JAZZ

2019年12月 4日 (水)

ジャズの歴史 100年を100枚で辿る 中山康樹

100枚のアルバムからジャズ史をみるという試み。
アルバムから歴史を語るのは、制約の多いことだが、そこは博学広才の著者(2015年に亡くなったが)ならではの強引ともいえる手法でやってのける。アルバムの特徴を捉えたキャプションと分析は、的確である。
10010
ジャズの歴史 100年を100枚で辿る

中山康樹
講談社+α新書
2014年

19世紀の終わりに、ブルーズとラグタイムと楽団のクレオール音楽の融合によりジャズがニューオリンズで生まれたというのが、ジャズの起源の定説である。
著者はラグタイムをジャズの原点と位置づける。ラグタイムに始まる初期のピアノ演奏スタイルは、のちに前衛と呼ばれる人たちや現代ジャズのピアニストのなかにも認められるという。そこで、1枚目は、スコット・ジョプリンのラグタイム『エンターテイナー』(1896年)である。

本書の構成は、1ミュージシャン、アルバム1枚を原則とするが、マイルス・デイヴィス(4枚)、 ウィントン・マルサリス(3枚)は別格だという。それは異論のないところだ。

幾つかをひろってみる。
チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー『トゥゲザー』(1945年)NO14
〈ビバップの中心となった最強コンビ〉、天才的なチャーリー・パーカーと脅威的な職人技を見せつけるディジー・ガレスピーはそれぞれが天才だった。「悪魔と取引をした音楽」といわれた。

セシル・テーラー『ジャズ・アドヴァンス』(1955年)NO19
60年代に勃興したフリージャズ(前衛ジャズ)は、いかに変わった文体を構成するかという、実験精神に富んだものだった。土台をセシル・テーラーがつくり、極北を示したのもまたセシル・テーラーだったとする。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ『モーニン』(1958年)NO23
ハードバップとは、言わばビバップのイージー・リスニング化であり、より音楽的な要素を取り入れた室内音楽的ジャズであった。だから、ビバップはライヴが、ハードバップはスタジオが似あうという。『モーニン』はその後ライヴで何度となく演奏されたものの、このスタジオ・ヴァージョンにみられるハードバップ感を再現することはなかった。

セロニアス・モンク『アンダーグラウンド』(1967年)NO51
モンクの演奏は当時怒涛の勢いで流行り出したロックに伍する形になったと著者はみる。モンクはロックを受けて立つくらいのロック的要素を持っていて、ロック・ファンからも支持されてという。

ジョン・コルトレーン『エクスプレッション』(1967年)NO47
本作のキャプションは、〈トリップ・ミュージックとして受容された哲学的ジャズ〉である。コルトレーンを表現するのに、これ以外の言葉はないだろう。

ハービー・マン『メンフィス・アンダーグラウンド』(1968年)NO52
本作の解説に、フリージャズが前衛を追求しようとするあまり、ファンが離れていった理由のひとつが書かれている。
〈創造性や時には難易度の高さが尊ばれるジャズにあって、商業的成功はしばしば無価値に等しい扱いを受ける。 つまり、そのテクニークや斬新性が仲間内で認められれば、人気は二の次だという志向だ。〉ジャズマンの「武士は食わねど・・・」の高潔な心意気が、ジャズを崩壊させ騒音のようになって音楽から遠のいていった理由だろう。

それを本流に引き戻したのが、ウィントン・マルサリス。
『ブラック・コーズ』(1985年)NO79には、〈復権なったプロテスト・ジャズの最高峰〉、『スタンダードタイムVol.1』(1986年)NO80には、〈現代メインストリーム・ジャズの出発点〉というキャプションが付けられている。それは伝統的なアコスティック・ジャズの復権である。→人気ブログランキング

生きているジャズ史』油井正一立東舎文庫 2016年
ジャズの歴史 100年を100枚で辿る』中山康樹 講談社+α新書 2014年
現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』中山康樹 廣済堂新書 2014年
新書で入門 ジャズの歴史』相倉久人 新潮新書 2012年
ジャズに生きた女たち』中川ヨウ 平凡社新書 2008年

2019年10月 2日 (水)

