歴史小説

『ケイレブ ハーバードのネイティブ・アメリカン』ジェラルディン・ブルックス

アメリカ北東部マサチューセッツの小島に生まれた先住民ワンパノアグ族のケイレブ・チェーシャトゥーモークが、ハーバード大学に入学し卒業したという史実にアイデアを得て、著者は本書を書き上げた。

信仰の自由を求めて、清教徒がメイフラワー号でアメリカ大陸に到達したのは、1620年11月。舞台は、それから数10年が経過したマーサズ・ヴィニアード島である。島のインディアンの中にはキリスト教の洗礼を受ける者も出てきた。

主人公のベサイアの父はインディアンへの布教に尽力するキリスト教の牧師。
父がベサイヤに勉強を教えてくれたのは9歳までだった。それ以降は亡くなった母の代わりに家事をこなしながら、父が兄にラテン語やギリシャ語やヘブライ語を教えるのを、聞くことで知識を吸収していった。兄よりベサイアの方が覚えるのが圧倒的に早かった。聡明なベサイアはインディアンの言葉ワンパノアグ語を理解できたし話すこともできた。

ケイレブ: ハーバードのネイティブ・アメリカン
ジェラルディン ブルックス
平凡社
2018年 ✳10

ある日、ベサイアは愛馬に乗り海岸まで出かけて、インディアンの男の子と出会った。のちに、ベサイアがクレイブと名づけたそのインディアンは、ハマグリのたくさん採れるところや大きなグランベリーの実の成る木に案内してくれ、いろいろなことを教えてくれた。ベサイアはケイレブに英語を教えた。
ケイレブの男らしい屈託のない性格に惹かれ、ふたりは親友になった。

そのケイレブが家に住み込んで父親からラテン語やギリシャ語を習うことになった。
ケイレブの理解力と記憶力は抜群だった。
しかし、ベサイア一家を不幸が襲う。イギリスに渡ろうとした父の乗った船が嵐に襲われ、父は帰らぬ人となった。

ベサイアは選択を迫られる。兼ねてから求婚されている島の有力者の息子と結婚し島に残るか、兄やケイレブたちとボストンに出ていくかである。ベサイアは兄たちが通うラテン語学校を経営するコールレット先生の家で、小間使いとして年季奉公することになった。

小間使いの仕事をはじめて間もなく、総督の推薦でアンというインディアンの娘が寄宿することになった。利発なアンはラテン語の本をスラスラ読んだ。
ところが、妊娠していたアンは流産してしまう。ベサイアは島で助産婦について訓練していたので的確に行動した。アンの相手が誰かが問題となりケイレブたちが疑われたが、ベサイアはアンがここにくる前に妊娠していたことを確信していた。
アンは審問を受けることになり、ケイレブたちが相手とされ、さらにベサイアさえも災難が降りかかることになるだろう。
島に連れて行き、イギリス人と友好の深くないインディアンのグループに預かってもらうことにした。

ケイレブは順調に勉学に勤しみ、ハーバード大学の学長の口頭試問を難なくパスし、晴れて入学が許可される。
その後、差別やいじめで苦境に立たされるケレイブだが、毅然とした態度を貫きやがて級友たちの信頼を得るに至るのだった。

物語の最終章は、70歳のベサイアが自らの波瀾に満ちた半生を振り返る構成になっている。本書はケイレブの物語というよりも、それを見届けたベサイアの物語である。
現在、著者は本書の舞台であるマーサズ・ヴィニアード島に暮らしているという。

ケイレブ ハーバードのネイティブ・アメリカン』ジェラルディン・ブルックス/柴田ひさ子/平凡社/2018年
『マーチ家の父 もうひとつの若草物語』ジュラルディン・ブルックス/高山真由美/RHブックス・プラス/2012年

『帝国ホテル建築物語』植松三十里

外国人用の国営のホテルとして1990年(明治23年)に開業した帝国ホテルは、開業以来20年間、外国人に支配人を任せてきたが赤字続きだった。そこで、渋沢栄一と大倉喜八郎は林愛作を支配人に抜擢した。
本書は帝国ホテル・ライト館の建築に携わりライト館とともに生きた人びとを描いたヒューマンドラマである。

林は群馬県の農家の生まれ。13歳で横浜の煙草商に奉公に入り、同じ煙草商で財をなした村井吉兵衛に見込まれて19歳で渡米。その後ミス・リチャードソンという富豪の老婦人にも見込まれ、高等教育を受けた。そして古美術商の山中貞次郎氏と出会い、山中商会のニューヨーク支店に就職した。そこに建築家フランク・ロイド・ライトが来店した。
林はライトに日本で買った錦絵を見て欲しいと頼まれ、シカゴの自宅まで出かけていった。のちにライトは浮世絵収集家として有名になる。
林はニューヨークの上流社交界に顔が効く唯一の日本人となった。

