古典

2022年9月24日 (土)

脂肪の塊・テリエ館 モーパッサン

『やりなおし世界文学』のなかで、著者の津村記久子は、中学生のときに『脂肪の塊』を読んだという友人がいて、その言い方に険があるように感じられたという。そのことが頭から離れず、読むことを避けていたというエピソードを書いている。
事情は異なるが、『脂肪の塊』は娼婦の話と小耳に挟んでいて、「読まねばならぬ」リストに何十年も挙がっていたものの、つい読みそびれてしまっていたというのが当方の事情だ。それで、『やりなおし・・・』に後押しされ、読んでみることにした。
結論をいうと、「脂肪の塊」も「テリエ館」も面白い。大傑作だ。
6ef6504a6d3541ce8ad0aca69234671c 脂肪の塊・テリエ館
モーパッサン/青柳瑞穂
新潮文庫
1951年 158頁

「脂肪の塊」
脂肪の塊とは、ぽっちゃり型の娼婦のあだ名である。本名はエリザペット・ルーセ。普仏戦争(1870年〜71年)の頃、プロシアに占領されたフランスのルーアンを脱出し港町ディエップに向かう大きな乗合馬車に、彼女は乗っている。居合わせたのは、葡萄酒卸商人とその抜け目のない妻、製紙工場を3つ持っている県会議員とその親子ほどに年の離れた妻、名門の伯爵である県会議員とその妻で、以上は上流階級である。そして民主主義者の男と、修道女が2人。途中馬車は雪の中で立ち往生し、他の客たちが空腹に苦しんんでいるときに、エリザベットはバスケットに入れたご馳走を取り出し、乗客たちに分けてやる。その量が尋常でない。
身分は卑しいが、気前のいいエリザベットはプロシア兵が大嫌いなのだが、馬車はプロシア兵に止められる。乗客たちは拘束から逃れようと恩義あるエリザベットを横柄なプロシアの士官に差し出そうと、説得する。最初は、男たちが控えめに、やがて上品そうだった妻たちが露骨に、そして修道女までもが熱弁を振るうのだった。

「テリエ館」
マダムと5人の女で営まれる大繁盛の娼館の裏事情が披露される。

巻末の解説が「なに言ってんだか」と浮き上がってしまうほど、「脂肪の塊」も「テリエ館」も抜群に面白い。→人気ブログランキング
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2019年2月 3日 (日)

マクベス ウィリアム・シェイクスピア

1606年にシェイクスピアによって書かれた戯曲。『ハムレット』『オセロー』『リア王』とともに、シェイクスピアの四大悲劇とされる。
マクベスはマクベス夫人と共謀して王を殺害し王位に就くが 、精神的な重圧に耐えきれず暴政を行い、マクベス夫人は狂い死し、マクベスは貴族たちの手によって殺される。狂言回しの役割をする魔女たちの予言にマクベスは一喜一憂する。実在のスコットランド王マクベス(在位1040〜1057年)をモデルにしている。
Image_20201128143301マクベス
W. シェイクスピア/松岡和子
ちくま文庫 1996年

第一幕
反乱軍との戦いで勝利を収めたマクベス将軍とバンクォー将軍が陣営に戻る途中、ふたりは3人の魔女と出会う。マクベスは「いずれは、王になられるお方」、バンクォーは「マクベスより幸せなお方、王を生みはするが、王にはならぬお方」と予言をされる。
その時点でマクベスは魔女たちの言うことを真に受けなかった。そこにスコットランド王ダンカンの使者が現れ、マクベスの武勲を讃え、領地を与えることを告げる。
夫からの手紙を受け取ったマクベス夫人は、ダンカン王の暗殺をマクベスに持ちかけられ、マクベスは王になるという野心が芽生える。
第二幕
マクベスは自分の城にダンカン王を招き暗殺するが、暗殺に使った短剣を持ったまま、夫人の待つ寝室に戻る。マクベスを叱責する夫人は、短剣をダンカン王の死体がある客間に戻しに行く。
マクベス夫妻の両手は血で赤く染まり、マクベスは「もう眠りはない。お前は眠りを殺した」との幻聴を耳にするほど怯えてしまう。マクベス夫人の思惑どおり、マクベスはスコットランド王となる。
第三幕
マクベスは、バンクォーとその息子に暗殺者を差し向け、暗殺者はバンクォーの暗殺には成功するが、息子を取り逃がししてしまう。マクベスはバンクォーの亡霊に悩まされ、マクベス夫人も次第に精神を病んでいく。
第四幕
魔女たちはマクベスにふたつの予言を告げる。「女の股から生まれたものは、マクベスを殺すことはできない」「森が丘に向かってくるまでは、マクベスは決して滅びぬ」
この予言で、マクベスは安堵するが、王冠を抱いたバンクォーの幻影に悩まされる。
第五幕
マクベス夫人は血に染まった手を深夜に洗い続ける夢遊病者となり、やがて狂死する。
マクベスはバンクォーの家臣らが率いるイングランド軍に攻め込まれる。魔女たちの予言を信じて最後まで城に立て籠るが、イングランド軍が木の枝を隠れ蓑にしていたのが森が動いているように見え、マクベスに妻子を殺され仇と命を狙う貴族にマクベスは殺されてしまう。その貴族は帝王切開で生まれたのだった。
マクベスは魔女たちに翻弄され自分の未来を見誤ったのだ。→人気ブログランキング

未必のマクベス』早瀬 耕 ハヤカワ文庫JA 2017年
『蜘蛛巣城』(黒澤明監督、三船敏郎、山田五十鈴、1957年)は『マクベス』が原作である。

2017年12月 5日 (火)