ジャズの歴史 相倉久人

本書のキーワードは「クレオール」である。
クレオールとは、もともとはカリブ海の島々生まれのスペイン人や、ルイジアナ生まれのフランス人を指す言葉だった。その後アメリカ南部で白人と黒人と混血をいうようになり、その用法が定着した。

ジャズは1900年前後にニューオリンズで生まれた。黒人の持っていた音楽的センスと、かれらの主人であったスペイン人やフランス人がよく歌った民謡やダンス音楽の融合により生まれた。
ニューオリンズの歓楽街・ストーリーヴィルは隆盛を極め、多くの楽士たちが活躍した。
しかし、1917年、アメリカが世界大戦に参戦すると、軍によりストーリーヴィルの閉鎖が命じられ、ジャズメンたちは北上し、ジャズの中心はシカゴに移った。
1920年に禁酒法が施行されると、アル・カポネに支配されたシカゴでジャズは盛んに演奏された。1930年代に入るとアル・カポネが落ち目となり、禁酒法を無視して隆盛を極めるペンダーガストが支配するカンザス・シティにジャズマンたちは集まっていった。1937年に、ペンダーガストが脱税で刑務所に収監されると、カンザスはさびれ、ミュージシャンたちはニューヨークに流れていった。

Image_20201124103201―新書で入門―ジャズの歴史
相倉久人
新潮新書 2012年

シカゴには、サミー・デイヴィス・ジュニアがいた。白人のグループにはベニー・グッドマンが育ってきた。ニューヨークではデューク・エリントンが大楽団を形成した。
1934年、ナビスコをスポンサーとして、ラジオ番組「レッツ・ダンス」がベニー・グッドマンのオーケストラ演奏のテーマ曲によって全米向けに放送を開始した。スウィング時代のはじまりである。

カンザス・シティにはカウントベイシー・オーケストラが隆盛する。
ミントンズ・プレイ・ハウス(ニューヨーク)では専属バンドをおいて、あとは飛び入り自由というジャムセッション方式をウリとした。アルトサックスのチャーリー・パーカー、ピアノのセロニアス・モンク、トランペットのディジー・ガレスビーもここの常連だった。
ガレスビー、パーカーを急先鋒として疾走するその音楽は、バップと呼ばれた。

それまでの踊れるスウィングから、踊ろうにも踊れない小難しくてやたらテンポの早いバップ、踊る音楽から聴く音楽に変わった。
ガレスピー、パーカー、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、女性ボーカルのサラヴォーン、その後のモダンジャズの歩みに貢献した大物が何人も名を連ねている。

ロサンジェルス近郊を中心に50年代前半から中期にかけて西海岸一帯を賑あわせたのはウェストコースト・ジャズである。ハリウッドでサントラの仕事に就きやすいのは、白人だった。マイルスのクールジャズに比べてどこかポップな感じがした。クールというのはヴィブラートをつけない吹き方をいう。

一方、ニューヨークでのジャズはイースト・コースト・ジャズと呼ばれたり、ハードバップと呼ばれたりした。ハードバップが隆盛していく政治背景として、朝鮮戦争があった。1955年、チャーリー・パーカーが亡くなり、ある意味、ミュージシャンを束縛から解き放った。

50年代はモダンジャズの黄金期である。ハードバップの古典的名作の多くがこの時期に集中している。ジャズが世界的な広がりをみせた。1950年代から日本でもジャズ人気は上昇の一途をたどっていった。

コンサートの隆盛でファン層を拡大したハードバップは、教会調のゴスペルやワークソングといった黒人音楽と連携を深めていく。アート・ブレーキーらに代表されるそのスタイルはファンキー・ジャズと呼ばれるようになる。ファンキーとは泥まみれの労働で疲れ果てた黒人の臭いと関係のある表現である。

マイルスはアドリブで映画「死刑台のエレベーター」のBGMを吹いた。50年代を通して、シネ・ジャズが盛んに作られたジャズの人気が世界的なブームになった。

マイルスのモード奏法が、コルトレーン型フリー・ジャズの道を開くことになる。コルトレーンは、もっと自由で、モードに基づき、アフリカ的で東洋的で、西洋的要素の少ないものにしようと思った。アフリカ的なものと西洋的なものが産んだクレオール文化である。

