ジャズの歴史 100年を100枚で辿る 中山康樹
100枚のアルバムからジャズ史をみるという試み。
アルバムから歴史を語るのは、制約の多いことだが、そこは博学広才の著者(2015年に亡くなったが)ならではの強引ともいえる手法でやってのける。アルバムの特徴を捉えたキャプションと分析は、的確である。
ジャズの歴史 100年を100枚で辿る 中山康樹 講談社+α新書 2014年 |
19世紀の終わりに、ブルーズとラグタイムと楽団のクレオール音楽の融合によりジャズがニューオリンズで生まれたというのが、ジャズの起源の定説である。
著者はラグタイムをジャズの原点と位置づける。ラグタイムに始まる初期のピアノ演奏スタイルは、のちに前衛と呼ばれる人たちや現代ジャズのピアニストのなかにも認められるという。そこで、1枚目は、スコット・ジョプリンのラグタイム『エンターテイナー』(1896年)である。
本書の構成は、1ミュージシャン、アルバム1枚を原則とするが、マイルス・デイヴィス(4枚)、 ウィントン・マルサリス(3枚)は別格だという。それは異論のないところだ。
幾つかをひろってみる。
チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー『トゥゲザー』(1945年)NO14
〈ビバップの中心となった最強コンビ〉、天才的なチャーリー・パーカーと脅威的な職人技を見せつけるディジー・ガレスピーはそれぞれが天才だった。「悪魔と取引をした音楽」といわれた。
セシル・テーラー『ジャズ・アドヴァンス』(1955年)NO19
60年代に勃興したフリージャズ(前衛ジャズ)は、いかに変わった文体を構成するかという、実験精神に富んだものだった。土台をセシル・テーラーがつくり、極北を示したのもまたセシル・テーラーだったとする。
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ『モーニン』(1958年)NO23
ハードバップとは、言わばビバップのイージー・リスニング化であり、より音楽的な要素を取り入れた室内音楽的ジャズであった。だから、ビバップはライヴが、ハードバップはスタジオが似あうという。『モーニン』はその後ライヴで何度となく演奏されたものの、このスタジオ・ヴァージョンにみられるハードバップ感を再現することはなかった。
セロニアス・モンク『アンダーグラウンド』(1967年)NO51
モンクの演奏は当時怒涛の勢いで流行り出したロックに伍する形になったと著者はみる。モンクはロックを受けて立つくらいのロック的要素を持っていて、ロック・ファンからも支持されてという。
ジョン・コルトレーン『エクスプレッション』(1967年)NO47
本作のキャプションは、〈トリップ・ミュージックとして受容された哲学的ジャズ〉である。コルトレーンを表現するのに、これ以外の言葉はないだろう。
ハービー・マン『メンフィス・アンダーグラウンド』(1968年)NO52
本作の解説に、フリージャズが前衛を追求しようとするあまり、ファンが離れていった理由のひとつが書かれている。
〈創造性や時には難易度の高さが尊ばれるジャズにあって、商業的成功はしばしば無価値に等しい扱いを受ける。 つまり、そのテクニークや斬新性が仲間内で認められれば、人気は二の次だという志向だ。〉ジャズマンの「武士は食わねど・・・」の高潔な心意気が、ジャズを崩壊させ騒音のようになって音楽から遠のいていった理由だろう。
それを本流に引き戻したのが、ウィントン・マルサリス。
『ブラック・コーズ』(1985年)NO79には、〈復権なったプロテスト・ジャズの最高峰〉、『スタンダードタイムVol.1』(1986年)NO80には、〈現代メインストリーム・ジャズの出発点〉というキャプションが付けられている。それは伝統的なアコスティック・ジャズの復権である。→人気ブログランキング
『生きているジャズ史』油井正一立東舎文庫 2016年
『ジャズの歴史 100年を100枚で辿る』中山康樹 講談社+α新書 2014年
『現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』中山康樹 廣済堂新書 2014年
『新書で入門 ジャズの歴史』相倉久人 新潮新書 2012年
『ジャズに生きた女たち』中川ヨウ 平凡社新書 2008年