帝国ホテル建築物語
帝国ホテル建築物語
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植松三十里
PHP研究所
2019年4月 ✳8

林は、1909年(明治42年)に帝国ホテルの支配人に就任した。
まずはホテルの中にランドリーを作り、列車の切符を買いに行くサービスを始め、郵便局を誘致する。ボタンが取れていたらランドリーでつける。製パン部門を開設し、日本人のパーティも積極的に引き受けた。新しいことをどんどん摂り入れ、わずか3年で黒字にしたのだ。

林は新館の設計者をライトに委託しようと考えた。
ライトは問題を抱えていた。施主の妻との不倫が公になり、さらにライトの自宅があるタリアセンで召使いによる殺人事件起きた。召使いは正気ではなく、ライトの内縁の妻、幼い2人の息子、4人の弟子に鉈で襲いかかり家に放火して殺した。ライトは外出中だった。事件の後、アメリカではライトの仕事がなくなった。

林はライトと1916年に契約を結んだものの、着工したのは1919年9月だった。着工が遅れたのは、新館の建築予定地に建つ内務省の建物の移転交渉が長引いたせいである。

ライトは使用する石材やレンガや調度品の選定に目を光らせ完璧主義を貫いた。ライトに全幅の信頼をおいていた林は、たび重なる工事のやり直しに目をつぶった。ライトの駄目出しに、現場の人間関係が悪くなり口論が絶えなくなることもしばしばあった。

1922年(大正11年)4月、隣接する初代帝国ホテルが失火し全焼すると、ライト館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトに経営陣はクレームをつけた。さらに当初の予算150万円が900万円に膨れ上がり、林は総支配人の座を追われ相談役に退いた。やがてライトも帰国した。
ライトの助手を務めていた遠藤新がライトの後釜となり、ライト館はなんとか落成にこぎつけた。

そして、1923年(大正12年)9月1日、林の代わりに支配人となった犬丸徹三のもとで、開館披露宴が行われようとするまさにその時、まるで呪われたかのように関東大震災に見舞われたのだ。
街全体が灰となったなかで帝国ホテルはビクともしなかったと、遠藤はライトに手紙を書いている。それは、ライトの名声を高めることとなった。

戦後はGHQの宿舎となり、東京オリンピックではプレスセンターになった。しかし利用者は古臭いとチェックアウトの時に口にしたという。
その後1968年に、取り壊され玄関部分が愛知県犬山市の明治村に移築されることになる。コンクリートと外壁が一体となっており、幾つかのブロックにしなければ、運搬できないという困難もあった。
ライト館は、1923年に落成し1968年に玄関部分が明治村に移築されるまで、わずか44年しか活躍していない。

帝国ホテル建築物語/植松三十里/PHP研究所/2019年
帝国ホテル・ライト館の謎ー天才建築家と日本人たち/山口由美/集英社新書/2000年

『恋歌』朝井まかて

中島歌子は樋口一葉の和歌の師である。歌子が開いた歌塾「萩の舎(や)」は、最盛期には1000人の門人を擁し、門下生には樋口一葉のほか本書のもう一人の主人公である三宅花圃がいた。花圃は17歳のときに『藪の鶯』でデビューした小説家である。

晩年、歌子が病床に伏しているときに、花圃は歌子の書斎で手記をみつけた。手記には歌子の波乱万丈の半生が綴られていた。その手記を花圃と歌子の身の回りの世話をしている澄が、一緒に読むという形で話は進んでいく。

江戸の商家の娘として生まれた登世(のちの歌子)は、物怖じしない人を惹きつける陽気な娘だった。登世は水戸藩士の林忠左衛門以徳(もちのり)が、池田屋に泊まったときに一目惚れし、18歳で水戸に嫁ぐことになった。

恋歌 (講談社文庫)
恋歌
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朝井 まかて
講談社文庫 2015年 ✳︎10
売り上げランキング: 121,667

時代は幕末、安政の大獄で尊皇攘夷派が弾圧され、水戸の浪士が井伊直弼を襲撃した桜田門外の変(1860年)が起こる。
水戸藩内は以徳の属する天狗党と諸生党に分かれ揉め事が耐えない。
1864年、尊皇攘夷を唱える天狗党が筑波山で蜂起した。幕府の弱腰に憤り、攘夷実行、横浜の断固鎖国、水戸藩主の首のすげ替えまで要求した。天狗党は幕府に反旗を翻す賊徒と見做され、諸生党の執拗な追跡に悲惨な運命をたどることになる。そして天狗党の妻子までが召捕らえられ牢獄に入れられた。
登世たちの2年近くに及ぶ獄中の生活は、凄惨を極めた。その描写は鬼気迫るものがある。