60年代は、コルトレーンのフリー・ジャズの時代である。感性の爆発を伴わない持続が、聞き手をある種のトランス状態に導く。演奏時間は長くなり30分・1時間を超えるようになる。求道者として何かを追い求める気持ちと敬虔な祈りの姿勢が表裏一体となて霊の世界へ昇華する。

60年代、日本は、アート・ブレイキー・ジャズ・メッセンジャーのアルバム「モーニン」と、抱っこちゃん人形に象徴される「ファンキー・ブーム」であった。
1967年、コルトレーンが肝臓がんで亡くなると、フリー・ジャズは急に影が薄くなり、60年代に終焉を向かえた。

70年代に入ると、アメリカでのジャズの衰退をよそに、ヨーロッパの〈フリー・インプロヴィゼーション・ミュージック〉は、アメリカの〈フリー・ジャズ〉に比べるとそれほど人種問題を意識する必要も必然性もない。
モダン・ジャズ(バップからエレキトリック・マイルスの手前まで)神話の崩壊から10数年、ジャズの歴史そのものを失う危機に瀕した。

そんななか、ふたつの動きが出てきた、トランペットのウィントン・マルサリス提唱した新伝承派、ジャズをクラシックと並ぶ芸術音楽の本流に位置づけようとした。しかし教養主義的な上昇志向が災いしたのか、ブラック系ミュージシャンの共感がえられず不発に終わった。
スウィングやハード・バップ・リヴァイバルのような動きがあってそれはそそれでナツメロ企画として一定の成果をあげていた。→人気ブログランキング

新書で入門 ジャズの歴史』相倉久人 新潮新書 2012年
生きているジャズ史』油井正一立東舎文庫 2016年
現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』中山康樹 廣済堂新書 2014年
ジャズに生きた女たち』中川ヨウ 平凡社新書 2008年

2015年2月10日 (火)

Wallflower ダイアナ・クラール

アルバムに収められているのは、ほとんどが60年代70年代のポップスとロックのナンバー。ダイアナ・クラール自身が、若いころにラジオにかじりついて何回も聴き、口ずさんだ曲だという。懐かしい曲をハスキーな声でエモーショナルに歌っている。
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ダイアナ・クラール(Diana Krall
デイヴィッド・フォスター(プロデューサー)
ユニバーサル・ミュージック
2015年 ✳︎10

プロデューサーは、16回のグラミー賞受賞暦をほこる超大物・デイヴィッド・フォスター。
ゆったりとしたテンポのバラードが並んでいる。ダイアナはジャズに限らず豊かな才能の持ち主であることが、このアルバムで改めて証明された。
タイトルの「フォール・フラワー」はボブ・ディランの曲で、スタジオ録音とライブ版の2曲が収録されている。
4曲目の「アローン・アゲイン」ではマイケル・ブーブレと、11曲目の「フィールズ・ライク・ホーム」ではブライアン・アダムスとデュオを組んでいる。さらに9曲目の「オペレーター」では、・スティル、グレアム・ナッシュという70歳代の大御所をバック・ヴォーカルに従えている。
6曲目の「イフ・アイ・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト」は、ポール・マッカートニーのアルバム『キス・オン・ザ・ボトム』(2012年)に収録された曲。ダイアナはピアノで参加した。ポールにぜひ歌わせて欲しいと頼んだそうだ。
ダイアナは70歳代のじいさんたちに寵愛されているようだ。
ダイアナ、デイヴィッド、マイケル、ブライアンはカナダ生まれだから、気心が知れている。
テーブル・キャンドルの揺らぐ光のなか、カナディアン・ウィスキーをちびちびやりながら聴くのがいい。→人気ブログランキング

→【2013.0312】『Glad Rag Doll』(CD)ダイアナ・クラール

2014年8月 3日 (日)

現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス 中山康樹

村上春樹の『誰がジャズを殺したか』(『やがて哀しき外国語 』講談社文庫 1997年)というタイトルのエッセイには、ウィントン・マルサリスのジャズは「燃えない」とか「面白くない」とか書かれている。その反面、村上はマルサリスをよく聴いていると煮え切らない。また、『ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?』(『意味がなければスイングはない』文春文庫 2008年)というストレートなタイトルで、村上はマルサリスについて鼻持ちならない男であると、辛辣に書いている。

