日曜の書評欄を担当することを打診され、担当者と酒を酌み交わしているうちに、いつの間にか承諾してしまったという。
そして10年間(2005年〜2014年)も、読書委員を務めた。
発掘した担当者も褒め称えられるべきだ。→人気ブログランキングへ

『塩一トンの読書』須賀敦子

「塩一トンの」とは、著者のイタリア人である姑が使った言葉。
姑は、「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」と言った。長く付き合わないと人はわからないという意味で使ったのだ。ユニークで説得力がある表現だ。

塩一トンの読書 (河出文庫)
塩一トンの読書
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須賀 敦子(Suga Atsuko
河出文庫  2014年10月 ★★★★★

著者はこの言葉を読書に用い、自分でじっくりと読まなければだめだという。特に古典は、読まずとも情報が入ってきて筋を知ることがあるが、自分で読まなければ著者が強調したいことなど細かい機微ははわからない。
著者の読書案内には、広さと深さと落ち着きがある。地に足が着いている感じが伝わってくる。
それは、著者が「塩一トンの」と形容される読書を実践してきたからだろう。

マルグリッド・ユルスナールの名著として名高い『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』について、〈そのただごとではない見事な文体や、抑制のきいた語り、そしてなによりも、作品の背後にあってこれらに燻し銀の光沢をそえているヨーロッパ文化の深さ、まばゆさを心から愉しんでいる自分に気づいた。〉という下りを読んで、よくぞここまで的確に解説してくれるなと思った。

著者はイタリア文学が専門ゆえ、紹介されている本はヨーロッパのものが多い。ギリシャやローマの古典を紹介している。
また、翻訳が少なく馴染みの薄いラテンアメリカの本を紹介してくれるところがありがたい。
ベストセラーとは無縁の本が取り上げられているのもいい。 →人気ブログランキングへ

『ニッポンの書評』 豊崎由美

書評は情報だけでいいとか、書評は作品へのオマージュになっていればいいという極端な意見があるが、著者はどちらも大事であり、読み物としての面白みも必要と考えている。
批評と書評の違いは、書評は読む前に、批評は読んだあとに読むもの。
批評は小説の構造を精査するにあたって、その作品のキモにも触れなくてはならない。つまりネタばらしが行われてしまう。
書評は、読者の初読の興をなるべく削がないような細心の注意をもって書かれるべきとしている。したがって、勘所は明すべきではない。書評は8割は読者のため、2割が作家のためとは著者の考え。
例えば1600字の書評とすると、600字くらいは粗筋を書いて残りは自分の意見を書くのが一般的だった。いまは、読ませる粗筋それだけでけでも、書評として成り立つ思うと著者。
もう少し書評が評価されてもいいのではないだろうかという。

ニッポンの書評 (光文社新書)
豊崎 由美
光文社 (2011-04-15)
ISBN978-4-334-03619-5

では、プロの書評と素人の感想文の違いはなにか。「背景」があるかどうかということ。書評するのはその一冊でも、プロの書評家には本を読むたびに蓄積してきた語彙、物語のパターン認識、個々の本が持っている様々な要素を他の本の要素と結びつけ、星座のようなものを作り上げる力があるあると、著者は今のところ思っているそうだ。
あるいは800字の書評なら2000字書いて削っていくようなことをする。素人は、はじめから800字のものを書く。

ネットにおける劣悪なブロガーたちによる、小説を貶める行為は許し難いという。返り血を浴びる覚悟はあるのかと著者は迫る。
自分が理解できないだけなのに難しいとかつまらないとする、読み違え、登場人物の名前を間違え、論理性のかけらもなく、文章自体がめちゃくちゃ、取り上げた本に対する愛情もリスペクトのかけらもない、匿名という安全地帯から小説という芸術に悪意に満ちた感想文のアップするのは止めて欲しいという。中川淳一郎の 『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書2009年)にも、同様の指摘がある。

日本の書評は800~1200字が多い。英仏独米などのG8の国では、書評に十分な字数4000字くらいが与えられている。
外国の書評は長いし、批評と書評がさほど判然と別れていない。また書評、批評の地位が高いという。
日本では書評と批評が分かれて発達してきた。このあたりが、いい意味で日本のガラパゴス的なところと指摘する。