藩内の天狗党と諸生党の確執により殺し合いが繰り返され、2千人が死亡した。その結果、水戸藩には明治新政府に参加できる人材が残っていなかったという。

登世は中島歌子に名を変えた。歌子は歌の道に邁進していれば、以徳がきっと見つけてくれる、帰ってきてくれる、そう信じた。登世が獄中にいるときに、以徳が幕府軍の砲弾を受けて重傷を負って捕らえられ亡くなっていたことを知るのは、後のことである。

本作は、幕末の水戸藩の血を血で洗う悲惨すぎるドラマを女性を通して描いたことで成功し、第150回直木賞を受賞した。

雲上雲下/朝井まかて/徳間書房/2018年
落陽/朝井まかて/祥伝社文庫/2019年
阿蘭陀西鶴/講談社文庫/2016年
胘(くらら)/新潮社/2016年
恋歌/朝井まかて/講談社文庫/2015年
すかたん/朝井まかて/講談社文庫/2014年

『新撰組の料理人』 門井慶喜

主人公の菅沼鉢四郎は、剣の方はからっきしダメで、妻を手助けするため、離乳食を作ることで料理の腕を磨いたという、いささか強引な設定。
厨房から見た新撰組記である。

京の南半分が焦土と化した蛤御門の変(1864年8月)で、鉢四郎は妻子と生き別れになる。十番組組長の原田左之助に賄い役として新撰組に強引に入隊させられた。
被災者に薩摩藩が粥を振舞ったことに対抗して、会津藩も炊き出しをやるという。
鉢四郎は粥ではなく握り飯を振舞うことにした。大好評だったが、近藤勇は鉢四郎に切腹を命じた。握り飯はやりすぎで、新撰組が大金持ちと民に思われてしまったというのが理由。トリックの切腹で難を免れた。「新撰組の料理人」

新選組の料理人
新選組の料理人
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作者: 門井慶喜
出版社/メーカー: 光文社
発売日: 2018/5/17
メディア: ソフトカバー
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鉢四郎に嫁の消息を調べる大阪行きのチャンスが巡ってきた。過激浪士の活動拠点であるぜんざい屋に、鉢四郎が密偵として住み込むという計画。ぜんざい屋で交渉をしているうちに素性がばれて這々の体で逃げ出す。
それより、妻が船問屋の牧野屋の嫁に収まっているという、鉢四郎にとってあまりにもショッキングな現実が判明したのだ。「ぜんざい屋事件」

隊士は独り者でなければならないと言って憚らなかった原田左之助が、なんと屯所で祝言を挙げた。婚礼の宴の後、二次会で近藤と新郎たちが寺田屋に訪れた。その後も、左之助は坂本龍馬の動向を探るために寺田屋に出かける。
近藤は寺田屋に現れた龍馬を新撰組に誘ったが、返事をもらわないまま襲撃された龍馬は薩摩屋敷に逃げ込むのだった。これで龍馬は新撰組の敵になる。「結婚」

左之助の3カ月の息子がさらわれた。
左之助は子どもを可愛がらないから、自作自演ではと疑われる。隊士の中に犯人がいると鉢四郎はにらむ。さらわれた子どもを巡って、もともと仲の悪い斉藤一と左之助が斬り合ったが、犯人は意外な人物だった。「乳児をさらう」

粛清だの自己批判だので殺傷沙汰や切腹が日常的に行われる新撰組の屯所は、近くに引っ越してこられたら、これほど迷惑なものはない。はじめは壬生に、次に西本願寺社内に、そして洛南の不動村に移った。
鉄砲や大砲が戦闘の主流を占めるようになり、広い場所が必要になったのだ。剣の腕がいくら凄くとも大砲や鉄砲には勝てない。組から隊に変貌する必要がある。
そんな折、大政奉還(1867年11月)となった。2日後、会津藩より新選組に、京洛の地を引き払えという命令が下された。300名の隊士たちはとりあえず大阪の天満宮へ向かう。「解隊」
という連作短編の新撰組盛衰記。→人気ブログランキング

新撰組の料理人/門井慶喜/光文社/2018年
マジカル・ヒストリー・ツアー/門井 慶喜/角川文庫/2017年
銀河鉄道の父/門井 慶喜/講談社/2017年
家康、江戸を建てる /門井慶喜/祥伝社 2017年

『利休にたずねよ』山本兼一

利休が秀吉に切腹を命じられた事件を、利休の切腹の場面から、秀吉と利休が険悪となっていく過程、秀吉と利休との蜜月の頃、堺での信長と利休との出会いの頃、利休が思い続ける高麗の娘との出会いというふうに、物語は逆年代記(リバースクロノジー)の形で描かれている。第140回直木賞受賞作(2009年1月)。