マルサリスはアートブレーキー&ジャズメッセンジャーの一員として18歳でデビューしたとき、久々に現れた逸材と歓迎された。1980年に入りアコースティックジャズの復興がマルサリスによってなされる。
クラシックもこなすという、何でもできてしまうマルサリスのあまりの天才ぶりゆえ、飽きられたというのだ。

Image_20201205143201 現代ジャズ解体新書 ~村上春樹とウィントン・マルサリス
中山康樹(Nakayama Yasuki
廣済堂新書 
2014年

そのあとマルサリスがジャズを教える立場になり、つまり彼が教えたミュージシャンたちが過去の巨匠たちのテクニックを教科書的に学んだのである。そうして、時間軸が消滅したという。時間軸の消滅とは、40年前の演奏者とジャズを始めて2年しかたっていない演奏者のテクニックが、変わらないということである。マルサリス以前のジャズメンにすれば、「余計なことやりやがって」というところだろう。

ジャズ・ミュージシャンたち自らが、演奏会の開催をツイッターで知らせ、演奏会が終わったらお礼をツイッターで流す。さらに演奏をYOU・TUBEに投稿する。それが今のジャズ・ミュージシャンたちの演奏活動だと著者は嘆いている。しかし、このスタイルが下層にいるミュージシャンたちの演奏活動の現実であり、ジャズに限ったことではない。CDが売れなくなった音楽界の現状なのだ(『未来型サバイバル音楽論』津田大介×牧村健一 中公新書クラレ 2010年)。

ジャズは演奏する個人もあるいはそのバンドも、その時その場所でしかできない一期一会のライブが使命であることを、評論家、リスナーも、ジャズの特許のようにひけらかしてきて、それに納得してきたのだ。それにはガラパゴス的な距離を感じるという。

最近、年間を通じて最も売れるアルバムが、なんとマイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』(1959年)やビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビイ』(1961年)だというのだから愕然とする。ジャズが死んだと嘆くのは当然だろう。
ジャズ界が壁にぶち当たってもがいていることがわかった。

60年代から70年代かけてモダンジャズが求道的になっていった時に、ついていけないと思ったジャズファンは多かったのではないだろうか。マイルスが全盛で、コルトレーンが続き、チック・コリアや、キース・ジャレットに、ジャズの未来が託された頃から、ジャズの運命がこうなると予想されたのではないだろうかと僕は思っている。→人気ブログランキング

生きているジャズ史』油井正一立東舎文庫 2016年
現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』中山康樹 廣済堂新書 2014年
ジャズに生きた女たち』中川ヨウ 平凡社新書 2008年

2013年7月29日 (月)

Meets The Beatles(CD)ジョン・ピザレリ

A8ca4952a7b142b29408ab0aaaef05d6ミーツ・ザ・ビートルズ
ジョン・ピザレリ
ドン・セベスキー(アレンジ)
1998/10/03
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

ビートルズナンバーのカヴァーは、あまたのミュージシャンが挑戦しているが、ブリーフノートでピザレリが言ってるように、ビートルズの楽曲はメロディだけ取り出すと別物になってしまうから、魔物だ。
ビートルズのカヴァーアルバムには「これちょっとなぁ」という失敗作がある。その理由は、ビートルズの楽曲はインスツルメンツもコーラスも緻密に計算されていて完成度があまりにも高いからだ。さらに、多くの曲が聴く人の記憶に刻まれている。ビートルズのオリジナル曲を凌駕する完成度がないと、カヴァーは成功しないということだ。
その点、ピザレリには抜群のギターテクニックがあるから強い。ドン・セベスキーの緻密なアレンジが無条件にいい。
ギターだけで唸らせる曲もあると思えば、ピアノトリオでまとめたり、管楽器を入れたり、オーケストラとコラボしたりして、粋なビートルズ・ジャズ・サウンドを作り上げている。間違いなく五つ星だ。→人気ブログランキング

