ブッカー賞

『リンカーンとさまよえる霊魂たち』ジョージ・ソーンダーズ

南北戦争中に愛する息子ウィリーを病気で失ったリンカーン大統領は、頻繁に納骨堂を訪れ長時間を過ごしたという。著者はこの逸話から霊魂たちが跋扈する奇想なファンタジーを思いついた。
原題は『Lincoln in the Bardo』。「Bardo」はチベット仏教の言葉で、前世の死の瞬間から来世にいくまでのあいだの霊魂が住む世界をさす。
現世に戻りたいがままならず、来世に行くまでの時間を引き延ばしたい。そんな霊魂たちの思いが、遺体を病体、棺桶を病箱、墓地を病庭と呼ばせている。

リンカーンとさまよえる霊魂たち
ジョージ・ソーンダーズ/上岡伸雄
河出書房新社
2018年 ✳︎✳︎✳︎✳︎

初夜のベッドで、中年のヴォルマンは若い妻に何もしないで友達でいようと提案し、その通りの清らかな関係でいた。それが功を奏したのか妻から誘いがあったのだが、仕事場の梁がヴォルマンに落ちてきて、思いを遂げずに勃起したまま霊魂になった。ゲイの恋人にふられて手首を切って自殺したベヴィンズは早まったと後悔し、人生の楽しみを味わいたいという思いから、たくさんの目や鼻や手があるようになった。
この2人のほかに多数の霊魂たちが発する声と、虚実取り混ぜたと思われる文書や文献の列記によって、物語は進んでいくというユニークな形をとっている。

悲惨な思いをした黒人たち、高貴そうな夫人、あばずれ女や母親たち、経営者や小売人、女に手を出す男、下ネタばかりを口にする男、強盗、牧師など多種多様な霊魂たちが登場する。

リンカーンに対し、霊魂たちは、息子のウィリーの誕生日に仔馬をプレゼントしたことをやりすぎだと突っつき、雨の中をコートを着せないで乗馬をさせた非を論い、ウィリーが重篤にもかかわらず自宅でどんちゃん騒ぎのパーティを開いたことを非難し、あるいは大統領の無能さを嘆いたりするのだった。おりしも、南北戦争が泥沼化し戦死者が何万人にも達するような状況にあった。

深夜、病院地に現れウィリーの遺体を抱きしめ落ち込む大統領に、ヴォルマンとベヴィンズをはじめとする霊魂たちは同情し、ふたりに関わってなんとかしようと大統領の体の中に入ったりした。しかし、大人の霊魂と違って、年端がゆかないウィリーはいつまでもとどまるわけにいかないのだ。霊魂たちはウィリーを手遅れにならないうちに、あちらに旅立たせようと必死の思いで駆けずり回るのだった。
涙と笑いの人情物ゴーストストリーである。
2017年、ブッカー賞受賞作。→人気ブログランキング

『アムステルダム』イアン・マキューアン

中心にいる女性と関わっていた男たちの目線から物語が語られる。
2月のロンドン、極寒の中で行われたモリーの葬儀に参列したかつての恋人たちの様子から物語は始まる。モリーは夫がいる身だが奔放だった。
恋人たちとは、イギリスの国民的作曲家のクライヴ、大手新聞社の辣腕編集長のヴァーノン、外務大臣のガーモニー。

アムステルダム (新潮文庫)
アムステルダム
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イアン・マキューアン/小山太一 
新潮文庫  2005年
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金に不自由のない出版社社長のジョージはモリーから冷たくされたが、夫として認知症が急速に進行したモリーを看取った。人々がまだモリーを見舞いたがった病気が初期の頃、ジョージは見舞客を選別した。外務大臣と同様、クライヴとヴァーノンは見舞いを許されなかった。ふたりはジョージを恨んでいる。

発行部数を伸ばすために悪戦苦闘するヴァーノン、千年紀までに交響曲を完成させなければならないクライヴ、そうした中で苦悩するふたりの日常が描かれる。クライヴはモリーのようになったら、最期は旧友のヴァーノンに看てほしいと言うくらいふたりの仲は穏当だった。

ヴァーノンはガーモニー外相のスキャンダラスな写真を手に入れる。
そもそも今の政権は長すぎて、経済的、道徳的、性的に堕落していて、ガーモニーはその象徴であるとヴァーノンは思っている。ガーモニーを政権から引き摺り下ろすチャンスである。
しかし、いくらスクープとはいえタブロイド紙の真似事をしていいのか、社内で侃々諤々の議論が起こる。ガーモニー陣営は掲載を阻止しようと手を打ってくる。
さらに写真の掲載を巡ってクライヴとヴァーノンの間に亀裂が入ってしまう。

タイトルのアムステルダムは、クライヴがミレ二アムを記念して作曲する交響曲が最初にお披露目される都市である。そこは安楽死が法的に認められているところでもある。
1998年、ブッカー賞受賞作。→人気ブログランキング

アムステルダム/イアン・マキューアン/新潮文庫/2005年
初夜/イアン・マキューアン/新潮クレストブック/2009年

『恥辱』 J・M・クツェー

J・M・クツェーは南アフリカ出身。本作『Disgrace』(1999年)にて2度目のブッカー賞を受賞している。1回目は、1983年『Life & Times of Michael K』(『マイケル.K』)。さらに、2003年にはノーベル文学賞を受賞している。

2度の離婚歴がある52歳の男が主人公。
デイヴィット・ラウリーは現代文学の教授だったが、大規模な合理化の結果、旧ケープタウン大学付属カレッジのコミニュケーション学部とやらの准教授に格下げされた。それで、やけになっているようなところがある。
デイビットは娼婦のもとに通っているうちに、その娼婦に入れあげてしまい、探偵を使って住所を調べ女の前に姿を現したが、けんもほろろに拒否されてしまう。

恥辱 (ハヤカワepi文庫)
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J・M・クツェー/鴻巣友季子
ハヤカワepi文庫
2007年 ✴✳✳✳

この失態にも懲りずに、次にデイヴィットが手を出したのが教え子だった。
セクハラで訴えられ、学内の査問委員会での反省のないデイヴィットの態度に旗色は悪くなり、やがて新聞沙汰になり、しまいには、大学の職を失うことなる。
ここまでは、イントロである。

かつてすったもんだがあった娘・ルーシーは田舎で農地を所有していて、年長のドイツ人女性と一緒に住んでいる。市場で農作物を売ったり、犬を預かって世話をしたり、動物病院の手伝いをして生計を立てている。デイヴィットはルーシーのもとに転がり込む。
そして、ボランティアのような、懲罰のような、奉仕活動のようなことをすることになる。飼い犬の餌の肉を切ったり、犬の安楽死の助手をしたり、市場で農産物を売ったり、ともかく農家の暮らしを体験する。

そこてまかり通っているのは、力のあるものの庇護を受けなければ、女は生きていけないという土着の論理である。具体的には、地元の胡散臭い男の第3夫人になるという選択だった。デイヴィットは、理不尽な古い慣習のもとに、恥辱も何もかも受け入れて生きていくことを決意しているルーシーを、どう理解していいのか戸惑う。

一時、ケープタウンに戻ると、デイヴィットはメラニーが出演する演劇をそっと観劇したりする。反省していないような初老の男に周りの目は冷たい。

読後、殺伐とした気持ちになるのは、元教授の少しも好転しない転落の人生を見せられているからだろう。→人気ブログランキング