誰も教えてくれなかった「源氏物語」の面白さ 林真理子×山本淳子

本書が発刊された2008年は「源氏物語千年紀」の年だった。
紫式部が「紫式部日記」の中で、若紫や源氏について書いたのが1008年であることが根拠となっている。
貴族の数は、紫式部が活躍した摂関時代の最盛期で200人程度、家族を入れても1000人程度の狭い世界だったという。
平安朝文学の研究者・山本淳子と林真理子の対談集。
Image_20201119094001誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ
林 真理子 山本 淳子
小学館新書  2008年

〈「源氏物語」は、帝四代70年にわたる歴史小説であり、光源氏と藤原氏をめぐる政治サスペンスであり、六条御息所が躍如するオカルトミステリーである。
「源氏物語」の54帖は、ボリュームは400字詰原稿用紙2300枚、登場人物のべ4百数10人という壮大なもの。
第1帖「桐壺」から第33帖「藤裏葉」までが、源氏の誕生と栄光を描く第1部。第34帖「若菜上」から第41帖「幻」までが、中年光源氏の憂いと老いを描いた第2部。第42帖「匂兵部卿」から第54帖「夢浮橋」までが、源氏の死後、宇治を舞台に光源氏の孫たちが活躍する「宇治十帖」を中心とする第3部、という構成になっている。〉

なお、「桐壺」や「空蝉」などの帖のタイトルとなっているのは、紫式部がつけたものではなく、後世の人々によってつけられたもの。

空蝉は紫式部自身がモデルという説がある。年の離れた受領(ずりょう)の後妻となった点、空蝉が身を寄せる家が紫式部が実際に住んでいたとされる場所に近いということなどが根拠である。ちなみに、受領とは現地に赴任して行政の責任を負う役人の呼称。
また、源氏のモデルは第59代・宇多天皇(867〜931)、桐壺帝は第66代・一条天皇(980〜1011)、桐壺の更衣は皇后定子ではないかという。

受領の妻であった紫式部は、藤原道長にスカウトされ道長の娘の彰子に仕えたことで運が巡ってきたと言える。
紫式部と清少納言は直接会ってはいないが、互いに大いに意識し、それぞれの著書の中で相手をけなしている。

「源氏物語」を原文で読むことは研究者でもない限りむずかしい。
それゆえ、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子、橋本治、瀬戸内寂聴、大塚ひかり、そして最近は角田光代によって、現代語訳がされている。→人気ブログランキング

誰も教えてくれなかった「源氏物語」の面白さ』林真理子×山本淳子/小学館新書
紫式部の欲望』 酒井順子/集英社文庫
源氏物語 千年の謎』DVD
ラノベ古事記』小野寺 優 

2017年9月30日 (土)

ラノベ古事記 小野寺 優

先達は古典を読むべきだとアドバイスする。しかし『古事記』を原文で読むことは研究者でもない限りむずかしい。そこで多くの現代語訳や若年者向け訳、漫画までもが出版されている。『古事記』を愛するWebデザイナーの著者が、『古事記』をライトノベル風に訳したサイトを立ち上げたところ、「わかり易くて面白い」と評判になった。それを書籍化したのが本書。
Image_20201130120801ラノベ古事記 日本の神様とはじまりの物語
小野寺 優
KADOKAWA
2017年

『古事記』は天武天皇の命を受けて、天才の語り部・稗田阿礼の頭の中にある日本の伝承を太安万侶が記述し、712年に天智天皇の娘である元明天皇に献上したもの。
本書は、出来上がったばかりの『古事記』を、元明天皇に献上したところから始まる。
「えぇと・・・・・・天地初發之時於高天原成神名天之御中主神訓・・・・・・解読するのに、35年くらいかかりそう・・・・・・ラノベみたいに面白おかしく読みたいのよ」と、『古事記』に目を通しながら元明天皇が仰せられる。
「献上した『古事記』の内容は無視していいですよ・・・・・・神様たちに勝手に変なキャラ付けしてふざけても怒りません。なんなら盛っちゃってください」と安万侶が阿礼に翻訳の方針を伝える。
「そうか、それなら得意だ。任せろ」と阿礼が請け負って、出来上がったのが本書である。
各章の初めには、チャプター・チャートという神々の相関図がイラスト入りで付いていて、長くて覚えにくい神々の名前やあやふやになりがちな血縁関係を確認できる心配りがされている。

本書では神々がイケメンかそうでないか、美人かブスかの見たくれが重要な関心事として扱われている。男と女が出会うと、惚れた腫れたとなり、まぐわうという展開があっけらかんと描かれている。下ネタが多めで「ゆるふわ」感に満ちているのだ。そこには現在の日本の世相と恐ろしいくらいの類似性が見てとれる。

「山幸彦と海幸彦」の章では、オオワダツミノカミ(海の神)が山幸彦(アマテラスの息子で、三つ子のひとり)に出会って声をかける。
「かなり前になりますが、アマテラス様から『三つ子の曾孫が生まれました』って、写真付きの年賀状が送られてきましたよ」と、現代にはありがちなエピソードが語られる。こんな風だから、「本書は古事記のストーリーを楽しんでいただくことを目的としているため、学術的な正当性を示すものではありません」というエクスキューズが必要になる。細かいことに目くじらを立てないで、これが日本の創世記の大まかなところなのだと、割り切って読まなければならない。

『古事記』は3巻よりなっていて、本書は序および神話の「上つ巻」を訳したもの。「中つ巻(初代神武天皇から第15代応神天皇まで)」、「下つ巻(第16代仁徳天皇から第33代推古天皇まで)」については、相変わらぬ「ゆるふわ」なラノベ訳がネットに逐次掲載されている。→人気ブログランキング

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