1. Can't Buy Me Love
 ジョンのギターテクニックが縦横無尽に披露され、管楽器で重厚感を出している。
2. I've Just Seen A Face
 ピアノのイントロで入り、途中のでギターのアドリブの後、ピアノトリオのノリでまとめる。ジャージーなサウンドだ。
3 Here Comes The Sun
 ピアノ高音部で入り、ベースの音を前にだし、ストリングスも入って、ピアノが追っかけさらにトランペットでもりあげる。ボサノバ風に仕上がっている。
4. Things We Said Today
 軽くドラムできて管楽器でちょっと煽り、ボーカルが入り、乗りのいいピアノのアドリブで締める。
5. You've Got To Hide Your Love Away
 生ギター1本で静かに歌い上げる。
6. Eleanor Rigby
 ピアノ、ギター、ベース、ドラムスのインストルメンツだけで、ボサノバにまとめている。
7. And I Love Her
 ピアノで入りストリングスが加わり荘厳な感じで歌い上げる。
8. When I'm 64
 ノリのいいデキシーランド・ジャズ風。
この曲は、誰がカヴァーしてもうまくいく。前半はキレがあり最後はコミカルにまとめた。友人の64歳の誕生日に控えめに流したい曲だ。
9. Oh Darling
 ジャジーなピアノで入り、ベースを効かせ、そのあと管楽器でが並走し、ドラムが入ってきてグァーンと盛り上がる。ミュートをかけたトランペットが雰囲気を変えて最後につながっていく。
10. Get Back
 サキソフォーン、ピアノ、ギターでアドリブをつなぎ、ホルンで高らかに盛り上げる。フル管楽器の醍醐味がしみてくる。
11. The Long & Winding Road
 オーケストラのストリングスで荘厳に入り、ピアノのリードで歌い上げる。
12. For No One
 ビッグバンドを使って、映画のサントラのような雰囲気でまとめ上げている。

2013年3月12日 (火)

Glad Rag Doll(CD)ダイアナ・クラール

このアルバムの話題は、ジャケットもさることながら、プロデューサーとして T.ボーン バーネットが参加していることだそうだ。
T.ボーン バーネットは、かつてボブ・デュランの「The Rolling Thunder Revue」のギタリストとして活躍。その後、幅広いジャンルのアルバムのプロデュースを手掛けている。
映画では『ウォーク・ザ・ライン』(05年)、『アメリカ、家族のいる風景』(05年) や 『クレージー・ハート』(10年)などの音楽を担当し、アカデミー賞にノミネートされたり受賞たりした。グラミー賞では、しばしば賞を獲得している辣腕プロデューサーとのこと。
Image_20201218121001グラッド・ラグ・ドール
ダイアナ・クラール
ユニバーサル ミュージック クラシック
(2012-10-31)

ダイアナ・クラールの「新しい魅力を引き出すためには、冒険しないと。それなら、T.ボーン・バーネットだね。ジャケットもそれなりに大胆でいこう」ということになったのだろう。ジャケットは、アルバム名が「Rag Doll」だからといって、縫いぐるみ人形風の衣装では迫力にかけるので、肌も露わなマドンナ・ルックで大胆なポーズにした。ジャズ界の女王ダイアナ・クラールらしい風格と艶かしさが出ている。

20 年代や30 年代の古い時代の楽曲をピックアップして、現代風にアレンジしている。
弾むようなピアノに乗って歯切れのいい曲も、ゆったりした頽廃的な曲も、ダイアナ・クラールのハスキーな声にあう。アコスティックやエレキギターのほかに、曲によってはバンジョーやウクレレが入り、独特な雰囲気が出ている。またインスツルメントが前に出ている曲が多い。1900年代前半の古き良きアメリカの土臭さや、ミュージックホールの埃っぽさが感じられるラインナップだ。今までとは違った新しいダイアナ・クラールの世界を垣間みることができる。

アルバムのタイトルにもなっている5曲目の「Glad Rag Doll」は、1929年に同名のトーキー映画の主題歌として作られた曲とのこと。→人気ブログランキング

1. We Just Couldn't Say Goodbye(3'07")
2. There Ain't No Sweet Man That's Worth the Salt of My Tears(4'30")
3. Just Like a Butterfly That's Caught in the Rain(3'43")
4. You Know I Know Ev'rything's Made for Love(3'48")
5. Glad Rag Doll(4'35")
6. I'm A Little Mixed Up(4'37")
7. Prairie Lullaby(4'22")
8. Here Lies Love(5'09")
9. I Used to Love You But It's All Over Now(2'51")
10. Let it Rain(5'44")
11. Lonely Avenue(6'58")
12. Wide River to Cross(3'51")
13. When the Curtain Comes Down(4'55")