秀吉の使者が利休に伝えた切腹の理由はふたつ。大徳寺山門に安置された利休の木造が不敬であること、茶道具を法外な高値で売っていること。謝りさえすれば許すとの上様のお考えだと使者は言う。利休はプライドの高い男、謝罪などするはずもない。

利休にたずねよ (PHP文芸文庫)
利休にたずねよ
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山本兼一
PHP文芸文庫 2011-08-26
売り上げランキング: 62,582

堺の魚屋の放蕩息子だった与四郎(利休)は、高麗からさらわれてきた女に恋をし、その女が持っていた香合を形見として持っていた。
利休が懐にしまい込んでいるその香合を、秀吉は無性に欲しくなった。言い値で買うと利休に迫ったのだが、たとえ関白様でもお譲りできないと突っぱねた。
女と香合のことがことあるたびに触れられ、ストーリーに通底するテーマである。

秀吉の信頼を一身に受け存在が大きくなっていく利休を妬む者もいた。その代表格が、石田三成と前田玄以。
石田三成は、利休を追い落とすために世間が納得するような、罪状をあげつらって逃げ道を塞いでおかなければならないと、周到に準備を進めていた。

本書では、秀吉が利休をうとんじるようになった理由はひとつではない。
1、まずは、木造の件だ。大徳寺の改修に資金を出した利休に恩義を感じた宗陳(蒲庵古渓 ほあんこけい)は、山門の上に利休の木造を安置した。山門をくぐった者が利休に踏みつけられているようなもので、無礼なことだと秀吉が言いがかりをつけた。
2、次は、土塊から出来た器に何千貫も払うようになってしまったのは利休のせいだ。
3、そもそも、茶の湯を始めたのは武野紹鴎で、利休は三畳、二畳、一畳半と茶室を狭くして、侘び茶などといって悦にいっているだけであると陰口を叩く者もいる。秀吉は黄金の茶室を好むような派手好きな男、侘び茶とは相容れない。
4、また、娘を側室に出すことを利休が断った。
5、さらに、利休は秀吉の異父弟である豊臣秀長とも深い関係にあったが、秀長は利休が切腹をする数か月前に病死してる。利休は後ろ盾を失ったのである。

こうしたことの積み重ねが、利休が詰め腹を切らされた理由であるが、秀吉と利休のあいだに齟齬が生じた最大の理由は、宗陳が以前から危惧していたこと、すなわち、育ちの野卑な秀吉を利休が内心軽蔑していることが態度の端々に現れていて、それが秀吉の逆鱗に触れてしまうことだった。→人気ブログランキング

『家康、江戸を建てる』門井慶喜

相模国石垣山の頂での、秀吉と家康との有名な「連れしょん」の場面から物語は始まる。秀吉は家康に駿河から関東への国替えを命じた。部下たちは反対したが、いやと言えるはずもない。家康は快諾したふりをした。

家康は武州千代田の地にある江戸城を根城にするという。当時、江戸は古びた江戸城とわずかの漁民しかいない寒村で、あたり一面が低湿地であった。
江戸を大阪のようにしたいと家康は言う。
ここから江戸を都市として機能させる、空前のプロジェクトが始まる。

家康、江戸を建てる
家康、江戸を建てる
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門井慶喜
祥伝社 2017年2月
売り上げランキング: 10,087

まずは、湿地をどうにかしなければならない。そのためには、川の流れを変える利根川東遷を行う必要がある。
貨幣を作らなければならない。金の純度が高く信用される小判を造り、日本橋に鋳貨工場を置いた。
飲み水は七尾(井の頭)から上水道を引いた。城の外堀と交差するところには水道橋を造った。
日本中のどの城の石垣をも凌駕する石垣を造らねばならない。石は伊豆から船で運んだ。

江戸に入府して17年、66歳の家康は純白の天守閣から江戸の街を見下ろしている。
雨が降れば水浸しになってしまう、どうしょうもなかった湿地が、今では一大開発現場となっている。何十万人もの人間が生活している江戸が眼下に広がっている。
これからも江戸は絶えまなく変わっていくのだろうと家康は思う。
本書の主人公は、江戸を整備し都市として独り立ちさせた人びとである。→人気ブログランキング

新撰組の料理人/門井慶喜/光文社/2018年
マジカル・ヒストリー・ツアー/門井 慶喜/角川文庫/2017年
銀河鉄道の父/門井 慶喜/講談社/2017年
家康、江戸を建てる /門井慶喜/祥伝社 2017年

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