2013年1月14日 (月)

『チェット・ベイカー・シングス』(CD)チェット・ベイカー

チェット・ベイカー・シングス

チェット・ベイカー・シングス

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チェット・ベイカー
EMIミュージックジャパン (2010-09-22)

「このアルバムは1954年と1956年の録音で構成されています」という『チェット・ベイカー・シングス』に関する文章について、ある人が「これは違うではないのか」と言い出した。「1954年と1956年に、それぞれアルバムを出したのを間違って書いたのではないか。そうとしか考えられない」と乱暴なことを言う。

「ジャズ・アルバムでは、よくあることで間違いではないと思う」と反論したものの、自信がなかった。
帰ってCDのブックレットを読むと、文章は正しかった。

1954年に録音した曲に、1956年に録音した6曲が加えられ、1956年に発売されている。

アルバムのタイトル『チェット・ベイカー・シングス』は、「トランペッターでならしたチェット・ベーカーが歌います」という決意がそのまま。
トランペッターが歌ったって、 個性が光っていればいい。歌ったら、いけるじゃないか、ということになった。技巧は無用。料理でいえば素材そのものの旨さだ。世紀の名盤はこうして生まれた。
そんな、チェットベーカーの歌声は少年のつぶやきのような中性的なもの。
音域は広くない、だから声を張り上げることもない。ハスキーで朴訥、物悲しい響きがする。
音量を落としてひっそりと聴くような曲が揃っている。

1.That Old Feeling(L. Brown, S. Fain)
2. It's Always You(J. V. Heusen, J. Burke)
3.Like Someone In Love(J. V. Heusen, J. Burke)
4.My Ideal(N. Chase, R. Whitning, L. Robin)
5. I've Never Been In Love Before(F. Loesser)
6. My Buddy(W. Donaldson, G. Kahn)
7.But Not For Me(G. Gershwin, I. Gershwin)
8.Time After Time(S. Cahn, J. Styne)
9. I Get Along Without You Very Well(H. Carmichael)
10.My Funny Valentine(R. Rodgers, L. Hart)
11. There Will Never Be Another You(M. Gordon, H. Warren)
12.The Thrill Is Gone(L. Brown, R. Henderson)
13. I Fall In Love Too Easily(S. Cahn, J. Styne)
14.Look For The Silver Lining(B. DeSylva, J. Kern)

 

2012年6月18日 (月)

ジャズボーカルにくびったけ 馬場啓一

ジャズボーカルはスタンダードがいいと、著者は力説する。
スタンダードについての24のメモの第1に次のように書いている。
<20世紀初頭から今日まで、映画やミュージカルの挿入歌、ポピュラー・ヒット・ソングなどで親しまれ、そのオリジナルから発展して、いろいろな歌手や楽団の歌や演奏などによって一般に認知されるようになった楽曲を言う。P10>
Image_20201228154401ジャズ・ボーカルにくびったけ!
CRAZY FOR JAZZ VOCAL !
馬場啓一
シンコーミュージック・エンタテイメント
2010年

スタンダードが誕生したのは110年前、最初のスタンダードソング作家はジェローム・カーンとされている。
ジャズのスタンダードが広まっていくのを担ったのは、ユダヤ人であると力説している。
スタンダードが生まれる土壌については、大御所の持ち歌をペイペイの歌手が歌うということは、日本ではあり得ないが、アメリカには多くの歌手にカヴァーされてこそ名曲という考え方がある。こうしたオープンマインドな考え方によって、歌い継がれスタンダードになっていく。
じゃあ、最もカヴァーされた曲って、なんだろう。「ルート66」か?。→【2011.10.26】『ルート66をゆく アメリカの「保守」を訪ねて』

100名のシンガーについてのエピソードとそれぞれのシンガーのアルバムを何枚か紹介している。女性シンガーが80名で男性は20名。
この偏りは、ジャズファンには男性が多く、女性シンガーの人気が高いことによるとされている。
著者がシンガーに直接取材をしているので、評価が新鮮。また、誉めるだけではなくて辛口なところもあり信用がおける。
ちなみに、ダイアナ・クラールは天才、ジェイミー・カラムは神童と紹介しているが、ノラ・ジョーンズに対しては辛口だ。

コラムの内容が充実していて、著者と、B.B King、Boz Scaggs、和田誠との対談も読み応えがある。日本人シンガーに肩入れし過ぎの感がするのは大目に見ようね。→人気ブログランキング

2012年5月 5日 (土)

バード

ジャズにただならぬ造詣をもつクリント・イーストウッド監督の天才サックス奏者チャーリー・パーカー(愛称バード)に対するオマージュである。その意図は十分に達成されている。
若いときに、故郷カンザスシティで受けたオーディションで、バードのあまりの独創的な演奏ゆえにバンドがついていけず、彼に向かってシンバルンが投げつけられたことがあった。この屈辱のシーンは何回か繰り返される。
独創性が受け入れないことが、バードに生涯ついて回った孤独であり苦悩であった。
作中バードは15歳から麻薬をやっていると語っている。
彼はドラッグから脱却しようと何度も試みるが果たせなかった。
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Bird
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョエル・オリアンスキー
製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス
音楽:レニー・ニーハウス
製作国:アメリカ  1988年

その後、ニューヨークのクラブで自ら創始したアドリブ主体のビ・バップが、少しずつ観客に受け入れられるようになる。
その頃、彼はダンサーのチャン(ダイアン・ヴェノーラ)と出会い、やっとの思いで彼女のハートを射止めた。

やがてバードのよき理解者ディジー・ガレスピー(サミュエル・E・ライト)とともに西部に進出するが、受け入れられなかった。
失意のうちに、彼は酒浸りとなり入院する。
そんな彼が再びニューヨークで仕事に就けたのは、チャンが仕事探しに奔走したおかげだった。
1949年は、バードにとって飛躍の年となった。
パリでのコンサートは成功し、ニューヨークでもバードの演奏に観客は熱狂した。
さらに、白人トランペッター、レッド・ロドニー(マイケル・ゼルニカー)をバンドに入れ、南部の演奏旅行で成功を収めた。
しかしレッドが麻薬所持で逮捕され、ニューヨークでは仕事がほとんどできなくなってしまう。

このころからバードに不運がつきまとうようになる。
娘が亡くなり、その半年後に失意のあまり自殺を図るが、病院に運ばれ事なきをうる。
彼は仕事を見つけようといつも奮闘しなければならなかった。
ところが、いやがらせをし金を巻き上げようとする悪徳警察官にしょっちゅう追い回されていた。
その頃ニューヨークではやり始めたロックンロールのあまりの幼稚な音楽性に、深い失望を感じる。

ドラッグとアルコールでボロボロになったバードは、ジャズ男爵夫人と呼ばれるパノニカ(ダイアン・ヴェノーラ)が暮らすニューヨークのホテルで息をひきとった。 34歳だった。パノニカもバードのよき理解者であった。→人気ブログランキング
→ 【2011.11.26】『にほんブログ村
→ ジャズに生きた女たち』 中川ヨウ

2012年4月28日 (土)

『Undercurrent』 ビルエヴァンス&ジムホール (CD)

アンダーカレント
アンダーカレント
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ビル・エヴァンス&ジム・ホール
EMIミュージックジャパン (2010-09-22)
売り上げランキング: 1638

ピアノとギターのデュオ。ベース、ドラムなし。
ひっそりと会話を楽しんでいるような、そんな感じのアルバム。
ともすれば饒舌になりがちな演奏に抑制を効かせ、あるときは早口になり、やや大声になるものの、決して興奮することなく会話が進む。
どこかでドラムが加わるんだろうなと思っていると、期待は裏切られるのだが、そのあとドラムなしに納得がいく。
このデュオにはドラムは無用と思えてくる。
最後の曲にはブラシが入るけれど。
同じように、ベースがどこかで入ってくるんじゃないかと、耳を傾けていると、それも見事にかわされる。
ベースもないほうがいいことに納得する。
つい身をゆだねてしまいたくなる。
1962年録音。

1. MY FUNNY VALENTINE
2. I HEAR A RHAPSODY
3. DREAM GYPSY
4. ROMAIN
5. SKATING IN CENTRAL PARK
6. DARN THAT DREAM
7. STAIRWAY TO THE STARS
8. I'M GETTING SENTIMENTAL OVER YOU
9. MY FUNNY VALENTINE  (alternate take)
10. ROMAIN  (alternate take)

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